第33話
ボルギンさんが指輪の製作に取り掛かってから、数日が過ぎた。
その間、私は陽だまりカフェの営業を再開し、ルゥフは森の警備の仕事に戻っていた。
けれど、日常は以前とは少し違って見えた。
カフェに来るお客さんは皆、お祝いの言葉をかけてくれるし、ルゥフとの何気ない会話の中にも、未来への期待が満ちている。
そして、約束の日。私たちはボルギンさんの工房を訪れた。
工房の中は、カン、カン、というリズミカルな金属を打つ音と、炉の熱気で満ちている。
「おう、来たか!ちょうど今、最後の仕上げが終わったところだ」
汗を拭いながら、ボルギンさんが満面の笑みで振り返った。
その手には、小さなベルベットの箱が握られている。
「さあ、見てくれ。俺の魂を込めた傑作だ」
ボルギンさんが厳かに箱を開けると、中から二つの指輪が現れた。
その美しさに、私は思わず息をのんだ。
一つは私のための、少し華奢な指輪。もう一つはルゥフのための、幅広でがっしりとした指輪。
どちらも、ボルギンさんのスケッチ通り、太陽と月が寄り添うデザインが繊細な彫刻で施されている。
そして中央には、言葉では言い表せないほど美しい『誓いの石』が嵌め込まれていた。
工房の窓から差し込む太陽の光を浴びて、石は燃えるような金色に輝いている。
まるで、小さな太陽がそこにあるかのようだ。
「すごい…」
ルゥフが感嘆の声を漏らす。
「太陽の下では金色に、月の光の下では銀色に輝く。そして、二人の心が通じ合った時…ほんの一瞬だけ、虹色の光を放つと言われている。伝説だがな」
ボルギンさんは少し照れくさそうに説明してくれた。
「この指輪には、ドワーフの祝福の魔法もかけてある。お前さんたち二人を、あらゆる災いから守ってくれるだろう。まあ、この平和なコリコで災いなんざ起きようもねえが、お守りみたいなもんだ」
「ボルギンさん…本当に、ありがとうございます。こんなに素敵なものを…」
感謝の言葉しか出てこない。この指輪には、ボルギンさんの技術と、友情と、温かい祈りがすべて詰まっている。
「礼を言うのはまだ早い。一番大事な儀式が残ってるだろう」
ボルギンさんはにやりと笑うと、私たちを工房の外へと促した。
工房の裏手には、コリコの町を一望できる小さな丘がある。
陽光がさんさんと降り注ぐ、気持ちのいい場所だ。
「さあ、ここは邪魔者がいねえ。二人で、永遠の愛でも何でも誓い合うといい」
そう言うと、ボルギンさんは工房の中へと戻っていった。
丘の上には、私とルゥフだけが残される。
心地よい風が、草原を撫でていった。
ルゥフが、緊張した面持ちで箱を受け取った。
その大きな手が、少しだけ震えているのが分かる。
「ユイ…」
ルゥフは私の名前を呼ぶと、箱から指輪を一つ取り出した。そして、私の前に跪く。
「え、ルゥフさん!?」
「こういう時は、こうするものだと本で読んだ」
真剣な顔で言うルゥフが、なんだか可愛らしくて笑ってしまいそうになる。
でも、彼の金色の瞳は真剣そのものだ。
「ユイ。俺は、お前を一生大切にすると誓う。お前の笑顔を、一生守り抜くと誓う。だから…俺の妻になってほしい」
ルゥフは私の左手を取り、その薬指に、そっと指輪をはめてくれた。
ひんやりとした金属の感触と、石の持つ不思議な温かさが指に伝わる。
私の指にぴったりと収まった指輪は、太陽の光を浴びて、眩いばかりの金色に輝いていた。
「…はい。喜んで」
涙が溢れて、視界が滲む。
私は頷きながら、もう一つの指輪を手に取った。
そして、ルゥフの大きな左手を取り、同じように薬指に指輪をはめる。
「私も、ルゥフさんを一生大切にします。あなたの隣で、ずっと笑っていたいです」
ごつごつとした彼の指に、太陽と月の指輪が輝く。
ルゥフは立ち上がると、私を優しく抱きしめた。
「ありがとう、ユイ。愛してる」
「私も…愛してます、ルゥフさん」
私たちは、この陽だまりの丘で、改めて永遠の愛を誓った。
指輪の石が、祝福するようにきらりと光った気がした。
指輪の完成を祝い、私たちは陽だまりカフェでささやかなお祝いをした。
ボルギンさんやエララちゃん、フェンウィック先生も一緒だ。
私は腕によりをかけて、特製のディナーを振る舞った。
食事をしながら、自然とこれからの生活についての話になった。
「結婚したら、ルゥフさんはこのカフェで一緒に暮らすのよね?」
エララちゃんの言葉に、私たちは頷く。
「ああ、そのつもりだ。だが…」
ルゥフが少し言いにくそうに口ごもる。
「この店は、ユイが一人で暮らすには十分だが、俺がいると少し手狭かもしれん。それに、俺の荷物は狼の姿に戻った時のためのものばかりで、あまりないが…」
確かに、このカフェの居住スペースは、元々私一人で使うことを想定して作られている。
ルゥフが一緒に住むとなると、少し窮屈に感じるかもしれない。
「…ユイだけの、もっと広くて、陽当たりのいい場所があったらいい」
ルゥフがぽつりと呟いた。
その言葉に、私はある場所を思い浮かべた。
陽だまりカフェのすぐ裏手にある、今は使われていない空き地だ。
そこは一日中陽が当たり、見晴らしもいい、最高の場所だった。
「…ねえ、ルゥフさん。家を、建てない?」
私の提案に、皆がきょとんとした顔でこちらを見た。
「家を?新しい家をかい?」
ボルギンさんが尋ねる。
「はい。陽だまりカフェの裏の土地なら、広さも十分ですし、日当たりも最高です。カフェの仕事もしやすいですし…二人で暮らすための、私たちの家を建てるんです」
私の言葉に、ルゥフの目が輝いた。
「いいな、それ…俺たちの家…」
「素敵!すっごく素敵よ、ユイちゃん!」
エララちゃんが手を叩いて賛成してくれた。
「それなら、設計は俺に任せろ!」
待ってましたとばかりに、ボルギンさんが胸を叩いた。
「お前さんたちの要望を聞いて、世界一頑丈で住みやすい家を設計してやる!ドワーフの建築技術をなめるなよ!」
「まあ!じゃあ、内装は私に任せてちょうだい!」
エララちゃんも負けじと乗り出してくる。
「ユイちゃんの好きな花をたくさん飾って、温かくて可愛いお部屋にしましょう!もちろん、ルゥフさんが狼の姿でもゆったり寛げる、大きな暖炉もつけなくちゃね!」
「庭には、薬草やハーブを植える畑を作りましょう。新しい家の門出を祝う、特別なハーブを私が選びますよ」
フェンウィック先生まで、にこやかに提案してくれた。
話はあっという間にまとまり、私たちの新しい家づくり計画が、こうして始まったのだった。
翌日から、プロジェクトは早速動き出した。
まずは、家の基本となる木材選びだ。
こればかりは、森を知り尽くしたルゥフの右に出る者はいない。
「最高の木材を選んでくる。家の土台と柱になる、一番大事な部分だ」
そう言って、ルゥフは森へ向かう準備を始めた。
「私も一緒に行く!」
「だが、森の奥は少し道が険しいぞ」
「大丈夫。ルゥフさんがいれば、何も怖くないもの」
私の言葉に、ルゥフは嬉しそうに頷いてくれた。
二人で森の中を歩く。
木漏れ日がきらきらと地面に模様を描き、鳥のさえずりが心地よく響いていた。
ルゥフは時々立ち止まっては、木にそっと触れ、何かを確かめるように目を閉じる。
「森の声を聞いているんだ。家になることを、木が受け入れてくれるかどうか」
ルゥフの言葉は、まるで詩のようだった。
彼はただ木を切るのではなく、森と対話し、恵みを分けてもらうという考えを持っているのだ。
その優しさが、私は大好きだった。
しばらく歩くと、ひときわ静かで、神聖な空気が漂う場所にたどり着いた。
「ここだ。この辺りには、樹齢数百年を超える大木たちが眠っている」
ルゥフが立ち止まり、前方を指さした。
「ユイ、あれだ」
その先には、天に向かって真っ直ぐに伸びる巨大な木が立っていた。
空を支える柱のようだ。
陽の光を浴びて、その葉は黄金色に輝いていた。
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