第15話第十五話『強く、静かに、優しく――五年生・重量級の頂へ』
前書き
団体戦では補欠だった坂元洋介。
しかし、午後から始まる個人戦では五年生・重量級代表として畳に立つ。
一見、静かな少年。だがその中には、「自分の柔道」を貫く強さがあった。
力でねじ伏せるのではなく、崩し、さばき、投げる。
そして相手を傷つけぬよう“ざんしん”をとる――。
重い体を支え合う五戦の中で、洋介が見せたのは「強さ」ではなく「美しさ」。
それは、勝ってもなお変わらぬ「礼」の姿に込められていた。
本文
陽真の優勝からしばらくしても、会場の空気はまだ静かに震えていた。
歓声は抑えられ、興奮はあるが騒がしくない。
それは、植木道場の在り方が染み渡っているからだ。
「次は五年生、重量級。第一試合――」
坂元洋介が、一礼台へと向かう。
堂々と、しかし静かに。
彼は団体戦では補欠として仲間の戦いを支えていた。
だが、午後の個人戦では、陽真と並び、正式な五年生の代表として名を連ねる。
柔道衣の帯をきゅっと締め直し、正面を見据える。
礼。深く、丁寧に、気持ちを整えるように。
洋介の戦いが、始まった。
⸻
一回戦:玉井 翔伍(暁心館)
試合開始の合図と同時に、相手が勢いよく飛び込んでくる。
洋介は避けない。しっかりと組み合った。
肩に伝わる相手の力、その方向を読み切る。
――来る、一本背負い。
その瞬間を見逃さず、洋介は足を引きながら
支え釣り込み足で相手の体を横に崩した。
空気を切り裂くように、玉井の身体が舞い、綺麗に畳に落ちる。
「一本!」
会場に響く主審の声。
すぐにざんしんを取り、相手の様子を確認する。
ダメージを最小限に抑えるよう、手を添えて起き上がるのを助けた。
深く、綺麗な礼。
洋介の初戦は、完璧な形で幕を開けた。
⸻
二回戦:竹之内 光(蒼風塾)
次の対戦相手は、慎重な立ち上がりを見せた。
初戦を見ていたのだろう。飛び込まず、距離を測る。
だが、洋介は少しずつ圧をかけていく。
組み合いながら、わずかに相手を押す。
前に出てくる瞬間を待つ。
そして相手の足が一歩出た、その瞬間――
洋介の身体が弾けた。
内股。
大きな体をしなやかに使った技が、完璧な角度で決まる。
「一本!」
しなやかさと力強さの融合。
ざんしんは当然のように。
相手を気遣う柔道の姿勢が、そこにあった。
⸻
三回戦:岸本 雅樹(心誠塾)
対戦相手は、背の高い重量級らしい体格の持ち主。
洋介に一気に組み付き、力任せの大外刈りに来た。
観客の目が鋭くなる。
「これは決まるか――」
しかし次の瞬間、その空気は一転した。
洋介は重心を低く、動じず構えていた。
崩されるどころか、その力を利用する。
大外返し――
岸本の身体が高く舞い、観客席から「危ない!」の声が漏れる。
だが、洋介はすでに相手の受け身まで計算していた。
ざんしんを取りながら、畳への衝撃を最小限に抑えるように誘導する。
「一本!」
思わず、会場から拍手が漏れた。
それでも洋介は浮かれない。
静かに立ち上がり、深く礼をした。
⸻
準決勝:長谷 宗一郎(雷神塾)
この階級最大の巨漢。100キロを超える体格。
「まるで壁だ……」と、周囲がざわめいた。
開始の合図とともに、圧力が来る。
だが洋介は引かない。組んで、構えて、動かない。
それどころか、相手の腕を崩していく。
徐々に押されている感覚を持った長谷は、組みを離してしまう。
――逃げた。
そして、前かがみの姿勢が続く。
そこを洋介は見逃さなかった。
大内刈り。
相手の重心を刈り取り、静かに、しかし確実に倒す。
「一本!」
ざんしん。受け身の確認。礼。
重さに頼る柔道を崩したのは、誠実な基本の柔道だった。
⸻
決勝戦:金森 瑛大(嵐道館)
準々決勝を圧勝し、全国ベスト4の実績を誇る実力者。
いよいよ、最終戦。
両者、正対して深く礼をする。
はじめの合図が鳴っても、動かない。
見えない気迫が会場を包む。
――そして、組んだ。
力任せではない。
技も掛けない。
じわじわと、崩しと耐えの時間が続く。
観客の中には「動きがない」と思う者もいたかもしれない。
だがそこは、百メートル全力疾走のような緊張が張り詰めていた。
洋介は、呼吸の乱れを感じ取った。
崩しが一瞬、通る。
「いち、に、さん――」
背負い投げの形で入ると、相手の重心が乗った。
そのまま流れるように投げる。
一本!
畳に音が響く。
ざんしん。
そして、深く、深く礼。
⸻
勝っても、変わらない。
喜びを誇示しない。
ただ、自分の柔道を全うするだけ。
坂元洋介の姿に、誰もが目を奪われた。
それは力任せの勝利ではない。
相手を尊重し、自分を律する“静かな強さ”だった。
この日、植木道場は二冠を獲った。
けれど、彼らの胸には、ただ一つの言葉しかない。
「精力善用・自他共栄」
その誓いを胸に、少年たちは次の試合へと歩みを進める――
後書き
最後までお読みいただきありがとうございます。
今回は、坂元洋介という少年が「優勝するまでの5戦」を描きました。
技の華やかさではなく、礼儀・姿勢・ざんしんにこだわる姿。
それが植木道場の柔道であり、彼の“強さ”でもあります。
相手を尊重すること。勝敗の先にあるものを見ること。
そこに柔道の本質があると、あらためて思わされる戦いでした。
次回からは六年生たちの戦いが始まります。
引き続き、どうぞ応援よろしくお願いします。
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