第10話第十話『一本と、一本ではない勝利』
前書き
団体戦、初陣。
ついに始まった対外試合。
対戦相手は《道心塾》。地域の中でも親しみやすく、堅実な稽古を重ねる道場。
無名の《植木道場》が挑む、最初の勝負。
だがそれは、勝ち負けを超えた「柔道という道」を証明する試合でもあった。
一本とはなにか。
負けとはなにか。
勝利とはなんのためにあるのか――
小猿の目に映ったのは、まさに“柔道”そのものだった。
本文
団体戦、第一戦。
試合会場の空気は張り詰め、床を踏む音すら吸い込まれていくようだった。
その中央に、先鋒・**藤堂とうどう 航希こうき**が立った。
対するは、道心塾の選手。少し緊張した表情で構えている。
「はじめ!」
組み合ったその一瞬――コウキは迷いなく前へ。
くみ合いの流れを掴んだその動きは、まるで水のように滑らかだった。
相手の袖を制し、肩を差し込み、軸足で身体を支える。
一気に技に入る。
「――一本背負い!」
ふわり、と相手の体が宙を舞った。
畳に背中が吸い付くように落ちた瞬間、審判の声が響く。
「一本!」
小猿は、その瞬間、目を見開いた。
勝ったことよりも、美しさに――心を奪われたのだった。
背中に力強く乗せた一本。
そして何より、投げたあと、すっと背筋を伸ばし構えを解かない“ざんしん”。
(……これが柔道なんだ)
その姿に、胸が熱くなるのを感じた。
⸻
中堅戦、**矢萩やはぎ 慶吾けいご**が登場。
彼は軽量級だが、相手は明らかに重量級。
体格差は歴然だった。
それでも慶吾は、怯まなかった。
巧みに間合いを取り、技に入る。何度も、何度でも。
けれど決定打にはならず、次第に体力を削られていく。
そして、バランスを崩された瞬間、
相手が前に出るように倒し、覆いかぶさるように抑え込まれる。
「……一本」
敗北。
それでも小猿は、拳を強く握っていた。
慶吾の投げは正確だった。
相手の巻き込み気味の動きに、一瞬ざらついた感覚を覚えた小猿は、怪我のなかったことに安堵した。
慶吾は静かに畳から立ち上がり、深く頭を下げる。
(……正々堂々とした戦いだった)
その姿に、小猿は“負けても心に残る柔道”があることを知った。
⸻
そして大将戦。
静かに、**真鍋まなべ 大地だいち**が畳に上がる。
植木道場の中で最も体格に恵まれ、全体でも一番の実力を持つ男。
けれど、その心はどこまでも穏やかだった。
「はじめ!」
組み合った瞬間、大地の体がすっと沈む。
次の瞬間には、もう相手の体が持ち上がっていた。
「――肩車!」
観客席が小さくどよめいた。
完璧な一本。
空気を切り裂くような音がして、相手の背が畳に落ちる。
審判の手が、高く掲げられる。
「一本!」
静まり返る会場の中、大地は構えを崩さず、ゆっくりとざんしんを取る。
そして深く、静かに礼をした。
小猿は息をのんで、その姿を見ていた。
(これが……植木道場の柔道)
⸻
2勝1敗。
植木道場、団体戦初勝利。
他の道場では、仲間たちが抱き合い、喜びの声をあげていた。
けれど、植木道場では――誰も、はしゃがなかった。
「喜ぶな」と言われたわけではない。
ただ、全員が“何を教わってきたか”を、心に刻んでいた。
試合とは、ひとりではできない。
相手がいるからこそ成り立つもの。
その相手に、敬意と感謝を持つ。
それが、植木道場の柔道だった。
小猿は、その空気が、たまらなく誇らしかった。
後書き
植木道場、団体戦初勝利。
主将・コウキの一本。
正々堂々と戦い抜いた慶吾。
そして、大地の肩車による締めの一本。
勝ちよりも美しく、
負けても悔いのない、
“柔道”という道を照らす三つの試合が、そこにはありました。
次回、第十一話――
対戦相手は《風龍会》。
スピードと奇襲を武器にする道場に、植木道場はどう挑むのか。
どうぞお楽しみに!
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