恋と身体の参考書
舞夢宜人
二人で奏でる、恋の練習曲。答え合わせは、まだ先でいい。
#### 第1話:境界線のエチュード
秋も終わりを告げようとする、そんな日の放課後だった。
傾き始めた太陽が、俺の部屋にオレンジ色の光を投げかけている。机の上には、大学受験用の参考書とノートが雑然と広げられ、その中央で、水瀬美咲(みなせ みさき)が真剣な眼差しで数式と向き合っていた。さらりとした黒髪が、シャープペンシルを走らせるたびに小さく揺れる。その光景を、俺、高槻拓也(たかつき たくや)は、少しだけ解くペースを緩めて盗み見ていた。
家が隣同士で、物心ついた頃にはもう一緒にいた幼馴染。高校生になって、どちらからともなく恋人になった。この部屋で、こうして二人で勉強するのも、いつの間にか当たり前の日常になっていた。聞こえるのは、ペンの先が紙を擦る音と、窓の外から遠く聞こえる吹奏楽部の練習の音色だけ。穏やかで、満ち足りた時間だった。
「ん……ちょっと、休憩しよっか」
先に集中力を切らしたのは、俺の方だった。伸びをすると、凝り固まった肩が小さく音を立てる。
「そうだね。少し疲れちゃった」
美咲もペンを置いて、こてんと首を傾ける。その仕草がなんだか小動物みたいで、俺は思わず笑みをこぼした。
「コーヒー、淹れるよ」
「うん、ありがとう」
俺が席を立ってインスタントコーヒーの準備をしていると、美咲がふわりと背後から抱きついてきた。制服越しに、彼女の柔らかさと温もりが伝わってくる。
「拓也」
「ん?」
「……なんでもない」
甘えるような声。振り向けば、潤んだ瞳がすぐ近くにあって、俺たちは自然と唇を重ねた。最初は触れるだけだったキスが、次第に熱を帯びていく。コーヒーの準備なんて、もうどうでもよくなっていた。
机に手をつき、美咲を囲むようにして、俺は夢中で彼女の唇を貪った。美咲もまた、おずおずと俺の背中に腕を回し、それに応えてくれる。甘い吐息が混じり合い、理性のネジが緩んでいくのを感じた。もっと、美咲に触れたい。もっと、深く繋がりたい。
その衝動のままに、俺の右手は自然と、彼女が着ている制服のブラウスへと伸びていた。硬いプラスチックのボタンに、指先が触れる。
その瞬間だった。
「……っ」
それまで俺の身体を受け入れていた美咲の身体が、ビクリとこわばった。回されていた腕に力が入り、俺の胸を、優しく、しかしはっきりと拒絶するように押し返す。
ハッとして、俺は彼女から唇を離した。
「……ごめん」
見れば、美咲は顔を真っ赤にして俯いている。長いまつ毛が震え、きゅっと結ばれた唇は、何かを言いたいのを必死に我慢しているようだった。
「ごめん、美咲。嫌だったよな。俺、ちょっと焦りすぎた」
慌てて謝る俺に、美咲はふるふると首を横に振った。そして、ゆっくりと顔を上げる。その瞳は少し潤んでいたけれど、逃げることなく、真っ直ぐに俺を射抜いていた。
「……嫌じゃ、ないの。拓也だから、嬉しい。嬉しい、んだけど……」
言葉を探すように、視線が揺れる。
「……あのね。私……初めては、結婚するまでがいいなって……思ってて」
それは、か細いけれど、凛とした芯の通った声だった。古風かもしれない。今の時代には、少し似合わない考え方かもしれない。でも、彼女がずっと大切にしてきた、純粋な願いなのだと、痛いほど伝わってきた。
俺は、熱くなっていた頭が、冷水で一気に冷やされるような感覚を覚えた。そして、それと同時に、目の前にいる恋人がどうしようもなく愛おしくなった。
俺は一歩下がり、彼女と向き合うようにして、その小さな手を両手で包み込んだ。
「……そっか。言ってくれて、ありがとう。ごめんな、俺、全然気づかなくて」
「ううん……」
「美咲の気持ち、ちゃんとわかった。俺、それを絶対に大事にする。約束するよ」
俺が真剣に言うと、美咲の瞳から、ぽろりと一粒の涙がこぼれ落ちた。
「……ありがとう。でも、拓也は、それでいいの……?」
不安そうな声。自分の願いが、俺を縛り付けてしまうと思っているのだろう。俺は首を振り、彼女の手を優しく握りしめた。
「いいんだよ。でもさ、一つ、提案してもいいかな」
「提案?」
「うん。その……挿入は、絶対にしない。それは俺たちの絶対のルールだ。その上で、どこまで深く、お互いを感じ合えるか……二人だけの、秘密の実験、みたいなの、してみないか?」
それは、今、この瞬間に思いついた言葉だった。でも、本心だった。彼女の願いを尊重した上で、俺たちの関係を、もっと特別なものにしたかった。
「秘密の……実験……?」
美咲は、きょとんとした顔で俺の言葉を繰り返す。その表情には、まだ戸惑いの色が濃い。
「そう。キスとか、触るとか……そういうので、どこまで気持ちよくなれるか。俺は、美咲のことをもっと知りたい。美咲にも、俺のことをもっと知ってほしい。……ダメかな?」
俺は、祈るような気持ちで彼女の返事を待った。美咲はしばらく俯いて何かを考えていたが、やがて、包まれたままの俺の手に、きゅっと力を込めた。そして、顔を上げる。その頬はまだ赤いままだったけれど、そこには迷いのない、愛しい恋人の顔があった。
「……うん。拓也となら……してみたい」
その言葉が、俺たちの約束になった。
窓の外では、茜色の空がゆっくりと夜の闇に溶け始めていた。大学受験までの、限られた時間。こうして、俺と美咲だけの、甘くて少し切ない探求の日々が、静かに幕を開けたのだった。
### 第2話:指先のメロディ
あの約束を交わした翌日は、日曜日だった。俺たちは午前中から、駅前の大きな図書館で落ち合った。高い天井まで届く本棚、古紙とインクの匂い、そしてひそやかな静寂。受験生で埋まる閲覧席の片隅で、俺と美咲は参考書を並べた。
普段なら、それぞれが黙々と問題集に取り組むだけの時間が流れる。でも、今日だけは違った。机の下で、俺たちの指がそっと絡み合う。美咲の指は少し冷たくて、俺がそれを温めるように包み込むと、彼女ははにかむように微笑んだ。時折、問題を教え合うふりをして顔を寄せれば、美咲のシャンプーの甘い香りが鼻をくすぐる。集中なんて、できそうになかった。昨日の出来事が、身体の中心でずっと微熱のように燻っている。それは美咲も同じなのだろう、時折合う視線は、いつもよりずっと熱っぽく、潤んで見えた。
夕方になり、閉館時間を告げる音楽が流れ始める。俺たちは帰り支度をしながら、どちらからともなく視線を交わした。言葉にしなくてもわかる。このまま、俺の部屋へ行くのだと。
図書館からの帰り道、自動販売機で温かいココアを二つ買った。冷たい空気に火照った頬が心地いい。
「……ちゃんと、勉強できた?」
美咲が、缶を両手で包みながら尋ねる。
「いや、全然。美咲のことばっかり考えてた」
正直に言うと、彼女は「私も」と、吐息と見分けがつかないくらい小さな声で呟いて、ココアを一口飲んだ。その唇が、微かに濡れて艶めいている。俺は、ごくりと喉を鳴らした。
俺の部屋は、昨日と同じ夕日でオレンジ色に染まっていた。鞄を置き、コートを脱ぐ。しんと静まり返った部屋に、二人分の衣擦れの音だけがやけに大きく響いた。気まずさと期待が混じり合った、奇妙な沈黙。
それを破ったのは、俺だった。
「美咲」
名前を呼ぶと、彼女の肩が小さく跳ねる。俺はゆっくりと彼女の正面に立ち、その瞳をまっすぐに見つめた。
「……昨日の、約束の続き。しても、いいかな」
心臓が早鐘を打っている。断られることはないとわかっていても、この瞬間はひどく緊張した。
「……うん」
美咲は、小さな声で頷いた。その頬は、夕日のせいだけではない赤色に染まっている。
「今日は……もっと、美咲のことを知りたい。だから……触れてもいい?」
俺は許可を求めるように、そっと手を伸ばした。美咲はこくりと頷き、ぎゅっと目を閉じる。その姿が健気で、俺は込み上げる愛しさを必死に抑えつけた。
最初の探求のテーマは、「服の上からの愛撫」。
俺の指先は、まず彼女の肩に触れた。ブレザーの、少し硬い生地。そこから腕を伝い、指先へと滑らせる。華奢な手首、細い指。俺はその指を一本ずつ、なぞるように触れた。美咲の身体がまだ強張っているのが伝わってくる。
焦るな、と自分に言い聞かせる。これは欲望のはけ口じゃない。俺たちの絆を深めるための、大切な儀式なんだ。
俺は美咲の背後に回り、優しく抱きしめるような形で、再び彼女の身体に触れた。指先で、彼女の身体の輪郭を確かめていく。ブレザーの背中から、腰にかけての緩やかなカーブ。スカートの上から、丸みを帯びたお尻のふくらみ。布越しに伝わる体温が、俺の指を熱くする。
「ん……」
美咲の口から、小さな吐息が漏れた。強張っていた身体から、少しずつ力が抜けていくのがわかる。俺の指の動きに合わせて、彼女の身体が微かに揺れた。その反応が嬉しくて、俺はさらに探求を続ける。ウエストのくびれをなぞり、太もものラインを確かめる。彼女の全てを、この指先に記憶させるように。
やがて、俺は彼女の正面に向き直った。美咲は潤んだ瞳で、うっとりと俺を見上げている。その表情に煽られ、俺は覚悟を決めた。
「……美咲。ボタン、外してもいい?」
俺の指は、彼女のブラウスの一番上のボタンに触れていた。美咲は一瞬ためらうように視線を揺らしたが、やがて、俺の瞳をじっと見つめ返すと、静かに、しかしはっきりと頷いた。
俺の指は、微かに震えていた。一つ、また一つと、小さなプラスチックのボタンを外していく。その隙間から、白い肌と、レースの縁取りが施された淡いピンク色のブラジャーが覗く。心臓の音が、うるさいくらいに響いていた。
全てのボタンを外し終え、ブラウスの前をそっと開く。そこには、まだあどけなさを残しながらも、女性らしく柔らかに膨らんだ双丘があった。
俺は息を呑み、おそるおそる、その膨らみに手を伸ばした。指先が、ブラジャーの布地に触れる。その下にある、柔らかくて温かい感触。
「……んっ……ぁ」
美咲の口から、今まで聞いたこともないような、甘い声が漏れた。彼女の身体が、ビクンと弓なりにしなる。初めての感覚に戸惑っているのか、その瞳には生理的な涙が薄っすらと浮かんでいた。
俺は、その膨らみを壊れ物を扱うように、優しく包み込んだ。布越しに、中心にある小さな突起が硬くなっているのがわかる。
「……っ、たく、や……」
吐息に混じって、俺の名前を呼ぶ声。それは、俺が今まで聞いたどんな音楽よりも、甘美なメロディとなって鼓膜を震わせた。
俺は彼女をそっと抱きしめ、何度も髪を撫でた。探求の後、言葉もなく寄り添う。身体の繋がりが、心の繋がりをより深くしたことを、二人ともはっきりと感じていた。
参考書の最初のページは、こうして、確かにめくられたのだった。
### 第3話:吐息のプレリュード
週が明けた月曜日の放課後、俺たちはいつもの帰り道にあるクレープ屋に立ち寄った。甘い香りが漂う店先で、俺はチョコバナナ、美咲はストロベリークリームを注文する。買い食いなんて、ずいぶんと久しぶりだった。
「ん、おいしい」
大きな口でクレープを頬張り、美咲が幸せそうに目を細める。その口の端に、白いクリームがちょこんと付いているのが見えた。
「美咲、ついてるぞ」
「え、どこ?」
俺は笑いながら、自分の親指でそっと彼女のクリームを拭ってやる。触れた指先が、ほんのりと温かい。美咲は「あ、ありがとう」と顔を赤くして俯いた。ただそれだけの、他愛のないやり取り。でも、週末の出来事の後では、その一つ一つの仕草が、なんだか特別な意味を持っているように感じられた。
昨日までの俺なら、きっと何も考えずに「ついてるぞ」と笑って、彼女が自分で拭うのを待っていただろう。でも、今の俺は、無意識に彼女に触れる口実を探していた。俺の指が触れた瞬間、彼女の身体が微かに強張ったことにも、気づいていた。俺たちは、もう以前の俺たちではなかった。
その日は、珍しく美咲の方から「私の部屋で勉強しない?」と誘われた。彼女の部屋に入るのは、本当に久しぶりだった。白を基調とした、清潔で可愛らしい部屋。窓辺には小さな観葉植物が置かれ、本棚には文学全集がきれいに並んでいる。俺の部屋とは大違いだ。
しばらくは真面目に勉強をしていた。だが、ふと顔を上げた俺の視線が、ベッドの脇に置かれた美咲の制服と目が合った時、俺の中の何かが音を立てて動き出す。昨日、俺が指先でなぞった、あの感触。布越しに感じた、彼女の体温と柔らかさ。
俺の視線に気づいたのか、美咲もペンを止めていた。気まずい沈黙が流れる。
「……拓也」
先に口を開いたのは、彼女の方だった。
「……あのね。私も……拓也のこと、もっと知りたいから」
その言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。それは、紛れもなく、次の「実験」への誘いだった。しかも、今度は彼女の方からの。
「……いいのか?」
俺が尋ねると、美咲は決心したように、こくりと強く頷いた。
今日の探求のテーマは、「俺の身体への愛撫」。
俺たちはベッドの縁に並んで腰掛けた。美咲は緊張した面持ちで、おそるおそる俺の学ランのホックに手を伸ばす。カチリ、と小さな金属音がして、俺の上半身を覆っていた黒い生地が左右に開かれた。
白いシャツの上から、彼女の小さな手が、俺の胸にそっと触れる。ひんやりとした指先の感触に、俺は思わず息を呑んだ。美咲は、確かめるように、ゆっくりと俺の胸板や肩のあたりを撫でる。
「……拓也の身体、男の子なんだね。硬い」
ぽつりと、彼女が呟く。その言葉が、やけに扇情的に聞こえた。
やがて、彼女の指はシャツのボタンへと移動する。一つ、また一つとボタンが外され、俺の肌が露わになっていく。美咲の指先が、初めて俺の素肌に直接触れた。
「……ひゃっ」
思わず、変な声が出た。くすぐったさと、未知の快感が入り混じったような感覚。美咲はビクリと手を引っ込めたが、俺は「大丈夫だから、続けて」と、その手を優しく握って促した。
再び触れた彼女の指は、今度は少し大胆になっていた。俺の胸の、小さな突起を指先でなぞる。ぞくり、と背筋に電気が走った。こんな場所が、こんなにも感じやすいなんて、今まで知らなかった。俺は、必死に漏れそうになる声を堪える。
しばらくして、美咲の視線が、ゆっくりと下の方へと落ちていくのがわかった。俺のスラックスの中心。そこは、彼女の愛撫によって、とっくに熱を持って硬く膨らんでいた。
美咲はごくりと喉を鳴らし、震える手を、その膨らみへと伸ばす。そして、ズボンの上から、ゆっくりと、確かめるように、俺のペニスを握った。
「……っ!」
布越しに伝わる、彼女の柔らかな手の感触。それは、昨日俺が彼女にしたことよりも、何倍も強烈な刺激となって、俺の全身を貫いた。
「……すごい。熱い……硬い……」
美咲は、まるで未知の生物にでも触れるかのように、呟きながらその感触を確かめている。顔は真っ赤で、瞳は潤み、好奇心と羞恥心でいっぱいになっているのが見て取れた。
初めて触れる、男性の象徴。その存在感に圧倒されながらも、彼女は、自分が俺をこれほどまでに興奮させているという事実に、確かな喜びを感じているようだった。
俺は、ただただ歯を食いしばり、この甘い拷問に耐える。彼女の純粋な探求心を受け止めるだけで、精一杯だった。
吐息だけが響く静かな部屋で、俺たちの参考書の新しいページが、また一つ、静かに、しかし確実に、開かれたのだった。
### 第4話:秘密の楽園
週末、俺は美咲を学校に呼び出した。文化祭でもない時期に、閑散とした校舎。その一角にある、普段は使われていない視聴覚室が、俺の所属する写真部のささやかな展示会場になっていた。
「わ……すごい」
部屋に入るなり、美咲が小さく感嘆の声を上げる。壁一面に貼られた、部員たちが撮ったモノクロームの写真。ありふれた日常の風景が、光と影のアートになって切り取られている。俺は少し照れくさい気持ちで、美咲を部屋の奥へと案内した。
「……これ、俺が撮ったんだ」
俺が指し示した一枚の写真の前で、美咲は足を止めた。そこに写っているのは、俺の部屋の窓辺で、夕日を浴びながらうたた寝をしている美咲の横顔だった。穏やかな寝息が聞こえてきそうな、柔らかな光に満ちた一枚。俺が、一番気に入っている写真だ。
「……いつの間に、撮ったの」
「美咲が気持ちよさそうに寝てたから、つい」
「もう……。なんだか、恥ずかしいよ」
そう言って、美咲は自分の写った写真から目が離せないでいる。その頬はほんのりと赤く染まっていたが、その表情は、どこか嬉しそうにも見えた。ファインダー越しに見た、俺だけの美咲。彼女の知らない彼女の姿を、俺は知っている。その事実が、たまらなく愛おしかった。
帰り道、二人で並んで歩く。写真展の興奮が、まだ胸の中に温かく残っていた。
「レンズを通すだけじゃなくて……俺は、美咲の全部を、もっと知りたいな」
俺がぽつりと呟くと、美咲は黙って、俺の制服の袖をきゅっと掴んだ。それが、彼女なりの返事なのだとわかった。
俺の部屋。夕日が差し込む光景はいつもと同じなのに、今日は空気が違う。写真展で互いの気持ちを確かめ合ったせいか、部屋の中には甘く、濃密な信頼感が満ちていた。
俺たちは、どちらからともなく抱き合い、深くキスを交わす。これまでの探求で、俺たちの身体は正直になっていた。触れ合うだけで、互いの熱がじんわりと伝わり、身体の奥が疼き出す。
唇を離し、俺は美咲の瞳をじっと見つめた。
「美咲……。もっと、美咲の綺麗なところ、教えてほしい」
「……きれいな、ところ?」
「うん。一番……秘密の場所。俺にだけ、見せてくれないかな」
その言葉が何を意味するのか、美咲にはすぐにわかったのだろう。彼女の顔から、さっと血の気が引いた。でも、俺の瞳から逃げることはしない。しばらくの沈黙の後、彼女は震える声で、「……拓也になら」とだけ言って、小さく頷いた。
今日のテーマは、無言のまま決まった。俺たちの探求の中で、最も深く、デリケートな挑戦。
俺は美咲をベッドに優しく座らせ、その前に跪いた。まるで、聖なる儀式に臨むかのように。スカートをそっとめくり上げ、タイツをゆっくりと脱がせていく。そして、最後の一枚、淡い水色のショーツに指をかけた。
「……っ」
美咲が息を呑む。俺は動きを止め、彼女の顔を見た。「大丈夫?」と目で問いかけると、彼女は涙が膜を張った瞳で、もう一度、強く頷いた。
ショーツが引き下げられ、ついに、彼女の最も隠された場所が露わになる。そこは、俺が今まで見たどんな景色よりも、神聖で、美しい場所のように思えた。俺は畏敬の念に打たれ、ただじっと見つめてしまう。その視線に耐えかねたように、美咲は両手で顔を覆った。
「……ごめん。そんなに見ないで……」
「ごめん。……だって、すごく綺麗だから」
俺の正直な言葉に、美咲の指の隙間から、赤い耳たぶが覗いていた。
俺は、まず指先で、そっとその花弁に触れた。ビクン、と彼女の身体が跳ねる。濡れた熱を帯びた感触が、俺の指に伝わってきた。ゆっくりと、優しく、その場所の形を確かめるように撫でる。
「ん……ぁ……」
美咲の口から、か細い声が漏れ始めた。
そして、俺は覚悟を決め、顔を寄せた。生温かい、甘い蜜の香り。俺はゆっくりと、その泉に舌を這わせた。
「……ひっ……!? だ、め……っ、そこは……!」
美咲が、悲鳴のような声を上げた。羞恥心と、未知の感覚。その奔流が、彼女の理性をめちゃくちゃに揺さぶっているのがわかった。腰を引いて逃げようとするのを、俺は彼女の太ももを掴んで、優しく制する。
「大丈夫。力を抜いて。俺を信じて」
耳元で囁きながら、俺は執拗に、しかしどこまでも丁寧に、彼女の楽園を探求した。硬く尖った蕾を舌で転がし、花弁の内側を優しく吸い上げる。
「ぁ……あ……っ、ん、ぅ……いや、や……っ」
最初は拒絶の言葉を繰り返していた美咲の声が、次第に甘い喘ぎに変わっていく。シーツを握りしめる指に力がこもり、彼女の腰が、俺の動きに合わせて、くなくたと揺れ始めた。
もう、あと少し。俺にはわかった。
俺は動きの緩急をつけ、最後に、一番敏感な場所を強く吸い上げた。
「……あ……ッ、ああああああッ!」
美咲の身体が、白魚のように大きくしなった。甲高い絶頂の声が、部屋に響き渡る。全身がけいれんし、秘部からは、愛液がとめどなく溢れ出した。
俺が顔を上げると、美咲は、燃え尽きたようにぐったりとしながら、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしていた。それは、羞恥と歓喜と、そして安堵が入り混じった、美しい涙だった。
俺は、そんな彼女の身体を、上から覆いかぶさるように、力の限り抱きしめた。
「……拓也……っ、ひっく……」
「うん。ここにいるよ」
自分の最も柔らかな場所を、無防備に晒し、受け入れられたこと。その事実は、美咲の中にあった最後の壁を、跡形もなく溶かしてしまった。俺の腕の中でしゃくり上げながら、彼女は、絶対的な信頼をその身に刻みつけている。
こうして俺たちは、また一つ、深く、深く、繋がったのだった。
### 第5話:甘い奉仕
最初の大学入学共通テスト模試の結果が、インターネット上で公開された。自分の受験番号とパスワードを入力する指が、緊張で微かに震える。隣で息を詰めて画面を覗き込む美咲の肩が、俺の腕にそっと触れていた。
エンターキーを押す。表示された結果のページ。俺と美咲の名前、そして、志望校の欄には、くっきりと『A判定』の文字が並んで踊っていた。
「……やった!」
「やったね、拓也!」
どちらからともなく、俺たちは声を上げてハイタッチを交わし、そのまま勢いよく抱き合った。長い受験勉強の中で、ようやく掴んだ確かな手応え。それは、俺たちの未来が地続きであることを証明する、最初の道標だった。
「よし、今日はお祝いだ。ちょっと贅沢しようぜ」
俺の提案に、美咲は満面の笑みで頷いた。
俺たちが向かったのは、駅ビルに入っている、少しだけ高級なフルーツパーラーだった。きらびやかなシャンデリアの下、俺たちはショーウィンドウに並んだ芸術品のようなパフェを前にして、子供のようにはしゃいだ。俺はマスクメロンのパフェを、美咲は白桃のパフェを注文する。運ばれてきたガラスの器は、俺たちの勝利を祝福するトロフィーのように輝いて見えた。
「美味しい……」
冷たいクリームと瑞々しい果物が、勉強で疲れた脳にじんわりと染み渡っていく。二人で将来の話をした。どんな大学生活が待っているだろう。一緒にサークルに入ろうか。そんな他愛のない会話の一つ一つが、今はキラキラと輝いて聞こえた。この幸福感も、隣に美咲がいてくれるからこそなのだと、俺は改めて実感していた。
その日の放課後、俺たちは自然な流れで美咲の部屋に来ていた。お祝いの続き、というわけではないが、浮かれた気分のまま離れがたかったのだ。
参考書を広げてはみたものの、やはり勉強は手につかない。甘いパフェの余韻と、すぐそばにある互いの体温が、部屋の空気をゆっくりと変えていく。
不意に、美咲が俺の手を握ってきた。見つめると、その瞳は真剣な光を宿している。
「……ねぇ、拓也」
「ん?」
「この前の……お返し、私にもさせてほしいな」
お返し、という言葉で、俺はすぐに彼女が何を言いたいのかを悟った。前回、俺が彼女にした、あの献身的な愛撫。それに対して、今度は自分が応えたいと、彼女はそう言っているのだ。
「美咲……」
驚きで、言葉が出ない。そんな俺の反応を見て、美咲は不安になったのだろう。
「……ダメ、かな? 拓也を、喜ばせたいの。私……」
消え入りそうな声で、しかしはっきりと告げられた願い。その健気さに、胸が締め付けられるようだった。断るなんて選択肢、あるはずがない。
俺は何も言わず、彼女の手を握り返し、強く頷いた。
俺はベッドに腰掛け、美咲は俺の前に跪く。前回とは、全く逆の構図だった。
彼女の震える指が、俺のズボンのベルトを外し、ファスナーを下ろしていく。解放された俺のペニスは、すでに期待で硬く熱を帯びていた。美咲は、それを目の前にして、ごくりと喉を鳴らす。
知識としては知っていても、実際にどうすればいいのかはわからないのだろう。ぎこちない手つきで、おそるおそる俺のペニスに触れる。その指先の感触だけで、俺の身体はビクンと反応してしまった。
やがて、彼女は覚悟を決めたように顔を近づけてくる。そして、ゆっくりと、その先端を、温かくて柔らかい唇で包み込んだ。
「……んっ……」
今まで経験したことのない、直接的で甘美な感触。俺は思わず腰を揺らしそうになるのを、必死に堪えた。
美咲は、最初は戸惑っていたようだった。浅く咥えたり、時折、歯が当たってしまったり。そのたびに、申し訳なさそうな顔で俺を見上げてくる。
俺は、そんな彼女の頭に、そっと手を置いた。無理強いするつもりはない。ただ、大丈夫だよ、という気持ちを伝えたかった。優しく髪を撫でながら、ゆっくりと腰を動かして、リズムを教えてやる。
「……ん、ぅ……」
俺のリードに、美咲は少しずつコツを掴んでいったようだった。戸惑いが消え、その瞳には、ただひたすらに俺を喜ばせたいという、純粋な奉仕の色が浮かんでくる。彼女の口の中が、俺の形で満たされる。その事実が、たまらない興奮を呼び覚ました。
「……みさき……っ、いい……すごく、いいよ……」
喘ぎながら賞賛の言葉を告げると、彼女は嬉しそうに、さらに深く、そして情熱的に、俺を受け入れた。
もう、限界だった。腹の底から、熱い塊が突き上げてくる。
だが、その瞬間。俺の脳裏に、彼女の清潔で、可愛らしい部屋の光景がよぎった。ここで、彼女を汚すわけにはいかない。
「……っ、美咲、ごめん……!」
俺は射精の寸前で、衝動的に彼女の口からペニスを引き抜いた。美咲は、何が起こったのかわからず、きょとんとした顔で俺を見上げている。その口元は、俺の愛液で小さく濡れていた。
「……ごめん。すごく、よかった。よすぎて……ダメかと思った」
息を切らしながら言うと、美咲は一瞬ぽかんとした後、全てを察して、顔を真っ赤にした。
「……そ、そっか……」
少し気まずい沈黙が流れる。やがて、俺たちはどちらからともなく、ふっと笑い合った。
「……ありがとう、美咲」
「……ううん。こちらこそ、ありがとう」
相手を喜ばせたいという純粋な奉仕の気持ちと、相手を汚すまいとする切実な思いやり。その二つが交差した時、俺たちの絆は、また少しだけ、不器用で、どうしようもなく強固なものになった気がした。
### 第6話:交差する熱
街が一年で最も輝く季節がやってきた。冬休みに入り、俺と美咲は、駅前の広場で行われているクリスマスイルミネーションを見に来ていた。吐く息は白く、かじかむ指先を温めるように、俺たちは固く手を繋いで歩く。
無数のLEDライトが作り出す光のトンネルは、まるで異世界への入り口のようだった。青、白、そしてシャンパンゴールドの光が、俺たちを包み込み、現実から切り離していく。
「……きれい」
美咲が、うっとりと吐息を漏らす。光の粒が、彼女の大きな瞳の中でキラキラと反射していた。その幻想的な光景に、俺はカメラを持ってこなかったことを少しだけ後悔した。いや、でも、この景色は写真になんて残せない。今、この瞬間、俺の目に映る美咲の姿は、俺だけのものにしておきたかった。
ベンチに座り、俺はポケットから小さな箱を取り出した。
「美咲、メリークリスマス」
「わ……ありがとう」
中身は、雪の結晶をかたどった、小ぶりなネックレスだ。美咲は「私も」と言って、少し大きめの紙袋を差し出してきた。中には、手触りのいい、チャコールグレーの手編みのマフラーが入っていた。
「すごい、美咲が編んだのか?」
「うん……。ちょっと不格好だけど」
「そんなことない。すげぇ嬉しい。ありがとう」
俺はすぐさまそのマフラーを首に巻いた。彼女の温もりと、優しい匂いに包まれた気がして、胸の奥がじんわりと熱くなる。高価なプレゼントよりも、ずっと、ずっと価値のある宝物だった。
イルミネーションの魔法が解けないまま、俺たちは俺の部屋に帰ってきた。買ってきたチキンと小さなケーキでささやかなパーティーを開く。窓の外の暗闇とは対照的に、部屋の中は温かな光と幸福感で満たされていた。
食事が終わり、皿を片付けた後、どちらからともなく、俺たちは唇を重ねていた。
「……拓也。メリークリスマス」
「うん。メリークリスマス、美咲」
それは、今日という特別な夜を始めるための、合図のキスだった。
今日のテーマは、これまでの探求の集大成。挿入をしないというルールの中で、最も深く一体感を得られる行為。
俺たちは、互いの服を一枚ずつ、慈しむように脱がせていった。それはもう、探求のための準備というよりは、プレゼントの包装を解くような、神聖な儀式に近かった。やがて、生まれたままの姿になった俺たちは、少しだけ照れながら、ベッドの上で向かい合う。
まずは、これまでの復習のように、互いの身体を隅々まで手で、そして唇で確かめ合った。彼女の胸の膨らみ、ウエストのくびれ、そして秘密の楽園。俺の胸板、硬い腹筋、そして熱く滾る欲望の象徴。互いの性感帯は、もうすっかり知り尽くしている。
「……んっ、ぁ……」
「……は……っ」
部屋に、濡れた吐息だけが響いた。
そして、俺は美咲の身体を抱き寄せ、ゆっくりと自分の方へと引き寄せた。裸の肌と肌が、寸分の隙間もなく密着する。ひんやりとしたシーツとは対照的な、燃えるような熱が、触れ合った部分からじわりと広がっていく。
「……美咲」
俺は、彼女の脚を自分の腰に絡ませるように促した。そうすることで、互いの最も敏感な部分が、自然と触れ合う。美咲の秘裂から溢れ出た愛液が、俺の屹立した先端を濡らした。
「……あ……っ」
美咲が、驚いたように声を上げる。その熱と、濡れた感触。直接的な接触がもたらす快感は、今までのどんな探求よりも鮮烈だった。
俺は、ゆっくりと腰を揺らし始めた。こすり合わせるような、円を描くような、優しい動き。
「……ん、んぅ……っ、たくや……、そこ……っ」
美咲も、最初は戸惑っていたが、やがて快感に身を任せるように、俺の動きに合わせて腰をくねらせ始める。熱と熱が交差し、摩擦が、とろけるような快感を生み出していく。俺たちは、互いの瞳をじっと見つめ合った。そこに映るのは、欲望に濡れ、だらしなく蕩けた、自分自身の顔。
動きが、次第に激しくなる。もう、どちらがリードしているのかもわからない。ただ、一つの快感に向かって、二人でひたすらに身体を求め合った。
「いく……っ、拓也、いっちゃう……!」
「……俺も……! 一緒に……っ!」
視界が白く点滅し、思考が焼き切れる。俺は美咲の身体を強く抱きしめ、彼女もまた、俺の背中に爪を立てた。
そして、次の瞬間。
「「……あ……ッ!」」
全く同じタイミングで、俺たちの身体が大きく痙攣した。腹の底から突き上げるような、強烈な絶頂の波。それは、二つの身体を駆け巡り、やがて一つの大きなうねりとなって、俺たちを飲み込んでいった。
どれくらいの時間が経っただろう。俺たちは、汗ばんだ身体を重ねたまま、荒い息を整えていた。心臓が、まだ耳元でうるさく脈打っている。
「……すごい……」
美咲が、夢うつつの状態で呟いた。
「……うん。すごいな」
挿入なんてしなくても、ここまで深く、一つになれる。その発見は、感動的ですらあった。俺たちのやってきたことは、間違いじゃなかったんだ。
俺は、愛しさが込み上げて、美咲の髪に何度もキスをした。
だが、その完璧な一体感の余韻の中で、俺の心の片隅に、小さな、しかし消すことのできない疑問が芽生えていることにも、気づいていた。
――この熱が、もし、本当に交わってしまったら。俺たちは、一体どうなってしまうのだろう。
その甘美で、同時に恐ろしい想像。それは、俺たちの参考書に、まだ書かれていない、次のページの存在を、確かに予感させていた。
### 第7話:鏡の中のフーガ
年が明け、元旦。俺たちは、吐く息も凍りそうなほど澄み切った空気の中、揃って初詣へと出かけた。大晦日の喧騒が嘘のように静まり返った境内。俺たちは、賽銭箱にそっと小銭を投げ入れ、二礼二拍手一礼の作法で、並んで静かに手を合わせる。願うことは、もちろん一つだけだ。
おみくじを引くと、驚いたことに、二人とも全く同じ番号で、全く同じ『吉』だった。書かれている内容もほとんど同じ。「学問:安心して勉学に励め」「恋愛:この人を信じなさい。ただし焦りは禁物」。まるで俺たちのことを見透かしているような言葉に、思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
二人で一枚の絵馬を買い、震える手で、同じ願い事を書き込む。『二人で、同じ大学に合格できますように』。隣で同じ文字をなぞる美咲の真剣な横顔を、俺は忘れないだろうと思った。
帰りがけに、境内の隅にある茶屋で熱い缶ココアを一つだけ買った。冷え切った指先を温めながら、一つの缶を交互に飲む。人いきれから離れたその場所だけが、俺たち二人だけの世界のようだった。新しい年の始まりが、こんなにも穏やかで、希望に満ちている。それだけで、俺は十分に幸せだった。
その日の午後、俺たちは拓也の部屋にいた。新年早々、親戚への挨拶回りで両親が出払っているのだ。部屋の中は、暖房が効いていて暖かい。初詣の余韻が残る、どこか満ち足りた空気の中、美咲がドレッサーの前に座って、マフラーで少し乱れた髪を直していた。
俺がその後ろに立つと、鏡の中に、並んだ俺たちの姿が映る。その光景を眺めているうちに、ふと、ある好奇心がむくむくと湧き上がってきた。
「なぁ、美咲」
「ん?」
「俺たちさ、お互いのこと、たくさん触ってきたけど……ちゃんと、見たことって、ないよな」
「え……?」
俺はクローゼットの奥から、普段は使っていない大きな姿見を取り出した。そして、部屋の真ん中に、それを立てかける。鏡は、俺たちの姿を、頭のてっぺんからつま先まで、ありのままに映し出した。
「……見てみないか。俺たちが、どんな顔して、どんな身体してるのか」
俺の突飛な提案に、美咲は息を呑んだ。その瞳には、戸惑いと、それから、抗いがたい好奇の色が浮かんでいた。
今日の探求のテーマは、鏡を使った相互観察。
服を脱いでいくたびに、鏡の中の自分たちが、どんどん無防備になっていく。最後の一枚を脱ぎ捨て、ついに、互いの裸が鏡の中に並んで映し出された時、俺たちは言葉を失った。
強烈な羞恥心。それは、二人きりの時とは全く違う種類の感情だった。鏡という客観的な視点が、自分たちの行為の特異性を、まざまざと突きつけてくる。俺も美咲も、顔を真っ赤にして、思わず視線を逸らしてしまった。
だが、沈黙を破ったのは俺だった。俺は、美咲本人ではなく、鏡の中にいる彼女の像を、じっと見つめた。
「……美咲は、やっぱり綺麗だな」
それは、心の底から漏れた本音だった。しなやかな首筋、なだらかな肩のライン、柔らかく膨らんだ胸、そしてキュッとくびれた腰。その全てが、完璧なバランスでそこにあった。
俺の視線に気づいたのだろう。美咲は、おそるおそる顔を上げて、鏡の中の俺と、俺に見つめられている自分自身の姿を見た。彼女の瞳が、大きく見開かれる。
鏡に映る俺の目は、欲望の色よりも、もっと純粋な、ほとんど崇拝に近い光を宿していた。自分の裸の身体が、こんなにも愛おしそうな眼差しで見つめられている。その事実は、彼女の中から羞恥心を追いやり、代わりに、誇らしいような、くすぐったいような、新しい感情を芽生えさせていた。
俺たちは、まず、鏡に映った相手の像の輪郭を、指先でそっとなぞった。そして、向き直り、今度は本物の身体に触れ、その感触を確かめながら、再び鏡の中の俺たちを見る。視覚と触覚が同時に刺激され、不思議な没入感が俺たちを包んだ。
やがて、俺たちは互いの性器の前に跪いた。
「……拓也の、ここは……こんな色をしてるんだね」
美咲が、俺のペニスを指先でつまみ、呟く。
「美咲のそこは……花びらみたいだ。すごく、複雑で綺麗な形してる」
俺もまた、彼女の秘裂にそっと触れながら、思ったままを口にした。
言葉で確かめ合い、指で確かめ合い、そして、鏡に映るその光景を目で確かめ合う。その行為は、性的な興奮よりも、もっと知的な探求心を満たしていくものだった。
探求を終えた後、俺たちは鏡の前に並んで立ち、裸のまま、どちらからともなく抱き合った。鏡の中では、一つの生き物のように、俺たちの身体がぴったりと重なっている。
「……なんだか、自分の身体じゃないみたい」
「わかる。でも、これが俺たちなんだな」
フーガのように、視覚と触覚、そして言葉が複雑に絡み合い、追いかけ合う。その不思議な調べを通して、俺たちは、互いの身体に対する理解を、また一段、深く、深く、掘り下げたのだった。
### 第8話:バスルームのノクターン
一月中旬。俺たちの高校生活における、最初の、そして最大の関門である大学入学共通テストが終わった。自己採点のために俺の部屋に集まった俺たちは、予備校サイトに公開された解答速報を前に、固唾を呑んで自分の答案用紙に赤ペンを走らせていた。
結果は、上々だった。二人とも、目標としていた点数をクリアしており、第一志望の国立大学に出願できるだけの十分な手応えを得ることができた。
「……よかったぁ……」
「本当にな……」
全身から力が抜けていく。俺たちは顔を見合わせ、安堵のため息をつくと、どちらからともなく笑い出した。二次試験という、本当の戦いはこれからだ。でも、今だけは、このつかの間の解放感に浸っていたかった。
「よし、今夜は鍋にしようぜ。二次試験に向けて、英気を養うんだ」
ちょうど両親が旅行で不在にしていることもあり、俺はそう提案した。美咲は「やったあ!」と、子供のようにはしゃいで賛成してくれた。
スーパーで買い出しを済ませ、二人で台所に立つ。白菜をザクザクと切る美咲の隣で、俺は鶏肉を一口大に切り分ける。そんな、ありふれた共同作業が、今は何よりも楽しく、愛おしい。
卓上コンロの上で、土鍋がくつくつと優しい音を立てる。湯気でほんのり上気した美咲の頬が、とても綺麗だと思った。俺たちは一つの鍋をつつきながら、試験の反省をしたり、くだらないテレビ番組を見て笑ったりした。身体の芯から温まっていくと同時に、強張っていた心も、ゆっくりと解れていくのを感じた。
食事が終わり、皿を洗い終えた後。俺は、少しだけ躊躇いながら、口を開いた。
「……なあ、美咲。風呂、入ってくだろ?」
「うん、そうだね。お鍋で汗かいちゃったし」
「……その、さ。もし、よかったら……一緒に入るか?」
俺の言葉に、美咲は動きを止めた。その頬が、みるみるうちに赤く染まっていく。俺たちの探求は、ここまで様々なステップを踏んできた。でも、お風呂というのは、また一つ、特別なハードルのように思えた。
だが、美咲は、俺の目をじっと見つめ返すと、照れながらも、はっきりと頷いた。
「……うん。一緒がいい」
脱衣所で服を脱ぎ、二人でバスルームの扉を開ける。途端に、もわりとした湯気が俺たちの身体を包み込んだ。何もかもが白く霞んで見える、幻想的な空間。シャワーの温かいお湯が身体にかかると、ぞくぞくとした快感が背筋を走った。
「俺が、髪洗ってやるよ」
俺はそう言って、美咲の後ろに回り、小さな椅子に座らせた。シャンプーを泡立て、彼女のしなやかな黒髪を、指の腹で優しく揉み洗いしていく。
「ん……気持ちい……」
目を閉じて、身を任せる美咲。その無防備な姿に、俺は強い庇護欲を掻き立てられた。シャワーで泡を流すと、濡れたうなじがやけに艶めかしく見える。
「……じゃあ、今度は私の番」
今度は美咲が、俺の背中を流してくれた。小さな手が、石鹸の泡とともに、俺の背中の筋肉をなぞっていく。水に濡れた肌は、いつもよりずっと敏感になっていて、彼女の指先が触れるたびに、甘い痺れが身体中に広がった。
身体を洗い終え、俺たちは湯船に身体を沈めた。二人で入るには、少しだけ狭いバスタブ。必然的に、肌と肌が密着する。湯の浮力で身体が軽くなり、現実感も一緒にどこかへ飛んでいってしまいそうだった。
向かい合う形で、俺たちの脚が自然と絡み合う。そして、水面下で、俺たちの手が、互いの最も柔らかな場所を探り当てた。
お湯の中での感触は、今までとは全く違っていた。直接的ではないのに、水の抵抗と滑らかさが、かえって官能を刺激する。
「……ぁ、ん……」
「……は……っ」
湯気の中に、二人分の濡れた喘ぎが溶けていく。
美咲が、俺の腰に脚を絡めてきた。その瞬間、俺の硬く屹立したペニスが、彼女の秘裂の入り口に、ぴたりと押し当てられた。濡れた肌と、お湯の滑らかさ。それは、最悪なまでに完璧な潤滑剤の役割を果たしていた。
――いける。このまま少し腰を動かせば、俺たちのルールは、あまりにも簡単に破られてしまう。
その考えが頭をよぎった瞬間、俺の全身に電流が走った。美咲の顔を見る。彼女もまた、快感に蕩けながらも、その瞳の奥に、怯えと、そして抗いがたい誘惑の色を浮かべていた。互いの視線が絡み合い、息が止まる。このまま、堕ちてしまうのか。
「……っ、美咲……!」
俺は、最後の理性を振り絞って、彼女の肩を掴んだ。
「これ以上は……やばい」
喘ぎながら言うと、美咲も「……うん」と、震える声で頷いた。
俺たちは、湯船の中で、互いの額をくっつけ合ったまま、しばらく動けなかった。危険な誘惑を、二人でなんとか乗り越えた安堵感。そして、自分たちのルールが、いかに脆いものかを思い知らされた、新しい恐怖。
バスルームの湯気の中で奏でられた甘い夜想曲は、不協和音寸前の、緊迫した響きを残して、静かに終わりを告げたのだった。
### 第9話:すれ違いのスケルツォ
二月十四日。校内が、どこかそわそわと浮き足立った空気に包まれる日。昼休み、俺は美咲に校舎裏へと呼び出された。
「はい、拓也。チョコレート」
「お、サンキュ」
リボンがかけられた可愛らしい小箱を受け取る。中身は、きっと彼女の手作りだろう。嬉しい。嬉しいはずなのに、俺たちの間には、どこかぎこちない空気が流れていた。あのバスルームでの一件以来、俺たちは互いにどう距離を取ればいいのか、わからなくなってしまっていたのだ。一線を越えかけたあの熱っぽい記憶が、無邪気な笑顔の邪魔をする。
その日の放課後、俺が部室に顔を出している間、美咲は教室で友人たちと話していたらしい。俺が迎えに行くと、彼女たちのグループは、ちょうど恋愛の話で盛り上がっているところだった。
「……でね、昨日の夜、ついに最後までしちゃった」
「えー! マジで!? どうだった?」
聞こえてきた会話に、俺は思わず足を止める。美咲の表情が、さっと凍りついたのがわかった。友人たちは、悪気なく、楽しそうに笑い合っている。それは、この世界のどこにでもある、ごく普通の高校生の会話。でも、その「普通」が、今の俺たちにとっては、鋭いナイフのように突き刺さった。美咲は、無理やり笑顔を作って相槌を打っていたが、その指先が、スカートを強く握りしめているのを、俺は見逃さなかった。
帰り道、俺たちはほとんど口を利かなかった。重たい沈黙が、二人分の足音の間に、ずしりと横たわっている。
俺の部屋に入り、参考書を開いても、状況は同じだった。シャープペンシルを走らせる音だけが、虚しく部屋に響く。美咲が、何を考えているのか。俺が、何を考えているのか。お互いにわかっているのに、その核心に触れるのが怖かった。
どれくらい、そうしていただろうか。不意に、美咲が、ぽつりと呟いた。
「……ねぇ、拓也」
その声は、ひどくか細く、震えていた。
「……私たちって、普通じゃないのかな」
その一言が、張り詰めていた糸を、ぷつりと断ち切った。
「……何だよ、普通って」
自分でも驚くほど、冷たい声が出た。苛立っていた。美咲に対してじゃない。何もできない、自分自身に対してだ。
「だって……!」
美咲が顔を上げる。その瞳には、涙が浮かんでいた。
「みんな、普通にしてる……。好きな人と、最後まで結ばれるのが、普通なんでしょ……? 私のわがままが、拓也を苦しめてるんじゃないかなって……拓也は、本当は、私としたいんじゃないかなって……!」
彼女の言葉が、俺の心の、ずっと蓋をしていた部分をこじ開けた。そうだ。したいに決まってる。お前をめちゃくちゃに抱きたいと、毎日、毎時間、毎分毎秒、考えてる。
「……苦しいよ」
俺の口から、本音がこぼれ落ちた。
「苦しいに決まってんだろ……! 美咲のこと、死ぬほど好きなんだ。触れたら、キスしたら、その先にいきたくなるのは当たり前だろ……! いつもいつも、ギリギリのところで理性を総動員して、止めてるんだ。どれだけ、大変なことか……美咲にわかるかよ……!」
言ってはいけないことだった。彼女を傷つけるだけだとわかっていたのに、一度溢れ出した感情は、もう止められなかった。
俺の言葉に、美咲の瞳から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。彼女は、わなわなと唇を震わせ、嗚咽を漏らした。
「……ごめ……なさい……っ。私、そんなことも、わからなくて……っ」
違う。俺は、美咲を責めたいんじゃない。ただ、この苦しさを、わかってほしかった。
「ごめん……。俺こそ、ごめん。八つ当たりだ」
俺は彼女の隣に座り、その震える肩を、そっと抱き寄せた。美咲は、俺の胸に顔を埋めて、子供のように声を上げて泣いた。
「……怖かったの……」
しゃくり上げながら、彼女が言う。
「拓也が、私に飽きちゃうんじゃないかって……。私じゃ、満足できないんじゃないかって……。いつか、私のこと、嫌いになるんじゃないかって……!」
その言葉が、俺の胸を強く打った。俺が自分の欲望と戦っている間、彼女は、そんな不安と戦っていたのか。馬鹿野郎だ、俺は。一番、大事なことを見失っていた。
「……嫌いになんて、なるわけないだろ」
俺は、彼女の身体を、もっと強く抱きしめた。
「俺は、美咲がいいんだ。最後までできなくたって、他の誰かと普通の関係になるくらいなら、俺は、美咲とこういう歪な関係のままの方が、百万倍幸せなんだよ」
涙でぐしゃぐしゃの声で、それでも、必死に想いを伝える。
「辛いのも、苦しいのも、全部、お前が好きだからだ。……だから、一緒にいてくれよ。俺たちだけの、普通じゃない愛の形を、一緒に探してくれよ」
俺の言葉に、美咲は、しゃくり上げながら、何度も、何度も、深く頷いた。
その夜、俺たちの参考書には、何も書き加えられなかった。代わりに、涙で濡れたページには、これまでのどんな探求よりも深く、互いの心が交わった証が、確かに刻みつけられたのだった。
### 第10話:感覚のシンフォニア
二月の下旬、俺たちは国立大学の二次試験を終えた。鉛のように重かった受験勉強という名の鎧を、ようやく脱ぎ捨てることができたのだ。大学のキャンパスから解放され、外に出た瞬間の、あの空の青さと空気の冷たさを、俺はきっと一生忘れないだろう。
合格発表までの約二週間は、神様がくれた、ほんの少し遅い冬休みだった。俺たちは、これまで我慢していたことを、一つずつ実行していった。話題の恋愛映画を観に行って、ありきたりな展開に二人で泣いた。冷たい風が吹く冬の海を見に行って、どちらが遠くまで石を投げられるかなんて、子供みたいな競争をした。
ただ、手を繋いで、街を歩く。受験期には、それすらも贅沢だった。今は、その当たり前の時間が、何よりも愛おしく、輝いて感じられた。先日の嵐のような心のすれ違いを乗り越えた俺たちは、以前よりもずっと穏やかで、深い信頼感で結ばれていた。
二次試験が終わってから最初の週末。俺たちは、拓也の部屋にいた。何か特別なことをするわけでもなく、ただ寄り添って、音楽を聴いていた。穏やかで、優しい時間。
不意に、俺は口を開いた。
「なぁ、美咲。俺たちの参考書、次のページを開いてみないか」
それは、衝動的な欲望から出た言葉ではなかった。大きな山を乗り越え、精神的に一回り成長した今だからこそできる、新しい探求への誘いだった。美咲は、俺の意図を正確に汲み取ってくれたのだろう。何も言わずに、こくりと頷いた。
「今日は、いつもと違うことをしたい。……目を、使わないで、お互いを感じてみるんだ」
俺は、机の引き出しから、二本の黒いネクタイを取り出した。
今日のテーマは、視覚を閉ざし、他の全ての感覚を研ぎ澄ませて相手を感じること。
俺たちはベッドの上に向かい合って座り、互いの目に、ゆっくりとネクタイを結びつけた。ふっ、と世界から光が消える。途端に、聴覚や嗅覚が、刃物のように鋭敏になるのを感じた。すぐ目の前にいる美咲の、シャンプーが混じった甘い香り。緊張で、少しだけ速くなった彼女の呼吸の音。その一つ一つが、暗闇の中で、圧倒的な情報量を持って俺の中に流れ込んでくる。
「……怖い?」
「……ううん。拓也が、そこにいるのがわかるから」
声だけが、俺たちを繋ぐ唯一の光だった。
俺たちは、まず、音と匂いだけで相手の存在を確かめ合った。そして、おそるおそる、暗闇の中へと手を伸ばす。指先が、何か温かいものに触れた。美咲の腕だ。
「……っ」
触れた瞬間、互いの身体が小さく震えた。視覚がないだけで、ただ触れるという行為が、これほどまでに刺激的になるなんて。
俺たちの手は、まるで初めて出会った生き物を確かめるかのように、ゆっくりと、互いの身体を彷徨い始めた。指先が、俺たちの目になる。肌のきめ細かさ、筋肉のしなやかな動き、緊張で浮き出た鳥肌。その全てが、暗闇の中で、鮮烈なイメージとなって脳裏に焼き付いていく。
服を脱がせ合う時も、俺たちは一切、口を利かなかった。布地が肌を擦る音と、互いの吐息だけが、行為の進行を伝えてくる。
やがて、完全に裸になった俺たちは、再び互いの身体を探り合った。指先が、彼女の胸の膨らみに触れる。途端に、びくりと震える感触が伝わり、彼女の口から「……ひゃっ」というか細い声が漏れた。その声が、俺の欲望を直接的に刺激する。
俺も、美咲の指が俺のペニスに触れた時、思わず腰を揺らしてしまった。
「……すごい。熱い……」
美咲の吐息混じりの声が、耳元をくすぐる。
視覚が奪われた世界では、音と、匂いと、感触だけが全てだった。彼女の肌の甘い香り。愛撫によって漏れ出す、切なげな喘ぎ声。シーツを握りしめる指の微かな動き。それら全ての感覚が、俺の頭の中で一つの交響曲のように重なり合い、増幅されていく。
俺は、彼女の秘密の楽園に指を伸ばした。すでにそこは、温かい蜜でたっぷりと濡れている。俺が指を動かすたびに、美咲は甲高い声で喘いだ。その声だけを頼りに、俺は彼女が一番感じるところを探っていく。
「……あ、そこ……っ、たくや、だめ、そこ……んっ!」
美咲もまた、俺の欲望の根元を、指で優しく扱いてくれている。互いの指の動きと、喘ぎ声が、まるで指揮者のいないオーケストラのように、狂おしいリズムを刻み始めた。
もう、限界だった。視覚がないぶん、快感の波は、逃げ場なく、身体の内部で渦を巻いて膨れ上がっていく。
「美咲……っ、いく……!」
「私も……もう、むりぃ……!」
俺は、彼女の泉を強く掻き回し、美咲もまた、俺の根元を強く握りしめた。
次の瞬間、音も、匂いも、感触も、全てが混じり合って一つになる、凄まじい感覚の爆発が、俺たちの身体を襲った。それは、もはや単なるオーガズムではなかった。魂が、直接触れ合い、溶け合うような、強烈な精神的な結合。俺たちは、暗闇の中で、確かに一つになっていた。
しばらくして、互いのネクタイをゆっくりと解く。ぼやけた視界に、涙と汗でぐっしょりと濡れた、互いの顔が映った。紅潮し、蕩けきったその表情は、これまで見たどんな彼女よりも、エロティックで、そして神々しかった。
「……見えなくても」
美咲が、かすれた声で言った。
「……拓也のぜんぶ、わかった気がした」
俺は何も言えず、ただ、深く頷く。
俺たちの参考書は、また新しい章に突入していた。それは、五感の全てを使って愛を奏でる、官能のシンフォニア。その最初の楽章は、あまりにも甘美な響きを残して、静かに幕を下ろした。
### 第11話:卒業のセレナーデ
三月、固く閉じていた桜の蕾が、ほころび始めた季節。俺と美咲は、パソコンの画面に表示された合格発表のページを前に、肩を寄せ合って息を詰めていた。自分の受験番号を探す、ほんの数秒が、永遠のように長い。
そして。
「……あった」
「……あった!」
ほぼ同時に、俺たちは互いの番号を見つけ出した。第一志望、合格。その文字を見た瞬間、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れ、俺たちは子供のように抱き合って、跳び上がって喜んだ。涙で視界が滲んで、美咲の笑顔が歪んで見える。長い、本当に長い受験勉強だった。たった一人では、決して乗り越えられなかっただろう。この腕の中にいる存在が、ずっと俺の支えだった。
数週間後、俺たちは高校の卒業式を迎えた。体育館に響き渡る、厳かな音楽。卒業証書を受け取り、自分の席に戻る。もう二度と袖を通すことのない、見慣れた制服。楽しかったことも、辛かったことも、全てがこの三年間という時間の中に詰まっている。
式の終盤、在校生への答辞を読むために、一人の生徒が壇上へと上がった。卒業生総代、水瀬美咲。
俺は、鞄から一眼レフカメラを取り出し、ファインダーを覗いた。凛とした横顔で、マイクの前に立つ美咲。その姿は、いつかの写真展で切り取った寝顔とは全く違う、知的で、気品に満ちた美しさを湛えていた。俺は、シャッターを切る指先に、誇らしさと、ほんの少しの寂しさを感じていた。
式が終わり、校庭に出ると、そこは別れを惜しむ声と笑顔で溢れかえっていた。友人たちと写真を撮り合い、寄せ書きを交換し合う。俺たちの高校生活が、確かに、終わっていく。
その夜、俺の部屋で、二人だけのささやかな卒業祝いを開いた。買ってきたケーキを前に、ジュースで乾杯する。窓の外は、もうすっかり春の夜だ。
俺も美咲も、まだ制服のままだった。それを脱いでしまったら、本当に「高校生」が終わってしまうような気がして、名残惜しかったのだ。
「……なぁ」
俺は、フォークを置いて、美咲の手を取った。
「この制服を着て、最後に……俺たちの参考書、最初のページから、復習しないか」
美咲は、俺の言いたいことをすぐに理解してくれた。それは、新しい探求ではない。俺たちが、二人で歩んできた道のりを、確かめ合うための、最後の儀式。彼女は、静かに、そして愛おしそうに微笑んで、頷いた。
俺たちは、制服のまま、ベッドに腰掛けた。
まずは、指先のメロディ。俺は、彼女のブレザーの上から、その身体のラインをゆっくりとなぞる。初めて触れた日の、ぎこちない緊張とときめきが蘇る。
次は、吐息のプレリュード。美咲が、俺の学ランの上から、胸に手を当てる。初めて俺の身体に触れた時の、彼女の戸惑うような指先の感触を思い出す。
秘密の楽園の、その入り口へ。吐息がかかるほど顔を近づけ、彼女のスカートの裾を、そっと握る。
甘い奉仕の、その始まり。俺は、自分のスラックスの膨らみに、彼女の手を優しく導いた。
交差する熱。制服のまま、身体をぴったりと寄せ合う。服の生地が擦れる音が、あのクリスマスの夜の、熱い記憶を呼び覚ました。
鏡の中のフーガ。二人で姿見の前に立ち、制服姿の俺たちを映す。そこには、少しだけ大人びた、誇らしげな二人がいた。
感覚のシンフォニア。目を閉じて、長く、深く、キスを交わす。視覚を閉ざせば、唇から伝わる情報が、何倍にもなって心に流れ込んできた。
一通りの儀式を終え、俺たちは、互いの制服を、一枚、また一枚と、ゆっくり脱がせていった。それは、高校時代の自分自身を、互いの手で脱がせ合うような、厳かな行為だった。
やがて、生まれたままの姿になった俺たちは、ベッドの中で、ただ静かに抱き合った。もう、そこに性的な探求の必要はなかった。
「……終わっちゃったね、高校」
「……うん。終わったな」
その夜、俺たちはほとんど眠らなかった。
これから始まる大学生活のこと。学びたいこと、挑戦したいこと。いつか、二人で一緒に暮らす家のこと。たくさんの夢を語り合った。そして、俺たちの「恋と身体の参考書」は、まだ第一章が終わったばかりなのだということも。
美咲が大切にしている「新婚の初夜」という夢。その時、俺たちは、この参考書で学んだ全てのことを、きっと最高の形で実践するのだろう。その日が、今まで以上に、楽しみになった。
東の空が、白み始める。卒業を祝うための、優しいセレナーデは終わりを告げた。
俺たちの新しい人生の、始まりの音が、すぐそこまで聞こえてきていた。
### 最終話:始まりのオーヴェルチュール
大学に入学して、数ヶ月が過ぎた。季節は、蒸し暑い梅雨の湿気と、夏の力強い日差しがせめぎ合う頃。俺も美咲も、新しい生活に少しずつ慣れてきていた。必修科目の講義、新しくできた友人たち、そしてサークルの飲み会。世界は、あの小さな高校の教室よりも、ずっと広くて、目まぐるしい。
そんな目まぐるしい日々の中、俺たちは、ようやく叶えることができた約束のために、電車を乗り継いで、箱根の温泉旅館へとやってきていた。ずっと計画していた、ささやかな卒業旅行だ。
通された部屋は、畳の匂いが心地いい、清潔な和室だった。窓の外には、雨に濡れた紫陽花が咲く、美しい庭が広がっている。仲居さんが淹れてくれた温かいお茶をすすりながら、俺たちは、どちらからともなく、ふっと息をついた。
「……なんだか、久しぶりに、ゆっくりしたね」
「本当だな。大学、意外と忙しいもんな」
高校時代とは違う、穏やかで、少しだけ大人びた時間が流れる。恋人であることは変わらない。でも、その関係性は、焦りや探求心に満ちていたあの頃とは違って、もっと深く、静かで、揺るぎないものになっていた。
その夜、俺たちは、予約していた貸し切りの露天風呂へと向かった。竹林に囲まれた、趣のある岩風呂。立ち上る湯気の向こうには、満月が静かな光を放っている。
二人きりの湯船に、ゆっくりと身体を沈める。熱いお湯が、じわりと身体の芯まで解かしていくようだった。
「……気持ちいいね」
「ああ……最高だ」
しばらく、無言で夜空を見上げていた。カエルの鳴き声と、竹の葉が風にそよぐ音だけが聞こえる。
不意に、美咲が、くすりと笑った。
「どうした?」
「ううん。なんだか、思い出しちゃって。うちのお風呂で、二人してのぼせそうになった日のこと」
その言葉をきっかけに、俺たちの記憶の蓋が開いた。初めて制服の上から触れた日。鏡の前で、どうしようもなく恥ずかしかった日。チョコレートの味がした、あのぎこちないバレンタインデー。涙でぐしゃぐしゃになった、あの喧嘩の夜。
一つ一つが、昨日のことのように、鮮やかに蘇る。
「あの頃があったから、今の私たちがいるんだね」
美咲が、俺の肩に、こてんと頭を乗せながら言った。その声は、慈しみに満ちていた。
俺は、そんな彼女の濡れた髪を優しく撫でる。
「そうだな。……なぁ、美咲」
「ん?」
「美咲の夢、俺がちゃんと叶えるから」
俺が真剣な声で言うと、美咲は一瞬きょとんとした後、すぐにその意味を理解して、最高の笑顔で頷いた。「うん」と。彼女がずっと大切にしてきた、たった一つの夢。その約束は、今、この場所で、より強く、確かなものになった。
部屋に戻り、揃いの浴衣に袖を通す。濡れた髪を乾かし合い、縁側に並んで座って、火照った身体を夜風に冷ました。
もう、言葉は必要なかった。
俺たちは、吸い寄せられるように、互いの顔を近づける。そして、唇を重ねた。
それは、高校時代の、何かを確かめるような探求のキスとは全く違っていた。ただ、穏やかで、どこまでも深くて、互いの全てを受け入れるような、優しいキス。
俺たちの「恋と身体の参考書」は、卒業式の夜、確かに完結した。けれど、それは決して物語の終わりを意味するものではない。
このキスは、フィナーレではない。
これから始まる、俺と美咲の、長くて、きっと素晴らしい愛の物語。その壮大な交響曲の、始まりを告げるための、輝かしい序曲(オーヴェルチュール)なのだから。
――了――
恋と身体の参考書 舞夢宜人 @MyTime1969
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