マシュマロ*クッキー*レモネード

湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)

初恋*クッキー*缶

第1話


 部屋から荷物が少しずつ運び出されていく。

 ああ、この部屋ってこんなに広かったんだ、と、あたしは思う。

 一緒にこの部屋を使っていたお姉ちゃん――友希――は、この春、遠くの大学に進学することになった。だから、これからこの家を出て、大学の近くで一人暮らしをする。

 そうと決まってからというもの、お母さんはお姉ちゃんに今まで以上によく世話を焼くようになった。このところ毎日のようにあれこれと口と手を出しては、「もう子供じゃないんだから」ってお姉ちゃんに言われて、恥ずかしそうに頭をかいている。

「愛佳、ごめん。そこの箱を玄関まで運ぶの、手伝ってくれない?」

「ああ、うん。わかった」

 あたしは、お姉ちゃんに言われた箱を持ち上げようとした。それは見た目には軽そうだったけれど、持ってみたらすごく重かった。ぐらっと体勢が崩れて、閉じていない箱の口からポロっと缶が転げ出た。

 ガシャン、カコン――。

 どてっと転んだ缶が、だらしなく口を開けている。その様を、あたしはぼーっと見ていた。

「どうかした?」

「あ、えっと。こう、持ち上げたらころん、ってなって、ガシャってなって……」

 お姉ちゃんは、床に転げた缶を見るなり、顔色をどんどん蒼くした。

「ご、ごめん! だ、大事なもの?」

「え? ああ、まぁ。平気だから、気にしないで。なんだろう……大事というか、執着しているもの、というか」

「ごめん……」

「ううん。いいの。ちゃんと箱の口をとめなかったわたしのせい。愛佳は悪くないよ」

 お姉ちゃんは無理矢理に笑顔を作った。それから、缶をぐるりと見た。傷やへこみがないか、確認するように。

「ねぇ、お姉ちゃん」

「んー? なに?」

「執着って、なに?」

「執着っていうのは、強く心がひかれることっていうか、囚われていることっていうか……」

「違う。そういうことが聞きたいんじゃなくて」

「ああ、まぁ、それくらいわかるか。もうほとんど高校生だもんね」

「いや、まだあと一年中学生やるけど……」

「それ、ほとんど高校生だから」

「そうかなぁ。……ねぇ。ところで、お姉ちゃんは、いったい何に執着しているの?」

 問うと、お姉ちゃんの頬がぽっと赤くなった。お姉ちゃんは、照れるといつもこうなる。照れるっていうことは、この缶への執着は決してネガティブなものではなくて、もっとこう――ときめくようなものなんだろうな、と、あたしは思った。


 荷物を玄関に運び終えると、お父さんとお母さんとお姉ちゃんがコーヒーを飲みだした。この家の、あたし以外の人はみんな、ホッと一息つこうというとき、必ずコーヒーを飲む。そしてそれは、当たり前のようにブラックだ。三人分のコーヒーカップから立ち上る苦い香りのせいで、あたしはそれを飲んでいないけれど、ついつい苦い顔になる。

 あたしはチョコレートを口に放り込んで、それから濃い目に作ったココアを飲んだ。甘くてホッとする。やっとあたしも一息つけた。そんな気がする。

「あ、そうだ。愛佳。広くなった部屋でさ、さっきの話の続きをしない?」

 お姉ちゃんはそう言うと、空っぽになったコーヒーカップをソーサーにコトン、と置いて、にっと笑った。

「うん。聞く聞く。聞きたい」

「ええ、ここですればいいのに。お父さんを追い出せば平気でしょう?」

 お母さんが口を尖らせた。

「お父さんだけ追い出すのは良くないでしょう」

 お父さんも口を尖らせた。

「子供だけで話したいことってものがあるんです! ほらほら、愛佳。行くよ!」

「ああ、うん!」

 あたしは残りのココアをぐびっと飲み干して、もうすぐあたしだけの部屋になる、ふたりだけの空間へと、お姉ちゃんの背中を追って歩き出した。



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