第5話

 翌朝、午前6時の検温の時、看護師が山田さんのベッドが空になっているのを発見した。


「山田さんがいません!」


 看護師たちは慌てふためいていた。

 僕もベッドから起き上がって、山田さんのベッドを見た。

 布団は乱れており、明らかに夜中に抜け出したようだった。


「すぐに院内を探してください」


 師長の指示で、看護師たちは病院内を探し回った。


 5分後、山田さんは病院の中庭で発見された。


 すでに息はなかった。


    ◇


 山田さんの死は「不自由な身体を悲観した自殺」として処理された。

 警察の事情聴取もあったが、形式的なもので終わった。


 僕は何も言えなかった。

 山田さんが『ハザマさん』に悩まされていたことを話しても、誰も信じないだろう。

 そして何より、山田さんを追い詰めたのは僕かもしれないのだ……


「以前のように歩けないのが、ストレスになっていたようです」


 医師が説明したが、僕は納得できなかった。


 その日の夜、僕は一人で山田さんのことを考えていた。

 あの優しい山田さんが、なぜあんなことになってしまったのか。


 そして、あの噂の中で、一体どれが本当だったのだろう?


「田中くん」


 ふと気づくと、佐藤看護師が僕のベッドサイドに立っていた。

 夜勤の時間だった。


「佐藤さん……」


「今日はショックだったでしょうね」


 佐藤看護師はいつものように優しい笑顔を浮かべていたが──


 ──何かが違った。


「山田さんのこと、心配してたものね」


「はい……なんで山田さんがあんなことに……」


 佐藤看護師は僕の隣に椅子を持ってきて座った。


「田中くん、あのね」


 佐藤看護師の声が、いつもより親しげになった。

 まるで友達と話すような口調だった。


ね、最後まで素直じゃなかったのよ」


「あいつ……?」


「山田よ。君には優しかったみたいだけど、私たちには本当に手のかかる患者でさ」


 佐藤看護師は肩をすくめた。


「薬は飲まない、検査は嫌がる、食事には文句ばっかり。挙句の果てには『幽霊が見える』なんて言い出して」


 僕は息を呑んだ。


「田中くん」

 佐藤看護師は優しく微笑んだ。


「あいつも、君みたいに扱いやすい患者だったら、こんなことにならなかったのにね」


「扱いやすい患者って……」


「そのままの意味よ。私たちの言うことを素直に聞いて、文句を言わなくて、感謝してくれる患者さん。君みたいにね」


 佐藤看護師の表情に、今まで見たことのない冷たさが宿った。


「文句ばかり言って私たちを困らせる患者は……まあ、居心地が悪くなるのは当然よね?」


「まさか……山田さんが見ていたハザマさんって……」


「ああ、『ハザマさん』ね」


 佐藤看護師はあっけらかんと言った。


「10年くらい前かな。やっぱり山田みたいに文句の多い患者がいてさ。最後は同じように屋上から中庭に飛び降りちゃった」


「だけど、死んでからも私たちの仕事を手伝ってくれてるの。困った患者のところに現れて、追い詰めてくれるから」


 佐藤看護師は本当に楽しそうに話していた。


「病院って平和が一番でしょ?文句を言う患者がいなくなれば、みんな幸せになるのよ」


「そんな……人が死んでるんですよ!」


「田中くん」


佐藤看護師の声は相変わらず優しかった。


「心配しないで。君は『いい患者さん』だから、絶対に大丈夫よ。私たちも君のことは本当に可愛がってるし」


 僕は震えていた。


「でもね」


 佐藤看護師は私の耳元に顔を近づけた。


「もし君が変わっちゃったら……その時は、が君のところにも遊びに来るかもしれないわね」


 佐藤看護師は立ち上がった。


「山田のことは忘れなさい。あいつが悪いのよ。素直じゃなかったから」


 そして、振り返り──

 ──いつもの優しい笑顔を浮かべて言った。


「どう?怖かった?」

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