第二話 報復

慶一郎の復讐は綿密に計画されていた。翌月曜日、彼は桐谷颯馬が勤務するIT企業の役員である後輩の山田に電話をかけた。


「山田か?藤島だ。久しぶりだな」


「慶一郎先輩!お久しぶりです。どうされました?」


「実は相談がある。君の会社の桐谷颯馬という営業について話したい」


「桐谷?何かあったんですか?」


「詳しくは直接話そう。今日の夕方、時間を作れるか?」


その日の夕方、慶一郎は山田と高級ホテルのラウンジで会った。


「先輩の奥様と桐谷が...まさか」


山田は慶一郎が提示した証拠資料を見て驚愕した。


「それだけではない。彼の営業成績も調べてもらった。数字の改竄があるはずだ」


「実は...最近おかしいと思っていたんです。契約書の内容と実際の入金額に差があって」


「内部調査を始めたまえ。僕の方でも弁護士を通じて正式に被害届を出す」


山田は深刻な表情で頷いた。


「わかりました。桐谷は明日から出社停止にします」


慶一郎の次の標的は桐谷の借金問題だった。探偵の森田を通じて、桐谷が複数のサラ金から借金をしていることを突き止めていた。


「森田、桐谷の債権者に連絡を取ってくれ。彼の給与差し押さえの手続きを進めたい」


「了解だ。それと、慶一郎...瑠璃子さんから連絡が来ている。話したいそうだ」


「断れ。もう話すことはない」


慶一郎の決意は固かった。


一方、瑠璃子は桐谷に必死に連絡を取ろうとしていた。


「颯馬君...お願い、電話に出て...」


しかし桐谷からの返答はない。彼は慶一郎の動きを察知し、すでに逃げの姿勢に入っていた。


三日後、桐谷は勤務先から呼び出しを受けた。


「桐谷、座りなさい」


山田の表情は厳しかった。


「営業成績の改竄について説明してもらおう」


「改竄って何のことですか?」


桐谷は平静を装ったが、額に汗が浮かんでいた。


「B社との契約、実際の成約金額は三百万円だが、君は五百万円で報告している。差額はどこに消えた?」


「それは...システムの入力ミスです」


「ミス?同様のミスが過去半年で八件ある。偶然にしては多すぎるな」


山田は資料を桐谷の前に並べた。


「そして藤島瑠璃子との件だ。既婚女性を騙して金銭を詐取した。これは犯罪だ」


桐谷の顔が青ざめた。


「あの女が勝手に...」


「勝手に?君が愛していると嘘をついて二百万円を騙し取ったんだろう?」


「証拠があるんですか?」


「ある。録音データも、金銭の流れを示す記録も、すべてだ」


桐谷は観念したように椅子に沈んだ。


「明日付けで懲戒解雇だ。そして警察にも通報する」


その日の夕方、桐谷は瑠璃子に久しぶりに連絡を取った。


「るりこ?会えるか?緊急事態だ」


瑠璃子は飛び上がって喜んだ。


「颯馬君!会いたかった!どこで会う?」


「いつものホテルで」


一時間後、ホテルの一室で二人は向き合った。しかし桐谷の表情は沈んでいる。


「るりこ、俺、会社をクビになった」


「えっ?なぜ?」


「お前の旦那が俺を陥れたんだ」


瑠璃子の表情が変わった。


「慶一郎が?」


「ああ。警察沙汰になるかもしれない。俺、金が必要なんだ」


桐谷は瑠璃子に詰め寄った。


「お前、まだ金を用意できるだろう?」


「でも...もう私のお金はほとんど...」


「何とかしろよ!俺がこんな目に遭ったのはお前のせいだろう!」


桐谷の本性が現れた。瑠璃子は初めて彼の真の姿を見た。


「颯馬君...私を愛してくれてるんじゃないの?」


「愛?冗談だろう。お前みたいなババアを愛するわけがない」


桐谷の言葉が瑠璃子の心を引き裂いた。


「そんな...嘘でしょう?」


「現実を見ろよ。お前は単なる金づるだったんだ。他にも何人かいるからな」


瑠璃子の目から涙があふれ出した。


「最後に五十万用意しろ。それで手を切ってやる」


「そんなお金...ない...」


「ないじゃすまねえんだよ!」


桐谷は瑠璃子の腕を掴んだ。


「痛い...やめて...」


「借りてでも用意しろ!でなきゃお前の写真をネットにばら撒く」


瑠璃子は震えながら頷いた。桐谷は満足そうに微笑むと、部屋を出て行った。


一人残された瑠璃子は床に崩れ落ちた。すべてが嘘だった。慶一郎の言葉が頭に蘇る。


「君は四人目のカモだ」


その時、慶一郎がどれほど自分を愛していたかを初めて理解した。彼の仕事への献身も、すべては家族のためだった。それを自分は裏切った。


翌日、瑠璃子は実家に帰っていた。両親は既に慶一郎から事情を聞いている。


「瑠璃子...どうしてこんなことに...」


母親が泣きながら言った。


「慶一郎さんはいい人だったのに...」


父親の言葉が瑠璃子の胸に刺さった。


「お父さん、お母さん...私、どうしたらいいの?」


「慶一郎さんに謝るしかないでしょう」


「でも...もう遅いって言われた...」


瑠璃子は両親の前で号泣した。


一週間後、桐谷は逮捕された。詐欺と横領の容疑だった。ニュースは地元のテレビでも報道された。


慶一郎は自宅の書斎でそのニュースを見ていた。感情は動かない。ただ、一つの決着がついたという安堵感があった。


玄関のチャイムが鳴った。瑠璃子だった。


「慶一郎...話を聞いて」


「もう話すことはないと言ったはずだ」


「お願い...五分だけでも...」


慶一郎は扉を開けたまま、彼女の言葉を待った。


「颯馬君が逮捕されたって...テレビで見た」


「それで?」


「私...本当にバカだった。あなたがどんなに私を愛してくれていたか...今になってわかった」


瑠璃子の目は腫れ上がっている。


「遅すぎる気づきだな」


「やり直せない?お願い...」


「やり直し?君は僕の愛を踏みにじった。十五年間の信頼を一瞬で破壊した。それでやり直せると思うのか?」


慶一郎の声は静かだが、その冷たさは氷のようだった。


「私...死にたい...」


「死ぬな。生きて償え。君がしたことの重さを一生背負って生きろ」


慶一郎は扉を閉めようとした。


「慶一郎...愛してる...本当に愛してる...」


「その言葉はもう意味を持たない」


扉が静かに閉まった。瑠璃子は玄関先でしばらく泣き続けた。


三ヶ月後、離婚は成立した。慶一郎は新しいマンションに移っている。桐谷からの慰謝料も含め、瑠璃子には二千万円近い借金が残った。


慶一郎は会社の同僚たちと久しぶりに飲みに出ていた。


「藤島、大変だったな」


「いや、むしろスッキリした」


「次はいい人が見つかるよ」


「そうかもしれん。でも今は一人の時間を楽しんでいる」


慶一郎は静かに微笑んだ。痛みは癒えていないが、新しい人生への希望が芽生えている。


一方、瑠璃子は実家で借金返済のためにパートで働いていた。毎日が苦しく、桐谷への怒りと自分への後悔で眠れない夜が続いている。


「どうしてあんなことを...」


彼女は毎晩同じ言葉をつぶやいていた。しかし時は巻き戻らない。


慶一郎は時々、瑠璃子のことを思い出した。しかし、それは愛ではなく、人生の教訓として記憶にとどめているだけだった。彼は前に向かって歩いている。


桐谷は刑務所で三年の刑期を受けた。出所後も前科のため就職先は限られ、人生の大部分を失うことになる。


因果応報。慶一郎の復讐は完璧に実行された。そして彼は新しい人生を歩み始めた。冷たい報いは、すべての人に平等に訪れたのだった。

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