第13話 苦いアイスクリン

 数日後、花は百合塚家の邸宅に向かった。先日、光治に会いに行って以来だ。普通なら同じ帝都に住んでいるのだから、もっと足しげく通うべきではあるのだが。摂子の「おままごと」発言が影響していないと言ったら嘘になる。


「調子はどう? 孝臣は元気でやってる?」

「はい! お仕事が忙しくて大変そうですが、毎日頑張ってます」

「キヨちゃんの話でも大丈夫だと聞いたわ。お花ちゃんだから心配はしてなかったけど」

「こちらこそ、しばらくご無沙汰して申し訳ありません」


 摂子はいつもと変わらない様子で、裏表のない笑みを花に向ける。とても「孝臣とは吊り合わない」と言った人物と同じとは思えない。花も、余計なことを考えないようにしながら摂子の話に合わせた。


「あれ? お花ちゃん来てたのか。今日はどうしたんだい?」


 障子を開けて光治が姿を現す。まさか光治に会うとは思ってなかったので、花はぎょっとして振り返った。先日の孝臣との気まずいやり取りがよみがえる。今日が非番だとは聞いていない。


 濃紺の着流し姿の光治はリラックスした様子だった。はだけた襟元から、右肩を包帯でぐるぐる巻きにしているのがちらりと見え、理由を察する。


「光治さん! 肩どうしたんですか? 大丈夫ですか?」


 花がびっくりして思わず上ずった声を上げると、光治は困ったように苦笑した。


「先日の討伐で軽く負傷しただけだよ。軽傷なのに大袈裟に包帯を巻かれてしまってね。膏薬を貼って冷やすくらいでよかったのに。お陰でしばらく当番から外されたんだ」

「軽い怪我でも対処を怠ったら後で大変なことになるわ。油断してはダメよ」


 光治の後に摂子が言葉を被せる。そういえば数日前、新聞で禍物祓いが一人負傷したという記事を見たような気がする。まさか、光治のことだったのか……。


「ごめんなさい、何も知らなくて……もっと早く気づくべきでした」

「こちらから知らせなかったんだから、花ちゃんが気に病む必要はない。それに、知らせるほどの怪我じゃないから大ごとにしないで」


 それでも……と花は複雑な思いに駆られた。孝臣の激務を目の当たりにしたばかりだが、禍物祓いは命の危険すらあるのだ。実際、数年に一度の割合で死傷者が出ている。特別な異能を持った人物は稀だから一人でも欠けるとダメージが大きい。禍物祓いは、約五十人いると言われているが、たったそれだけの人数で、帝都の全てをカバーしなければならない。


(禍物祓いは命を賭けて帝都を守っているんだもの、みなに敬われるのは当然だわ。彼らがいなければ私たちは安全に暮らせない……光治さんは涼しい顔をしているけど、重圧は半端ないと思う。異能があるだけでなく、人格も優れてないとこの役職は務まらないわ)


「それより、花ちゃんは何か用事があって来たの?」

「そうなんですけど……また日を改めて伺います」

「遠慮しなくていいよ。私のことは気にしないで」


 そう言われてもなお、花はしばらく口ごもっていた。光治は心の広い人物だが、彼の好意に甘えてもいいのだろうか。だが、ここで退くと二度手間になってしまうことを考え、思い切って口を開いた。


「昔、この家にアイスクリン製造機があったのを覚えているんです。母が私たちに作ってくれて。もし、今でも残っていたらお借りしたいのですが」

「それなら私も覚えてる。はるさんがお勝手で手回ししてくれたやつだろ? 三人で食べたね。おいしかったなあ。まだ残ってるかな」

「あら、私は知らないわよ? そんなことがあったの?」


 光治が目を細めて懐かしそうに呟く傍らで、摂子が不思議そうに小首をかしげる。大きなお屋敷の奥様ともなれば、家を守ったり先代の当主だった夫を守ったりと仕事が多い。子供たちについては使用人や家庭教師任せになるのは裕福な家では普通のことだった。


「お勝手の戸袋にしまってあるかもしれないな。一緒に見に行こうか」

「待って! 光治さんは無理しない方が!」

「このくらい平気だよ。大事にしてくれるのはありがたいけど、何にもしてないと体がなまってしまう」


 つかつかと台所へと向かう光治の後を、花は慌てて追いかけた。台所にいる使用人に説明して、普段開けていない戸棚や食器棚を探してもらったところ、奥の引き出しから風呂敷に包まれた機械が出てきた。


「あっ! これだわ! よかった、まだ残ってた!」

「よく残ってたな。はるさんと花ちゃんがいなくなってから一度も使ってなかったのに」


 ということは、この機械を使ったのは花の母親だけだったのだ。風呂敷を開け、大して使い込まれていない機械をじっと見つめる。


「すんなり見つかってよかったね。返さなくていいから持って行きなさい」

「え、でも……」

「十年もそのままだったんだ。うちにはもう必要ないよ」

「ありがとうございます……」

「ところで孝臣は……」

「えっ?」


 光治の口から孝臣の名前が出て、花は、はっとして顔を上げた。


「特災課は毎日休む暇もないほど忙しいと聞いている。孝臣は何でものめり込む癖があるから、働きすぎで体を壊していやしないかと思って。ある意味私たちより大変な仕事だから」


 禍物祓いより大変だなんてそんな。死と直面している業務より大変なものはないでしょう。花はそう答えようと思ったが、思いつめた顔でうつむくことしかできなかった。


(そんなの、どっちが大変かなんて決められない。必死なのは二人とも同じ。みんな必死で頑張ってる)


「お気遣いありがとうございます。孝ちゃ……孝ちゃも毎日忙しいですが、元気でやってます」

「そうか……それはよかった。私のことは言わなくていいからね」


 花は複雑な気持ちのまま、大きな風呂敷包みを抱えて百合塚家を出た。孝臣がどれだけ反抗的な態度を取っても、光治の気持ちは変わらない。弟を気遣う言葉も本物だろう。それが、とてももどかしく思えて仕方なかった。



 次の日曜日、孝臣の休みの日にアイスクリン製造機を披露することにした。丸い木の桶に氷と塩を入れてから、茶筒のような容器に材料を入れ、桶の真ん中にセットする。それを撹拌するうちに中身が凍ってアイスになるという仕組みだ。孝臣は、居間のちゃぶ台の上におかれた機械を見て目を丸くした。


「お、何だい、これは? もしかして昔うちにあったアイスクリン製造機?」

「正解! よく覚えてるわね。こないだ、実家に行って借りてきたの」

「懐かしいな。昔はるさんが作ってくれたやつだよね。あれおいしかった。今から作ってくれるのかい?」

「そうよ。今度は私がやるから見ててね」


 花は、牛乳と砂糖と卵を入れた容器を木桶の真ん中にセットした。片手で桶を押さえながら手回ししていると、同じことをしていた母の姿がまぶたの裏によみがえった。


(お母さんもこんな風にやってたっけ。それをワクワクしながら私と孝ちゃが見ていた。光治さんは勉強か修行中のことが多かったから、完成したものをお部屋まで持って行ったんだわ)


 あの頃は三人の仲はよかった。母も健在だった。幸せだった頃を思い出し、熱いものがこみ上げる。


(もう三人一緒に食べることは叶わないのかな。贅沢な望みなのかな)


「ねえ、孝ちゃ?」

「何だい? 疲れただろうから代わろうか?」

「ううん、そうじゃなくて。あのね、こないだ実家に行ったら光治さんが肩を怪我してお休みしてたの。大したことはないらしいけど」


 光治にはああ言われたが、伝えておくべきだと思い、何気ない振りをして話を振った。孝臣は、前のように逆上せず落ち着いて聞いてくれたが、案の定と言うべきか、特に興味を示すことはなかった。


「ふうん、そうなんだ」


 たったこれだけ。花はそれ以上何も言えず黙って回し続けた。


 完成したものをガラスの器に盛り付け孝臣に渡す。彼はぱっと顔を輝かせ、スプーンでそっと掬って口に入れた。

 

「……おいしい。あの頃を思い出すね。ありがとう、ハナちゃん」

「うん、おいしいね……」


 完成したアイスクリンは、甘く口の中でとろけて、少し苦い味がした。


 

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