招集 其の二
「おじいちゃん」
「なんでしょうか」
私たちは広い空間を内包している昇降機の中で話をする。
もはや彼の口調や態度は矯正の範囲外であると割り切っていた。
そんな私の呼び名がラフ過ぎるウルフェンは、入口付近の壁にもたれかかりながら、視線を上へと向けている。
視線の先を目で追ってみると、行先を示す階数表示板の針がゆっくりと回っている。どうやら静かな場所でおとなしくしているのは苦手のようだ。
「シエラは今何やってるんだ?」
途端にそのような話題を振られる。
先ほどの馬車で話を聞いていれば大抵のことは予想がつくだろう。
ドルムア帝国皇帝の仕事など、一介の臣民や大臣、ましてや側近の私ですら測りかねる。
業務的なやるべき事に焦点を当てれば、その内容は単純明快。書類への王印の押下、西側諸国でドルムアの傘下となっている小国との会談、臣下である大臣たちの声を聞き、様々な帝国の意志決定を下す。
これらが主な業務であると、私はあくまで事務的に、説明口調でウルフェンへと内容を伝達する。
「ふーん。シエラも大変なんだな」
「ウルフェン殿」
私はとっさに口を動かす。
彼の発言にはどこか、違和感という名の虫が潜んでいた。
「陛下からあなたの名前を聞いた時も、最初に会った時もですが――あなたは一体、陛下とどのような間柄なのですか? 私は幼い頃から陛下の面倒を見てきました。ですが、あなたと陛下が懇意であるのなら、私が忘れるはずがない。一体、どういうことなんでしょうか」
親しい私の古い友人でさえ、私は片時として忘れたことがない。
他人の名前を覚える。業務内容を記憶に定着させることに関しては多少なりとも自信がある。
だが、この陛下の知人――知人にしては知り過ぎている――は、私の知らない陛下の一面まで把握していた。
魔法使い、という単語が私の頭に浮かんだ。
よもや私に幻惑系の魔法をかけ、帝国を乗っ取るような輩ではないかと思考してみる。だがウルフェンはそんな細かい芸当ができるようには到底見えない。少なくともこれまでの会話と一面から、彼の人柄の良さと人民からの信頼は非常に熱い。
ゆえにこそ分からない。このような人民が、帝国本部に乗り込んで陛下にお会いになることを、私は恐れているのか? それとも、本当に陛下の知り合いなのか。
目の前の人物が、本当に存在しているのか分からなくなっていた。現実の中にいる空白。今まさに、この上階にて現在も続けられている討論のような、迷走状態へと私の考えは陥っている。
私は腰に帯刀した軍刀――歴代エルダーン家の祖たちの名が刻まれた由緒正しい軍刀――の柄に触れ、警戒態勢を取った。
正体を表すのなら今のうちだ。
私はこのような半端な相手を、陛下に会わせることは危険すぎると判断する。
永遠とも思える静寂。
それを壊すように、壁にもたれかかった謎の人物は組んでいた腕を解くと、ゆっくりと口を開いた。
「ドルムア帝国記――第十章五節」
「?」
刹那を切り裂いたその言葉の意味を、瞬時に汲み取ることはできなかった。
帝国の歴史年表など、私以外に暗記している臣民はいない。それをわかっててこの人物は口にしたのか。
私は彼の言う年表に書かれた場所の記載内容を声に出す。
「ドルムア帝国の民の間で有名な話がある。皆が子供の頃の夢に出てくるという架空の人物。それは幼少期でこそ鮮明に思い出すことができるが、大人へと成長した人民の記憶からは、その友はぽっくりと消えてしまう。だが、ドルムアが窮地へと陥った頃、皇帝だけはいくつになろうとその名をふと思い出す。その者の名は――」
チン、と軽快な音が昇降機内部で鳴る。
扉が開くと、壁に寄りかかっていた彼は先行し、足を踏み出していた。
私がその人物の背中を見ていると、彼は背中越しに言った。
「知らないのも当然だ。俺たちは帝国の夢。
その者の名はグレイスロート。
初代ドルムア皇帝、ルーツラフトの残した手記にも登場する神の軍勢。夢の世界の娯楽人。
ドルムア皇帝へと仕える伝説の組織、ワイルドハントを率いる団長である。
◇
ドルムア帝国参謀本部。
帝国の脳髄ともいえるこの場所は、首都ゼルヴァの中央にそびえる都市のランドマークにして皇帝の居城、ドルムア城最上階に位置している。
国家防衛戦線の最後の砦でもあり、参謀、臣下、軍略家、あらゆる国家運営のスペシャリストたちが一堂に会する場所でもある。
私は目の前を歩くドルムアの夢そのものを背負う旅人の後へと続く。
いつから忘れていたのかは覚えていない。
ただ、昇降機の中で話をした後では、その背中はあまりにも強く勇ましいものに見えた。
参謀たちの交わす激論や、資料を次から次へと読み漁るのを他所に、私とウルフェンは参謀たちが忙しく行き交う間を潜り抜け、皇帝の元へようやくたどり着く。
そこには弱々しく、垂れ幕の向こう側でシルエットのみをこちらへと映して横たわる、陛下の姿があった。
私は垂れ幕の前に立っている守衛に一言告げる。
「陛下の容態は?」
「まだお目覚めには……」
「そうか……」
私はがくりと肩を落とし、垂れ幕の近くにあった椅子へと腰掛ける。
ふと、視線を感じた。
ウルフェンがこちらに視線を向けている。
流行り病ネムリに罹る直前、陛下はこの人物の名前を呼び、そうして実際にこの日に現れた。
彼が来ることで何かが変わる気がしていたが、陛下には何も影響はなかったようだ。
「もういいですよ、ウルフェン殿。私たち帝国の民は、あなたに頼ればどうにかなると、私が陛下から伝令を受けた時に、少しだけ期待したのです。ですが、現実はそう簡単には――」
「シエラは夢で俺に助けてと言っていた。だから俺は、シエラを助ける」
彼はそう告げる。
だがネムリの病は、患者たちをことごとく殺してきた。
眠りから覚めない者は見捨てられ、その身を無惨にも――
「確かに、おじいちゃんの言う通り、俺でもこの病気は治せない」
やはりだった。
では誰が我らの陛下を助けてくれるというのか。
私は参謀本部の床に広がる絨毯の皺を虚しく眺めている。
こんな歴史的な奇病、それこそ歴史書に語られる伝説の人物。異なる世界から来た、人間の身でありながら世界の理から外れた人物以外には到底――
「ああ、だから探す。こいつらと一緒にな」
ウルフェンの背後に、四人の灰色のマントを羽織る、フードを深々と被った人物たちが突如として現れる。
翻ったマントに刻まれた紋章――馬に跨りながら槍を掲げる騎士の描かれたエンブレム――は、夢の世界を旅する神々の旅団、ワイルドハントの紋章だった。
「団長、仕事か?」
「シエラか……随分と痩せている。栄養価のある食事は? 健康管理はちゃんとしてるのか?」
「シエラっちじゃん! アタシら今日は団長に呼ばれて
「団長。吾輩たちの次の行先は?」
四人の人物たちが垂れ幕の中へと駆け寄り、陛下の顔を見下ろしている。
無礼だと、大臣たちは一斉に口元を必死に動かして詠唱の準備を始めていたが、途端に全員が背中のエンブレムを見て察した。
彼らこそ本物の救世主。まさしく帝国の夢そのものだ、と。
我らが救世主は静かに地面を指差した。
「世界の淵」
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