終 1968年の国際情勢

 KGB本部で相変わらずの勤務であるヨシエであった。

 上海から飛び立った米軍の爆撃機による八幡への原爆攻撃のニュースは、極東担当のKGB将校たるヨシエも職務上、入手していた。

 「八幡が壊滅か。いよいよ、大日本帝国も終わりの時が近づきつつあるね」

 米・ソは、欧州方面では、既に冷戦状態にあった。しかし、東アジアでは、-おそらく、近い将来、それも、何らかの形で消滅するであろうものの-未だ、大日本帝国と大東亜共栄圏が残存している以上、なお、共通の敵に取り組まねばならない以上、米・ソはなお、

 <連合国>

であり続けていた。

 しかし、やはり、満州、朝鮮の大日本帝国勢力を駆逐し、又、日本本土の北半分に、日本人民共和国を成立させたことによって、対日戦に大きな功績を挙げたのは、事実としてソ連であり、また、ソ連と同じく共産党政権の国である中華人民共和国が成立したことによって、米国のアジア地域での不利は、否定できない事実となっていた。

 米国では、アジアでの一発逆転をを狙うためには、大きな

 <軍事的功績>

が必要だった。但し、米国としては、1942年に対日戦での実質的敗北が確定し、前年の真珠湾攻撃(1941年12月8日)での不意打ち侵略によって、米国内での対日戦の機運は

 「リメンバー・パールハーバー!」

の叫びにもあるように、大いに向上したものの、わずか1年程度で劣勢に追い込まれ、その後、容易に太平洋での反転攻勢に出られなかったこともあって、米国内での対日戦への機運は厭戦気分となって行った。

 ソ連側としては、米国とは連合国として、連合していたとはいえ、本来、


 ・共産主義-資本主義


の思想的対立等から、互いに潜在的敵国であることは、言うまでもないことであった。大日本帝国が壊滅し、大東亜共栄圏が崩壊することによって、

 <共通の敵>

が消滅すれば、文字通り、

 <共通>

を為し得るものは消滅する。米・ソが潜在的敵国から、

 <顕在的敵国>

と化するのは明らかであり、その時に備えて、米国はソ連への軍事的脅威となり得る手段を可視化する必要があった。

 それは勿論、国際関係の中で、米国がソ連に対抗して大日本帝国崩壊後の国際関係での覇権を握るという目的のためでもある。

 米国としては、「ソ連型社会主義(共産主義)」を、ロシア十月革命後(1917年11月7日)、「一国社会主義」に追い込んだものの、今日では、アジア太平洋での覇権を日本に奪われたことによって、「米国型資本主義」は半ば、「一国資本主義」へと追い込まれていたとも言えた。

 日本の侵略によって、兵器産業が潤い、1920年代の大恐慌以来の大失業状態を解消し、欧州戦線に大量の兵器を投入(この方面ではソ連にも援助していた)することによって、経済が好循環していたものの、ナチ壊滅(1945年5月9日)によって、欧州戦線での戦争が集結すると、兵器産業によって牽引されていた米国経済には再び陰りが見え始めていた。

 中ソが優勢になっている極東、或いは、アジア太平洋地域で、米国が覇権を握り、

 <一国資本主義>

から脱するためには、大日本帝国本土と大東亜共栄圏を切断し、大東亜共栄圏とされている東南アジア等を奪い返す必要があった。

 米国は、

 <一国資本主義>

へと陥ったとはいえ、しかし、ソ連と同様、国土は広く、又、国内資源も少なくない。又、ナチ時代に迫害を逃れて米国に亡命した科学者も存在していた。米国は軍事力をん米本土へと押し込まれていたとはいえ、新兵器開発等の余裕はあった。

 故に、原爆開発に成功し、又、ソ連同様、ジェット戦闘機、ミサイル等の開発に成功していた。無論、これらもソ連に対抗し、アジア太平洋での覇権を奪い返さん、とするためである。

 「そして、まずは、日本への逆転のために、最初の激しい衝撃の一発として、八幡に核攻撃を為した」

 関係資料を確認しつつ、ヨシエは心中にて呟いた。

 爆撃機として、ボーイング社が開発したレシプロのB29を基礎としつつ、その発展形として、ジェット式の爆撃機が開発されていた。

 米国はソ連に対抗せんとし、同じくソ連と対立しつつあった中華人民共和国の首脳部と交渉し、上海に爆撃機を配置し、八幡を攻撃したのであった。

 現地のソ連領事館等から情報を得たソ連側としては、ソ連側のスパイ等に、暫く、八幡方面から離れるように、緊急暗号等で指示していた。

又、朝鮮人民共和国政府に対しては-同国は中立国ではあるものの-、同情報を連絡し、前もって、建前としては別目的で、小倉方面に船舶を派遣し、避難者の収容、又、避難者に紛れる形での諜報員の回収、引き揚げ等についての連絡をしていた。朝鮮政府としては、この連絡を受け、前もって貨客船を小倉港方面に派遣していたのであった。

その後、原爆投下後に八幡に入ったスパイ等の情報から、八幡が一回の核攻撃にて壊滅し、焼け野が原となった市内には、黒焦げの焼死体が散乱し、多くの重傷者が呻き苦しむ様子が報告されて来ていた。

 ソ連側としては、日本人民共和国の<人民の声>等を経由して、<南>そのもののマスコミよりも早く、八幡の惨状を放送し、

 <南>

の社会に揺さぶりをかけていた。

 他方、米国は、豪州、ニュージーランド等に置かれた拠点を通し、八幡壊滅の情報をラジオで放送し、大東亜共栄圏内日本軍、現地住民等に揺さぶりを掛けていた。

 そして、ヨシエの下に回送されてきた駐米ソ連大使館からの報告によると、何よりも、久しぶりの対日戦勝利と言うべき事態に、米国本土内が沸き立っているとのことであった。

 さらに、米国は、豪州方面に置かれた拠点から大日本帝国に本格的に大日本帝国に復讐すべく、日本の大和級戦艦に対抗して建造されたアイオワ級の4隻の巨艦が豪州方面に向かった、とのことであった。

 「但し、地元の人々は、米軍や英軍を解放軍として歓迎するかしら?」

 答案アジア方面も又、革命前の帝政ロシアに似た


 ・労農階級-資本家・地主階級


といった階級対立、経済的な激しい貧富の差も少なくない。一時的に、米・英或いは、仏等の軍が、

 <解放軍>

とされても、暫くもすれば、かつてと同じく、

 <侵略軍>

として、その位置づけが変わるかもしれない。そもそも、此れ等の軍が東南アジアに進駐するのは、日本帝国主義に奪われた利権を彼等欧米帝国主義のもとに奪い返すためだからである。

 「そうした時には、現地のゲリラ戦等を指揮する形で、我がソ連邦にチャンスが来るわけだ」

とヨシエは改めて、心中にて呟いた。

 原爆という究極の新兵器が開発されてしまった以上、正規軍では、容易に戦えないかもしれない。八幡への原爆投下は、ソ連、さらにはなおも残存している大日本帝国へのそうした警告である。加えて、東南アジア方面には、中国という広大な地理的障壁もある。

 こうした状況の下、正規軍を投入できるとしたら、日本人民共和国軍を代理とした日本本土での戦いであろう。

 しかし、その時には、日本本土はいよいよ、焦土と化し、ヨシエの母―未だ、生きているかどうかもわからないものの―も死ぬかもしれない。

 ヨシエもKGB将校として将校であると同時に、妻であり、母である。そうした現実から、自身の親を思い出すこともあるのであろう。先程、心中とは言え、

 「我がソ連邦」

と、

 <我が>

という言葉をつけたのは、かつての祖国・大日本帝国が悲惨な惨状になっていること、そして、今後、更にその惨状が進行するかもしれない可能性に、元・日本人だったことから、心痛を感じていたのかもしれない。それでも、

 「私は最早、ソ連人民。KGB将校として、職務に専念なさい。動揺は許されない」

と、自身に言い聞かせんとしたのかもしれない。

 「同志少佐」

 他の職員が話しかけて来た。

 「はい」

 「この資料も御願いします」

 「了解、置いておいてください。後で読んで、処理します」

 勤務中でありながら、いつの間にやら、自身の心中の世界に入っていたようであった。ヨシエはそういう性格の女性らしい。ヨシエは改めて、

 <現実の世界>

へと引き戻された。

 今後、国際社会は以下に動くであろうか?まだまだ流動的な状況であった。


(完)






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もう1つの東西冷戦-富子の逃亡 阿月礼 @yoritaka

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