第28話 報道

 2月も終わりが近づいた頃、今朝の新聞には次のような見出しが載っていた。

 

 ・敵国、新型爆弾を八幡に投下

  凶暴なる攻撃、市民を虐殺


 八幡への攻撃が有ってから、10日程経過した日のことであった。

 妙子は家事の傍ら、朝刊でこの記事を目にしたのであった。

 記事には、破壊された八幡の街の写真が掲載され、又、

 「福岡県八幡市〇〇地区の××氏は、今回の敵国の攻撃について、

『突然の爆撃だった。我々の生活を破壊した敵国の攻撃は許せない。鬼畜米英の仕業に違いない。皇軍将兵の皆さんには、是非ともこの仇をとっていただきたい』

と記者の取材に回答」

とあり、さらに、<社説>には、

 「決戦の時、ついに迫る。今こそ、神州不滅の精神の見せ時」

とあった。

 八幡への新型爆弾の攻撃については、現場から遠く離れた東京たる妙子の町内でも、それらしい噂が流れていた。

 ラジオを点けた時、-勿論、ご禁制であるものの-場合によっては、おなじみの

 <人民の声>

放送が入ることがあり、

 <北>

を通して、情報を入手することがある。

大日本帝国内の新聞、ラジオ等は常に同じ内容であり、

 <皇国、皇軍と大東亜共栄圏の正当性>

について言うのみである。今日の新聞も例外ではない。

 故に、大日本帝国内でも、情報源として、偶然ではなく、自発的に

 <人民の声>

を聞くことも少なくなくなっていた。

 無論、そうした行為は、「上部構造」(政治権力)の許すところではなく、バレれば、タダでは済まない。故に、なるべく、音量を下げ、周囲に気付かれないように聴くのである。

 おそらくは、誰もがそうしているのであろう。しかし、自身も

 <人民の声>

を聴いていながら、他の人が、そうした行為を為している事を知ると、

 「どこどこの〇〇さんが、皇国に反する敵たる<北>からの<人民の声>を聴いていた」

等と口にし、

 「どこどこの〇〇は非国民だ、隣組等の配給を停止すべきだ」

等と、

 <正論>

が主張されかねない。そして、それを主張する者は、その停止された分が自身に廻ってくれれば・・・・・等と思っているのであろう。

 配給は細々とした状況であるものの、貴重な生活物資に制裁が加えられては、生活が破綻する可能性がある。誰もが<闇>で同じ行動を取りながらも、その姿が<表>になるのを忌み嫌っていた。

 最早、「上部構造」(政治権力)に強いられて、というよりも、隣人の隙きを攻撃することによる生活物資を奪える機会を狙うべく、誰もが自発的に互いの監視装置として隣組を利用しているようであった。

 しかし、それでも、

 <噂>

は、何かしら、口伝てに伝わるものである。それが噂の本来の姿であろう。

 妙子も、町内でのひそひそ話に何らかの形で触れることは少なくなかった。そして、

 <人民の声>

は、今日の紙面に目を通す1週間ほど前のある日、

 「南の皆さん、最近は、如何お過ごしでしょうか。こちらは、おなじみ、日本人民共和国人民放送局<人民の声>でございます」

という、いつものおなじみの前置きの後、

 「さて、皆さん、本日は改めまして、大きなニュースがございます。我々、連合国側の攻撃によって、大日本帝国と大東亜共栄圏を繋ぐ軍事、経済の拠点たる北九州の福岡県は八幡市が新型爆弾の攻撃によって、壊滅いたしました」

と報じたのである。

 「え?壊滅?」

 しかし、その日の新聞には、そんなことは1行も書かれていなかった。

 「謀略かしら?」

 妙子は一瞬、そう思った。隣組で回覧されている回覧板には、


 ・敵国からの謀略戦に要注意


 ・<北>からの<人民の声>と称するラジオ放送が、我が皇国にて傍受されること  があります。

 しかし、これは、我等銃後の護りを混乱させようとする謀略放送にほかなりません。

 皆様、銃後の誇りと自覚を持って、決して惑わされることのないよう、お気をつけください


 ・又、こうした放送につき、噂を流す等の行為は、法に基づき、厳重な処罰の対象 となります。


とあった。

 その日、妙子が<人民の声>を聴いたのは偶然であった。同放送は、なるべく、南の社会の多くに、自らの主張を届けようと、努力していた。放送中に、

 「<人民の声>の周波数は、〇〇ヘルツ、××ヘルツ、△△ヘルツ等、数種類がございます」

等、複数の周波数が提示されていた。無論、<南>の「上部構造」(政治権力)の妨害工作をかわすためである。

 大日本帝国側は、妨害電波を同じ周波数で流すことによって、社会の側に聴かさせまい、としていた。以前にも、<人民の声>を偶然、同じく聞いた時、放送中に砂嵐のような音が流れ、番組内容を聞き取れないこともあった。

 妙子が、その日、ラジオを点けたのは、午前の家事が終わり、

 「ちょっと、一服」

と思ってのことだった。何らかの刺激を求めてのことであった。しかし、別に、

 <人民の声>

を聴きたかったのではなかった。

 しかし、その日、妙子の耳に入って来たのはまさに、

 <人民の声>

であった。

 妙子自身も以前、面白半分に、<人民の声>を聴いたことがあったし、大日本帝国の「上部構造」(政治権力)は信用出来ないので、彼女自身、お忍びで同放送を聴くこともあった。

 しかし、その日の放送が述べた

 <壊滅>

という語句は、妙子には流石にショックが大きかったようである。

 <人民の声>を放送してくるのは、北海道、東北をある意味、

 <壊滅>

させて、成立させられた

 <日本人民共和国>

つまり、大日本帝国に対立する<北>にほかならない。

 しかし、その日本人民共和国が成立して以降、大日本帝国としては10年以上、かの国と交戦したことはなく、満州、朝鮮を失ってもなお、東南アジア方面に勢力圏を維持している、という意味では、存在感ある強国としての

 <平和>

が保たれていた、とも言えた。

 あるいは、妙子としては、息子・健児が生まれ、子育てに、家事に、と忙しい日々を送りながら、それでも、こうした何気ない

<日常>

の日々を失いたくない、と無意識のうちに思っていたようだった。

 こうした日常と称せられる日々が、妙子等、社会の側にとっては、

 <平和>

であると言えた。

 このまま、-先の見通しもなく、何時終わるともしれず、<非常時>が続いているとはいえ-何かしら、とにかく、実際の交戦がない、という意味での

 <平和>

が続いていて欲しい、という願望があったのであろう。

 妙子は、渡辺氏から借りた自家用の畑で作物を育てる等、生活を

 <自衛>

して来た。それは、自身なりの

 <平和>

を維持せんとするものであると同時に、しかし、その行為は、まさに、

 <平和>

あっての話であった。

 同時に、それは、<非常時>という戦争が常に前提となっている枠組みの中での話であり、その枠組の中での平和には、-考えたくない話であるものの-当然の如く、常に実際の交戦の影がちらついていた。

 そして、社会の側はこの枠組からは逃れ得ないのである。

 故に、<人民の声>が、

 <壊滅>

を妙子の耳に届けた時、現在の生活が根底から崩れる恐怖が具体的感覚になって現れたのであった。

 妙子は、その恐怖を打ち消したく、回覧板の注意書きとは無関係に、その放送内容を

 

 ・謀略


と位置づけたかったのかもしれない。

 「とにかく、ぎりぎりでも<平和>な今の生活を破壊されたくない」

という

 <自衛>

の心理が働いたのであろう。

 しかし、今朝、体制の側が、自ら、

 <八幡市壊滅>

を事実として認めたのであった。

 いよいよ、一体、何が

 <闇>

で、他方、何が、

 <表>

なのか。まるで、理解し難い状況になって来た。

そして、現況は、南北から、いよいよ、自身の何気ない日常の日々がじわじわと締め付けられている状況であろう。このことは、軍事に素人の妙子でも理解できる具体的

 <恐怖>

であった。

 しかし、南北から挟み撃ちになっていく中、庶民に逃げ場はなかろう。悪い冗談ではなく、

 <死>

が、具体的に迫りつつある姿であるとも言えた。

 妙子は、胃が重くもたれるかのような感覚になって来た。

 しかし、ここ10年の平和は、実戦による<死>という悪夢と同居する存在であった。防空演習等の軍事教練は、ある種の

「戦争という悪夢を忘れるな、非常時の心構えを常に持て、今が非常時であることを忘れてはならない」

という建前であったとも言える。

 しかし、日々の生活の中の一場面に過ぎず、それこそ、形ばかりの、謂わば、有名無実的な<建前>に過ぎなくなっていた。というより、内心、何処かで単なる

 <一場面>

と位置づけることによって、半ば具体性のない有名無実的な

 <建前>

としようとしていたのかもしれない。

 又、妙子等、庶民は、日々の生活に追われることによって、それを忘れていた、というより、忘れようとしていたのかもしれない。

 何れにせよ、実戦は単なる悪夢、建前であって、現実味のないものと思いたかったのではないか。それが、庶民にとっての精神的

 <自衛>

であったようである。

 しかし、今や、悪夢は、現実という

 <正夢>

になるかもしれない。

 「ただいま」

 外出していた健児が帰って来た。

 悪夢が正夢になるかもしれないという恐怖によって、胃がもたれていた妙子は、心中の世界から、現実の世界に引き戻された。

 とにかくは、今現在の生活という<平和>を何とかしなければならない。

 しかし、それが、正に悪夢の正夢化によって、壊滅させられるかもしれない状況になりつつあることに、改めて、胃がもたれるかのような感覚であった。



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