第23話 夢!?
空中を舞った富子は、そのまま地面に激しく叩きつけられた。
人間1人を難なく空中に吹き飛ばした力とは、何なのか?
見れば、
<旅館□□屋>
をはじめ、周囲の建物は全て押しつぶされ、瓦礫の山になっていた。瓦屋根が自身の足元にある状態である。又、偶然、自分と共に外に吹き飛ばされたらしい自身の外套が足元に有った。
見れば、遠目に見えていた八幡製鉄所の高炉は火を吹き、変形していた。
<1901>
の看板はなくなり、鎮座していたことでその存在を証明していた先程までの姿は、まるで嘘のようである。
「何なの、これ?」
富子は眉をしかめて呟いた。先程までの風景が一変している等は、今日、この瞬間までの約30年の人生の中で、一度も経験したことのないことだった。
そこここから、火の手が所構わず上がり始めた。
比較的大きな悲鳴のような声が聞こえた。
「!?」
ヒロが瓦礫の山から這い出して来た。
「ヒロ!」
富子はすかさず、ヒロを抱き上げた。
とにかく、状況を理解できない富子では有ったものの、何処かへ逃げねばならないことだけは間違いのないことだった。
「逃げなきゃ!」
周囲で上がった火によって、<旅館□□屋>をはじめ、周囲は容赦なく、火に包まれていく。
何処へ行けば良いのか、皆目分からない富子ではあるものの、とにかく、自身が火に包まれれば、それこそ一巻の終わりである。自身の外套を拾い上げ、ヒロを抱いて、今いる道を走り始めた。持参の鞄は、瓦礫となった建物の中なのであろう。しかし、最早、探し出す余裕は無い。
ほとんどの建物は、特に木造のそれは、瓦屋根を残して、押し潰されていた。建物が、そもそも、木造だからであろう、火の勢いが迫るのは早いらしい。
その他、コンクリートで造られている建物も、ガラス窓は全て吹き飛び、各々の窓から火炎放射器であるかのように火を吹いている。
一体、何処へ言ったら良いのか?それでも、今いる場所に留まれないことだけは明らかである。
しかし、東京から逃避行をして来た富子には、訳が分からない。
ただ、大通りに出れば、狭い道たるこの場所よりは、何か事情が分かりそうな気がした。大通りならば、狭い、勝手の分からぬ小道よりは、見通しも効き、行くべき方向等、何かが分かりそうな気がした。
急いでいると、暫くして、右脇のやはり倒壊して瓦屋根のみになった家の脇から、小さな男児の、しかし、大きな悲鳴のような声がした。
「お姉ちゃん、助けて、母ちゃん等、この潰れた家の中なんや!」
男児は国民学校低学年くらいの子供だろうか。
しかし、富子も自身の命がかかっているのである。逃避行はいよいよ、文字通り、冗談なく
<命>
がかかっているのである。
富子は無視して、その場を逃げ去ろうとした。
「姉ちゃん!」
男児が追いすがった。
「母ちゃんを助けてよ!焼け死んでしまう!」
「サチオ!さっさと行きなさい!母ちゃんのことは良いから!」
建物を押し潰した瓦屋根の中から、女性の声がした。
「どなたか、そこにおられるんですか?この子を宜しくおねがいします」
周囲はどんどん、火に包まれる。改めて、富子は自身の身体が焼かれる感覚を感じて来た。最早、一刻の猶予もならない。改めて母らしい女性が言った。
「サチオ、何してるの!さっさと行きなさい!」
サチオの頬に富子のビンタが鳴った。
「何してるの!早くなさい!」
一刻の猶予もならないのである。富子はサチオという名らしい男児を引っ張り、ヒロを片手に抱いて走り出した。それ以外の行動は、
<命>
そのものを、2人、そして1匹もろとも、失う以外のものではない。
「母ちゃん・・・・・」
「早く!」
富子は男児を引っ張って、とにかくも通りの方に出た。
多くの人々が蠢いている、というよりは、火災の中、徘徊している、というべきだろうか。両脇の建物は殆ど崩れ、コンクリート製の建物はやはり、全ての窓ガラスが吹き飛び、各々の窓から火を吹いていた。
火が爆ぜる音がする。建物が崩れる音がする。富子の左側の辛うじて残っていた建物が火で焼かれているうちに、自身を支えることができなくなって、限界を迎えたのであろう、音を立てて、崩れ落ちた。
人々は、放心したかのように、何かしら、一定の方向に向かっている。
勝手の分からぬ富子にとっては、とりあえず、彼女自身も半ば放心しつつ、何処かへと向かう人々の群れについて行くしかなさそうである。
「小倉の方に向かう道だね」
「そう」
サチオの言葉に富子は一言だけ言った。それ以外に何も言いようがないのである。
道の脇には、ひどい火傷をはじめ、重傷者等が倒れ、又、座り込んでいた。最早、深手を追って、自身で自身の身体を支えられないのであろう。
歩いているうちに、軌道から脱線した市内電車に出くわした。窓ガラスはやはり全て割れ、車体は燃えている。パンタグラフに架線が絡まり、火花を吹いていた。そのうち、何のきっかけか、爆発音を鳴らして、更に激しく火花を吹いた。
しかし、誰もそんな事に気を留めもしない。
道端にしゃがみこんでいる重度やけどの女性は、全身にガラス片が刺さっていた。その脇で、きっと、其の女性の娘なのであろう、女児が、
「お母ちゃん、お母ちゃん!」
と泣き叫んでいた。女児もひどい傷を追っている。
しかし、母らしき女性は反応しない。口を半開き状態にして放心状態で、空中を向いていた。
しかし、あるいは、本当に眺めているのか?口を半開きにし、目を見開いているだけで、既に死んでいるのかもしれない。
無論、誰も、そんなものを気に留めはしない。
移動しているうちに、富子達は、川の脇を通った。
川の中には、死体が大勢浮いていた。突然の熱さに耐えかねて川に飛び込んだのか、或いは、吹き飛ばされて、叩き込まれ、そのままショック死したのか。
「いひひひ、ああ、これってなんだ!?」
上半身裸でやけどを負い、下半身も半ば半ズボンの男性が、高笑いをしながら、無遠慮に叫んでいた。
「これってなんだ!?」
か、富子も含めて、誰にも、回答などできまい。
幸い、富子は火傷を負っておらず、サチオも其のようである。なぜ、そうなったのかは分からないものの、富子の場合は、2人の刑事に組み敷かれたことで、かの2人が防護壁になるという皮肉があったのかもしれない。
しかし、周囲を見れば、ガラス片が刺さり、火傷を負い、衣服はぼろ布のようになりながら、徘徊している有様である。
「ああ、きっと、神がお召だ・・・・・」
先程の男性は引き続き、意味不明の台詞を吐くと、崩れるように川の中に転がり落ちた。川から水しぶきが上がった。
「これって、何よ・・・・・」
何かに憑かれたように放心、徘徊している人々の群れの中、富子は声に出してみた。
「夢!?」
彼女は一瞬、目を瞑り、再度、開けてみた。しかし、夢ではない。間違いなく現実であることが確認できた。そして、足は、少しずつとはいえ、動き続けている。
やはり、眠りの中であるとか、その中での
<夢>
ではなかった。
「じゃ、お芝居?映画?」
しかし、ここは劇場でも映画館でもなかった。とはいうものの、八幡の街が一瞬で、何か巨大な劇場になったかのようである。
移動しているうちに、市内のある場所に辿り着いた。
重症を負い、ボロボロの衣服をまとった人々が集まっていた。
ようやく、ある場所に辿り着いた富子は、ついに耐えかねて、その場に座り込んだ。サチオも同じなのであろう、座り込んだ。ヒロも、現状を理解できずにいるのか、何も言わない。
ここへは、次々と、人々が逃げて来ているようである。
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