第3話
「
その夜、
「…………なにか……仰っていましたか?」
「話を聞いてもらっただけだ。
どうなるかは分からない。
……でも、これで良かったんだと思う」
暖炉の中で揺れる火を並んで眺めている。
「俺が君に、
君が司馬懿殿に報告すべきだと思うことは、報告してもいいのならと頷いてもらったことも話した。だから風雅の許に行く時も、もし郭嘉殿に会っても彼には隠し事はしないでいいよ。
彼は結局の所、魏のことを一番に考えている。
そうしてもいいなら見逃すだろうし、そうすべきではないなら止めてくれる。
魏にとっての害になるなら排除するだろうし、
魏に利益をもたらす人間なら、きっと大切にする」
陸議は数秒考えたが、一つ頷いた。
「どうして郭嘉殿に話しに行ったんですか?」
徐庶は最も郭嘉を警戒し避けているようだったのに。
「俺も話を持ちかけるなら
徐庶が苦笑している。
「でも……突き詰めると。彼を避けては通れないような気がした」
火に照らされた徐庶の横顔を見上げる。
「郭嘉殿がどういう人か、涼州遠征に来るまでは俺はあまり分からなかった。
勿論五年ほど表舞台から完全に去っていたという背景はあるけど、
魏軍の人達を見ていると、彼の捉え方はそんな唐突じゃない。
魏の幕僚の中では最も若くても、彼は魏軍の深い、根底にいるんだ」
陸議の脳裏に何故か、周瑜の姿が浮かんだ。
「他の人に話すかどうかは、多分俺の意志で決められると思う。
話さなくても、人間同士の信頼関係や協調関係の話だ。
郭嘉殿をもし説得出来れば、他の人を頷かせることが出来なくとも、
他に何か道がある気がする。
でもその逆はない。
他の全員を説得出来ても、郭嘉殿に自分の話を聞いて貰えないようでは、
……きっと先に道は無い」
何となくだが、分かる気がした。
軍というのは人間の結びつきで成り立っている。
軍の中に身を置いていると、関わりなく生きれる人間はいるが、
決して避けて通れない相手というのがいるのが分かる。
戦場の指揮官や、上官、首脳といった存在である。
その人がそこにいるだけで、
全ての視線がそこに集まる。
炎が揺れる。
……もし、
水軍決戦は出来かねると見れば、きっとそうなっただろう。
そうなった時、すべきことは諦めて押し黙って従うことではなく、
自分に賛同してくれる人間を見極め、彼らと話し、出来るだけの賛同者を集め、
自分一人の声では動かせなくとも、これだけの声があるのならばと別の方向から周瑜を動かす、そのための全力を尽くすことだった。
そうしても尚、周瑜を動かせないことはある。
だがその時は多分、自分達より遥かに深い考えと強い意志で、呉の為に動くべきでは無いと周瑜が決意している時なのだ。
彼を避けては通れない。
徐庶のその表現が、陸議には理解出来る気がした。
「……そうかもしれないです」
陸議は言った。
「郭嘉殿が、どうして危険を冒してまで【
刺し違えても全滅させようとしたのか、ずっと考えていました」
「……。」
「自分が狙われていると明確に感じれば、
それに気を取られる。自分の行動が変わります。
他人の手によって。
郭嘉殿は自分の命などどうでもいいほどに、魏という国に尽くしておられる。
暗殺者の影に怯え続けることは、その使命の妨げになる。
だから決して許せなかったのだと思います。
自分の命を惜しみたくなかった。
ただひたすら魏の為に前に進みたかったから、危険さえ冒したのではないかと」
徐庶が小さく頷く。
彼もそう思っていたのだろう。
「こうして魏軍の中に身を置いて、
郭嘉殿を避けては出来ないことだと思った」
「良かったです」
陸議はもう一度徐庶の横顔を見上げた。
「道が無いと思って、
貴方が誰にも頼れないと思って、
心を閉ざしていってしまうのは、良くないんじゃないかって思ってたから」
徐庶が陸議の方を見て、微かに笑ってくれた。
「ありがとう」
「えっ?」
「君と話したから、例え理解して貰えなくても、郭嘉殿と話さなければいけないんだと思えた」
――――話さなければならないと思えた。
それを聞いた時、不意に【
美しい
――例え理解してもらえなくても話さなければならない。
この世に恐れるものなど何もないという表情をしていた。
迷いも無く、
揺るぎも無い。
だからこそ、そんな強い人間が何故自分の道を自分の心で決められないのだと。
陸議は
だけど、本当は。
(貴方も、勇気を出して……あの場所に現れたのかな)
斬られるかもしれない、詰られるかもしれない、
理解されず、憎しみだけをぶつけられるかもしれない。
そういう恐れを全て飲み込んでも、
勇気を出してあの場所に現れた。
あの場所に行くことは、
敵なら余計な言葉を交わさず戦うべきだと。
陸議も戦ではそう考える時はあったが、あの時だけは違った。
確かに会いに行かなければならないような――そんな気がしたのだ。
(会いに行って良かった)
それだけは思った。
少なくとも、陸議に心を決めて会いに来た彼の心だけは裏切らなかったはずだから。
「だから……本当にありがとう」
自分も龐統に、そう伝えたかったと思いながら、
小さく陸議はゆっくりと頷いた。
ありがとう、と伝えたかった。
(そうしたら私でも……貴方の心に少しだけ、こんな温かい火を灯せたのかな)
【終】
花天月地【第87話 言葉の行方】 七海ポルカ @reeeeeen13
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