窓辺のココア

藤咲未来(ふじさきみらい)

窓辺のココア

 期末試験が近いというのに、全然進まない。

教科書を開けてはいるが、頭には何も入ってこない。

夜更けのアパートは静かで、やけに寒い。

壁の向こうで音がした。

その後、小さくドアがノックされた。

「こんばんは。起きてる?」

隣の部屋に住んでいる同級生。松下さんだ。

普段は授業で挨拶する程度なのに、こうして訪ねてきた。


少し驚いた「あ、ああ…どうしたの?」

「ココア作り過ぎちゃって…よかったら」

そう言ってマグカップを差し出してきた。

「ありがとう。助かる」

本心だった。受け取ったマグカップの温かさが沁みた。

「散らかってるけど、入って」と、言うべきか悩んだ。

本当に散らかってる部屋でもあった。


「勉強の邪魔になるね。じゃあ、また明日ね」そう言って彼女は小さく手を振って帰った。

ココアはありがたいけど、その後、心がザワザワして落ち着かなくなった。

帰っていく彼女の顔が寂しそうに思えたり、何か相談があったのか?そんなことを考えながら、マグカップを洗った。


赤いマグカップ、温かいココアが似合う。見てるだけで温めてくれそうなマグカップだった。

僕の部屋にあるのは、アパートに引っ越すときに、母が荷物に入れておいてくれたものが一つと、以前友達とクレーンゲームで取ったものだ。

次は自分のマグカップ買ってみよう。そう思いながら、いつもより丁寧に洗って伏せた。


 次の日、アパートを出た所で彼女にあった。

「おはよう。昨日はありがとう。美味しかったよ」

「おはよう。よかった。勉強はかどった?」

聞かれて、苦笑いをしながら首を横に振った。

「松下さんは、ココア派なの?」

「うん。ココアは好き。コーヒーも飲むけど、

ココアは何となくホッとする。そんな気がして」

そう言って歩く、彼女の横顔は昨日と少し違った気がした。


思い切って聞いてみた。

「あのさぁ、昨日散らかってるけど、部屋に入って、って言って良いのかどうか…」

言い出したものの、中途半端になった。

彼女は笑いながら「ごめんね。突然驚くよね。

ただ時々、一人だと寂しい時があってね。勉強してても、全然集中できなくて、誰かと話したいな。って思ったの」


笑っているけど、彼女の声は真剣だった。

僕は少し考えて、正直に答えた。

「僕も同じだよ。アパートに帰って机に向かうと急に孤独を感じる。だから昨日みたいに訪ねて来てくれると嬉しかった」

彼女は立ち止まって「ホントに?」聞いてきた。

「もちろん!」僕の返事に彼女は安心したように少し微笑んだ。

彼女が立ち止まった足元に、夜更けに降り出した雪が少し残っていた。


 道理で寒いわけだ。僕の心の声が聞こえたのか、彼女が「寒いね、冷蔵庫の中を歩いているみたいだね」と、笑いながら言ってきた。

「なるほど、冷蔵庫の中を歩く。か、北極とか南極じゃないんだね」

すると彼女は「私、北極も南極も行ったことないの」と、いたずらっぽい笑顔で言ってきた。

「僕も冷蔵庫の中、歩いたことないんだ」

今度は二人が顔を見合わせて大笑いした。

たわいもない話しだ。


昨日までは、挨拶する程度だったのに、今はこうして二人で声をたてて笑っている。

「そういえば、隣同士なのに、こうして話すの初めてだね」僕の言葉に、彼女は「そうだよね、お互い気づいていたけど、あまり話しかけるきっかけがなくて」

確かにそうだ、授業で会っても、アパートで会っても、軽く会釈する程度だった。

そう考えると、昨日の彼女の一ぱいの温かいココアは…そう思うと「ありがとう」言葉が先に出てた。

彼女は不思議そうに、「えっ、何?」

「いやっ、ありがとう…って良い言葉だよな、全てにありがとう、冷たい風にさえありがとうだな」

ぎこちない僕の答えに、二人で笑いながら足を進めた。


 その日の帰り、僕は近くのお菓子屋さんに寄った。小さな雪だるまが透明の袋に入れて売られていた。袋を縛ったところには、雪の結晶が付いていた。中の雪だるまは、たぶんホワイトチョコで作られているんだろう、黒い目、にんじんを模した鼻、赤いリボンが首に巻かれている。

「これだ!これがいい」

雪だるまを一個買って帰った。

アパートに帰ると、赤いマグカップをもう一度きれいに拭いた。

そのマグカップの中に、さっき買ってきた、雪だるまを入れた。ピッタリだ!

何が?って、イメージ。僕が持ってるイメージとピッタリだった。


雪だるまの入ったマグカップを、机の上に置いて、その横で教科書を開いた。

いつものことだが、頭には入ってこない。

しばらくすると彼女が帰ってきた音がした。

少しして、彼女の部屋を訪ねた。静かにノックした。


「こんにちは、隣の桐谷だけど」

「はーい」彼女がドアを開けた。

「これ」僕がカップを差し出すと、彼女は、「わ〜っ、かわいい」と言って僕を見た。

僕は言った「昨日のココアのお礼」

彼女は「嬉しい。ありがとう」マグカップの中の袋を取り出し、回しながら見て、嬉しそうに喜んでくれた。

「ホワイトチョコだと思うけどね。ホワイトチョコ好き?鼻のにんじんは何で作っているんだろうね?」僕が言うと、彼女は「可愛くて食べれないよ」と雪だるまを見てた。

また五分ほどたわいもない話をして「じゃあ、また明日ね」そう言って僕は部屋へ帰った。


 部屋で一人机に向かった。

深夜、今日買ってきたココアをつくった。時計を見ると、彼女がココアを持ってきてくれてから、まだ一日経っていないのに、遠い昔のことのように思える。何だろう、心地よく思える。

ココアの入ったマグカップを持って、窓の外を見ていた、街灯の光に照らされて雪が静かに舞っていた。


 次の朝、アパートを出るとアパートの前に彼女がいた「おはよう。昨日はありがとう」

嬉しかった、でも「おはよう。松下さん待っててくれたの?」

「うん、でも少しだけだよ」

昨夜からの雪が積もっていた。

僕は言った「ありがとう、でも絶対寒かったよね、ドア叩いてくれたらよかったのに」

「いいの?朝からドア叩いちゃって。でも、この前、夜更けに初めての人の部屋をノックした私のセリフじゃないね」そう言って彼女は笑ってた。


 また、たわいもない話をして歩く。

今まで一人で歩いていた道を肩を並べて歩く。

いつもの景色も、いつもより少し違って見えて、一人だと雪で寒さしか感じないのに、違った空気を感じる。

彼女が「あのね…」と言いかけて、ためらってやめた。

「どうしたの?」心配になって聞いてみた。

「ごめん、ごめん、何でもない。寒いね、走っちゃう?」彼女は小走りで時々振り向いて笑って見せた。

何だったんだ?あれから気になって仕方がない。

アパートに帰っても、彼女の部屋に聞きに行くこともできない。

もちろん、彼女もこない。

この夜、ココアを何杯のんだか覚えていない。

次の朝、今度は僕が早く出てアパートの前で彼女を待った。

「おはよう。待っててくれたの?」いつもの笑顔で彼女が言った。

「うん、おはよう」

僕が言うと、彼女は申し訳なさそうに「昨日はごめんね、あんな言い方して、最後まで言う勇気がなかったみたいで…」

僕の心はまた、ザワザワした。

何なんだ、このざわつき、落ち着けよ、期待をするなよ。自分に言い聞かせながら、彼女の次の言葉をまった。

すると彼女が「あのね」

あのね、ここまでは聞いた。次、次だ

僕は心で言った。

「あのね、試験が終わったら、一緒にココア飲まない?」

彼女の言葉と笑顔が温かいココアのようだった。

「もちろんだよ」心の底からでた言葉だった。

彼女は安心したように笑った。

「ココアで祝杯だね」

この小さな約束が冬の寒さを少し、暖かくしてくれる気がした。

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窓辺のココア 藤咲未来(ふじさきみらい) @fujisakimiku

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