絶叫博物館
秋犬
常設展は高校生以下無料
俺の彼女は変な奴だ。夏休みだっていうのに、人でごった返している博物館なんかに行きたいという。
「夏休みなんてガキだらけだろう、なんでそんなところに行きたがるんだよ」
「行けばわかるよ」
そう言って彼女は650㎖の麦茶を雑に飲み干す。俺も拒否する理由はないから、しぶしぶ今度の日曜日に付き合うことになった。博物館なんて何年ぶりだろう。俺もガキの頃から行ってないな。俺がガキの頃から行ってないということは、やっぱり博物館ってガキ向けの場所なんだ。デートスポットなんかになるもんか。せっかくなら、冷たいかき氷でも二人で食べに行きたいんだけどなあ。彼女とは「帰りにあんみつ食べよう」と約束して、その日は終わった。
当日、朝一番でやってきた博物館の前は既に多くの家族連れで賑わっていた。キャップを被ってパンフレットを神妙に読みふける小学校中学年から高学年のガキが圧倒的に多い。おそらく自由研究などで嫌々来ているのだろう。わざわざ夏休みに勉強しに来るなんて、罰ゲームみたいなもんだよな。そう嫌そうな気持になるのもわかる。
「私ね、博物館が好きなの」
「なんで?」
「人間が進化するところが見れるから」
「は? そんなもん見えるわけないだろ」
「見えるよ。じゃあ一緒に行こうか」
やっぱり変な女だ。俺は彼女に連れられて、博物館の中に入った。彼女が言うには「特設展は人気だから今日は常設展だけ回ろう」とのことだった。俺には違いがよくわからないが、きっとそれで正しいのだろう。
博物館に入ると、多くの家族連れが展示を見て回っていた。目立つところにでっかいティラノサウルスの化石があって、後は地球と科学の発展みたいなムービーがぐるぐる流れている。
「あ、あれティラノサウルス」
「違うよ、あれはアロサウルス」
「どっちでもいいじゃん」
「じゃあ、人間の骨格見て未来人にゴリラ、って言われたい?」
「別にどうでもよくね?」
「もう、夢がないんだから」
そこから先は生物の多様性みたいな展示がずらーっと並んでいた。虫とか動物の剥製とか、そんなに並べて何が面白いんだろう。
「見てみて、最大のキノコだって」
「まあ、でけえな」
彼女は一抱えもあるキノコを見て喜んでいる。本物のでかいキノコ見て喜ぶ女なんているんだ、って俺は思った。
(まあ、勉強しぃだねえ。さかしらなこと)
ふと、俺の中で誰かが囁いた気がした。俺が幼稚園でキノコの図鑑を借りてきたときに誰かに言われた言葉が脳裏をかすめた。誰に言われたんだったかな。何だかそれがバカにされたみたいで恥ずかしくて、俺は図鑑の類を見るのをやめてしまった。間違いなく彼女も「さかしらな女」ってバカにされるだろう。敢えてバカにされるようなことを、俺はしたくなかった。
そんなさかしらな女について地下に降りると、でっかい恐竜の化石が展示してあった。
「ほら、こっちがティラノサウルスだよ」
「違いがわかんねえよ」
「アロサウルスは指が三本、ティラノサウルスは二本だよ。常識でしょ」
「いや、そんなの知らないし」
常識かどうかはともかく、地下の空間にデカい恐竜の化石がひしめいているのは壮観だった。これが何千万年も前に動いていたのだと思うと、つくづくおっかないことだとしか思えない。
「男の子なのに、恐竜好きじゃない?」
「いいや、ジュラシック・ワールドは観たよ」
「じゃあ、感動しない?」
「別に」
俺は咄嗟に嘘をついた。恐竜の化石を見て感動するなんてガキだとしか思えない。でも彼女はにーっと笑顔になって、俺のことをじっと見つめる。
「あ、そ」
こいつは俺の嘘がわかるのかもしれない。畜生、どこまでも俺をバカにしやがって。
「じゃあ、ここで『進化』を見て行こうか」
彼女がそう言うので、俺たちはしばらく解説を読みながらぼんやり恐竜を眺めていた。時々やってくる異様に恐竜に詳しい男子たちが俺には眩しかった。連れのお母さんまで「ほら、真鍋先生だよ」と解説映像を指さして、「何とかサウルスはどこで見つかったんだっけ」などという会話をしている。何だここは。俺はこんなところにいていいのだろうか。
「なあ、恐竜は絶滅したのに『進化』って本当に見れるのか?」
「あ。ほら見て、あの子見てよ」
彼女が指さす方を見ると、ようやく言葉を話し始めたばかりくらいのガキがよちよちと歩いていた。こんなに人がごった返しているのに、危ないな。親は抱っこしておけよ。いや、ガキの背中からなんか伸びて親の手に繋がっている。これが噂の子供用リードって奴か。マジで犬みてえだな。俺がそう思っていると、突然ガキが上の方を指さして叫んだ。
「わーあ、あ、あ、ああああ、きょりゅ! きょりゅ! きょりゅ!」
一瞬、その周りが神聖な空気に包まれた気がした。
それはおそらく「エウレカ」と呼べるものだった。彼は「恐竜」を見つけたのだ。太古のエネルギーが彼の人差し指に降り注ぎ、彼に言葉を授けた。彼はもう犬ではない。犬からヒトに進化したのだ。
「恐竜、いたねえ」
「きょりゅ、いた! がお、いた!」
「がおがおさん、いたねえ」
「がおいた! きょりゅ、いた!」
「恐竜、いたねえ」
「おっきい、おっきい!」
「おっきいねえ」
「いっくんのがおちゃんよりおっきい」
「そう、おっきいんだよ」
俺は解説を読みふける振りをして、ずっと子供の言葉を聞いていた。彼の中で「がお」は「きょりゅ」であり、「恐竜」は「大きい」のだ。その大きな恐竜の化石を間近で見て、彼は急速に言葉を発見している。同時に恐竜時代から綿々と受け継がれてきた「何か」を、彼は全身で受け止めている。
その後も、彼はあちこちを指さして何事かを発していた。興奮しているため何を言っているかわからないが、おそらく恐竜について何か述べていることはわかった。彼の父親は彼を抱いて、謎の宇宙語に始終「うんうん、そうだね」と相槌を打っていた。
「ね、『進化』したでしょう?」
「う、うん。まあな」
彼女の言葉で、俺は現実に引き戻された。何故か俺は泣きそうになっていた。別に子供が好きだとか恐竜が好きだとか、そういうことを考えたことは一度もなかったのに。それなのに、どうして彼女はこんなのを見るのが「楽しい」と思うのかはわかってしまった。確かにこれは面白い。人間が言語を習得する瞬間なんて、滅多に見られるものじゃない。
「じゃあ次はアンモナイトを見に行こう」
「えー、まだ見るのかよ」
その後俺は彼女に引っ張られて、大昔の石ころを大量に見た。人間の昔の姿や骨もたくさん見た。大昔の姿を見れば見るほど、時間の最先端をひた走る「きょりゅ」がどれほど美しいのかが身に染みた。
「……腹減ったな。あんみつ食いに行こうぜ」
「ダメよ。次はレストランで限定メニュー食べるんだから。その後ははやぶさと日本館!」
「まだあるのかよ!?」
俺の彼女は変わっている。甘い菓子よりも太古のロマンとやらのほうが大事らしい。でも、初めての感覚に触れた瞬間って言うのは言葉にし難い感覚を持つのだということを俺は教えてもらった。
一日中彼女に連れまわされて頭を殴られたような気分で博物館から出たら、デカいクジラの模型があった。
「でけぇ」
叫びはしなかったが、俺の「エウレカ」が自然と口から出た。
「でかいよね」
ああ、でっかいな。これが生きて動いてるんだから、すごいよな。言葉に出来ねえよ。わかんねえな。あんみつかあ、どうでもいいや。俺は可愛い恐竜のぬいぐるみを抱える彼女をそっと抱き寄せた。一番でっけえのはこいつだなあ。こいつに好かれて、俺は幸せかもしんないな。ああ、よかった。
<了>
絶叫博物館 秋犬 @Anoni
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