赤極組
くちびる
赤極組
体調の悪さを理由に会社を休んだ朝、私はベッドの上で浅い眠りを繰り返していた。
体は鉛のように重く、布団に沈み込む。
部屋は静まり返り、時計の秒針の音だけがやけに耳につく。
――そのときだった。
カラン、と玄関のドアベルの音が鳴った。
微かなはずの音が、胸の奥まで刺し込むように響く。
反射的に上体を跳ね起こし、呼吸が荒くなる。
「誰だ……?」
家族が帰ってきた?
いや、こんな時間にありえない。
続いて階段を一段、また一段と上ってくる音がする。
その規則正しい足音が、かえって異様に感じられた。
ドアの隙間から影が伸びてきた瞬間、背筋を氷の刃で撫でられたように血の気が引く。
喉元で心臓が暴れ、息を呑むたびに胸が痛む。
「強盗かもしれない……」
頭に浮かんだ考えに突き動かされ、窓へ駆け寄る。
鍵を外しかけ、外の景色を一瞥する。
二階。地面はコンクリート。飛び降りれば助かるどころか、骨を砕くだろう。
足が震え、窓枠を掴んだ手は汗で滑りそうになった。
恐怖と迷いに縫いとめられ、私はその場に釘付けになった。
やがて、勢いよく扉が開く。
私はびくりと肩を跳ねさせ、恐る恐る振り返った。
そこに立っていたのは、作業着を着こなし、笑顔を絶やさない小太りのおじさん。
「ここって〇〇さんのお宅ですよね? 点検始めますねー」
その柔らかな声に、頭が真っ白になり、反射的に「は、はい」と答えてしまう。
不自然なまでの安心感が声に宿り、現実の輪郭がぼやけていく。
夢のような光景が、夢ではなく現実として進んでいく。
すぐに後ろから、ちゃらついた男女二人が階段を上がってきた。
男は下品に片足を上げビチビチと屁をこき、女はまるで何事もなかったかのようににこやかに挨拶する。
私は声も出せず、ただ唖然と見つめる。
彼らは友人宅にでも来たかのように気軽に、点検作業を始めた。
テレビを覗き込み、窓辺には白いテープのようなものをぺたぺたと貼りつける。
その何気ない作業の様子ばかりが、やけに鮮明に脳裏に焼き付く。
気づけば作業員は四、五人に増えており、煙草を吹かす者まで現れていた。
しかし、次の瞬間には跡形もなく姿を消していた。
慌てて窓から外を覗く。
駐車場に停められた巨大な車両が、静かに動き出すところだった。
紫を基調とした近代的なバスのような外観、その側面には大きく「赤極組」と書かれている。
「……赤極組?」
胸騒ぎに突き動かされ、私はパソコンを起動して検索する。
心臓がまだ早鐘を打っている。
どこかの詐欺に巻き込まれたのか、それとも何かもっとおぞましいものなのか。
だが、検索結果は虚無だった。
「赤極組」などという会社も組織も、この世界には存在しない。
その不安に煽られた瞬間――私は目を覚ました。
どうやら夢を見ていたらしい。
現実だと気づいてまずは安堵する。
だが、全身を覆う冷たい汗と鼓動の速さは夢を否定していなかった。
布団の上でしばらく呼吸を整えながら、再び「赤極組」と検索してみる。
やはり結果は出ない。
夢とは本来、辻褄が合わず、意味を持たないもの。
それは理解している。
それでも――気になる。
「赤極組」
それは夢の中にしか存在せず、夢の世界ですら正体不明の企業。
赤極組 くちびる @Deckbrush0408
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます