19. 呪いと碇

——羽鳴山・渓流


 二体目の赤穂成を倒して間もなく、穂鷹のもとへ稲波と葉鳥が合流した。川沿いの砂地に、息絶えた赤穂成が連なって横たわり、周囲に散った赤黒い稲籾が血の痕のように鈍い光を返している。


 稲波はその死骸を見渡しながら、穂鷹の背に感嘆の声を投げた。


「いや〜、早かったね。見事な戦いぶりだったよ」


 稲穂が風に煽られ、ザラザラと乾いた音を鳴らす。砂地に落ちた巨大な影が、ざわざわと蠢くように見えた。


「この量だ。川沿いだし、赤籾の後処理は早めにしておいたほうがいいね。葉鳥」

「了解です、後ほど処理しておきます」


 巨体は自重でわずかに沈み始めていた。藁は朽ちても、毒を持つ籾は残り続ける。長時間水に浸れば毒が滲み出し、川を汚染してしまうため水辺での放置は厳禁だ。刈人隊の鉄則通り、すべて回収して焼き払わなければならない。


「見たところ、君は赤穂成との戦いに非常に慣れているね。倒した後、赤籾はどう処理してきたのかな」


 わざとらしい問いに、穂鷹は沈黙で返す。稲波は一呼吸置き、声色を硬くした。


「君が赤喰い、というのは誤解だろう? こんなものは人間の食べ物じゃない。いくら飢えていても、これを口にするなんてね。獣や虫だってしない」


 尊厳をゆっくりと踏みにじるような、嫌な言い方をする。葉鳥は息苦しさに耐えかねるように、そっと鼻から息を逃がした。

(仕事で詰められる時と同じこの空気感。居た堪れない……)


「別にいい、虫以下でも。その分家族が食えれば」


 穂鷹は振り返らず、呟きを漏らした。その言葉に稲波は失笑し、拳で口元を押さえる。


「信じられない。本当に、これを食べているのか。大した自己犠牲だ。さっきの無茶な庇い方でも感じたが、君はあれか? 自殺願望でもあるのか」


 さきほどから随分と煽る物言いだ。彼らしいといえばそうだが、いつもならもう少し紳士的な振る舞いをする。一体、何を狙っているのだろう。黙ったまま応じない穂鷹に、稲波はさらに言葉を畳み掛ける。


「普通は、こんな毒の米を喰ってたら止める。身内なら尚更だ。君の家族はその身を案じてくれないのか? 随分と薄情だな」


 その瞬間、穂鷹が一歩で距離を詰め、稲波の衿を掴み上げた。葉鳥が反射的に腰の短刀に手を回すが、稲波は片手を上げてそれを制した。


「——何も、何も知らないくせに……! 俺の家族を侮辱するな」


 絞った声が震える。握力が増し、布が軋む。稲波は抵抗せず、射抜くような目で穂鷹を見つめ返す。


「なるほど、君のいかりはやはり、そこにあるんだな」


 稲波はそっと手を伸ばし、自身の衿を掴む穂鷹の両手首を掴んだ。稲波がグッと手に力を込めると穂鷹の顔がわずかに歪んだ。


「穂鷹。家族を守りたいなら、なおのことだ。赤喰いをやめて、刈人隊に入れ」


 引こうとする手を逆に引き寄せ、稲波は真剣な眼差しを合わせて諭すように続ける。


「隊に入れば、毎月俸禄ほうろくが出る。作物が取れなくても、家族は飢えに怯えずに済むんだ。君にも、まともな食事を取らせてやれる。村はしばらく離れることになるが、休暇には戻れるし、非番中に様子も見に来れる。なんの心配もない」


 穂鷹は小さく目を見開いたが、ゆるく首を振る。


「いやだ、俺はどこにも行かない。ここにいる」

「なぜだ。家族を生かすために、こんな無茶をしているんだろう?」

「父さんと続けてきたことが、無くなる——俺は、これを喰わなきゃだめなんだ」


 予想外の拒絶に、稲波は言葉を失った。力が抜けたように、拘束していた指がほどける。穂鷹は苦悶を滲ませ、顔を伏せると両手で髪を掴んで頭を抱え込んだ。その痛々しい姿を見て、稲波は悲痛な表情を浮かべた。


「土雉さん、あんたこの子に一体何をしてきたんだ……」



 葉鳥は、呆然とその光景を見つめていた。


——赤喰い。


 もし穂鷹の言葉が本当なら、あの土雉が実の息子にそれを強いていたことになる。隊規違反を、彼がやるだろうか。ましてや、自分の子どもに。


 否。自分の中にある土雉像とは、まるで結びつかない。


 幼いころから瓦版や英雄譚で何度もその名を目にしてきた。葉鳥は一度だけ、斎家の年始神事で彼の姿を見ている。中央隊を率い、先頭に立って凛と参拝するその出で立ちは、幼心に強烈な印象を残した。


 隊の礎を築いた英雄。彼の采配によって、多くの犠牲が食い止められた。

「人を導く理想の刈人」——それが、葉鳥にとっての土雉だった。


 現実と記憶の像が噛み合わず、胸の奥に墨を落とすような違和感が広がる。英雄はいつも紙の中で笑っていた。だが、その笑顔の向こうに何があったのか。


 自分は、何も知らないのだ。


「試すような真似をして、悪かった。……不用意に君を傷つけてしまったな」


 稲波はそっと穂鷹の肩に腕を回し、落ち着かせるように軽く背を叩いた。先ほどまでの冷徹な口調とは打って変わり、声には穏やかな響きが戻っている。


 短く息を吐き、濡れた穂鷹の肩をさする。


「ずいぶん身体が冷えている。一旦、村に戻ろう」

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