第2話 悪役貴族、剣を執る
朝日が射し込むイシュタール家の訓練場に、妙なざわめきが広がっていた。
「おい、聞いたか……レオンハルト様が、自分から鍛錬に向かったってよ……。」
「嘘だろ……あの“横柄貴族様”が……? いったい何の冗談だ?」
使用人たちがざわついているのも当然だ。
だって、今までの俺は“訓練場”なんて言葉を聞いただけで眉をひそめ、
「汗は平民の文化だ。」とか「剣は振るだけ無駄。」とのたまっていたらしい。
そういえばレオンハルトってそういう嫌味なキャラだったな。
そんな俺が、今まさに訓練着を着て、庭園の中央で木剣を構えようとしているのだから、驚かない方が無理がある。
「……ふぅ。とりあえずフォームはこんな感じだったよな。」
前世で少しだけ剣道をかじっていた記憶を頼りに、構えを取る。
レオンハルトは自分の力に慢心するあまり剣術を完全にサボってはいたが、基礎的な戦闘能力は非常に高い。
能力を活かしきることができさえすれば、必ず強くなれる。
今は、やるしかない。
“死なないため”にも、俺は強くならなきゃいけないんだ。
「——その構え。久しく見ておりませんでしたな、坊ちゃま。」
どこか低く、枯れたような声が背後から届いた。
振り向くと、ゆっくりと訓練場へ足を踏み入れてくる男がいた。
歳は六十を超えているはずだが、背筋はまっすぐ。
黒の執事服に身を包み、その姿勢には微塵の揺らぎもない。
「……バルド。」
イシュタール家の武芸指南役、バルド・アムゼル。
若かりし頃は“灰燼のバルド”と恐れられた戦場の鬼だ。
かつて戦地において彼が進んだ場所には、何も残らなかったという。
今でこそ燃え殻のように静かに生きているが、その灰にはなお熱が宿っている。
「……見違えましたな。坊ちゃまが、自ら鍛錬に足を運ばれるとは。」
「笑うか?」
「いいえ。ただ、空を仰ぎ見て雷鳴が鳴らぬかと確認しただけで。」
「皮肉が多いのは、年を取って丸くなったってことか?」
「丸くなった分、当たりは柔らかくなりましたかな?」
皮肉の応酬に、少しだけ笑みがこぼれる。
バルドはゲーム「エンブリオ・クロニクル」では最強格のキャラの一人だ。
彼に師事すれば、俺は確実に強くなれる。
過去のレオンハルトがどれほど彼の忠告を無視し、裏切ったかはゲーム中では何度も見てきた。
だからこそ、今度こそは彼の言葉を受け止めたいと思う。
「バルド。頼みがある。俺に、剣を教えてくれ。」
「……本気ですか?」
「ああ、俺には運命を切り開く強さが必要だ。」
バルドの眉が、わずかに動いた。
数秒の沈黙ののち、彼は歩み寄って俺に木剣を手渡した。
「承りました。では本日より、鍛え直しです。」
「頼む。」
* * *
それから数カ月、俺はバルドにみっちりと鍛えこまれた。
鍛錬は、想像以上に厳しかった。
呼吸法、立ち方、重心、視線の置き方。
どれも当たり前のようで、できていないことばかりだった。
「腰が浮いていますな。」
「構えが甘いです。」
「呼吸が止まっています。殴られたくなければ吸いなさい。」
「殴られるのかよ!?」
「ばかもの、心の迷いを断ち切ることこそ真なる剣の道です。」
「今ばかって言った!?」
汗は流れ、息は上がる。
だけど、それでも楽しかった。
こんなにも“まっとうな努力”をしている実感があるのは、前世でも珍しかったかもしれない。
* * *
夕刻。空が茜に染まり、屋敷の庭に長い影が差し始める頃――俺はバルドに声をかける。
「バルド。」
俺が名を呼ぶと、彼の手が止まる。
ゆっくりと振り返ったその表情には、警戒と――わずかな驚きが感じられた。
「……坊ちゃま、今日はもうお疲れでしょう。
鍛錬はまた明日おこないますゆえ。」
「手合わせを願いたい。」
俺はまっすぐに言った。笑みも、飾りもいらない。ただ、本心をぶつける。
「……は?」
バルドの眉がぴくりと動く。
「訓練として、お前に挑みたい。
昔のように、ではなく、今の俺として。」
「……本気で仰っているのですか?」
「本気だ。」
バルドは俺を見つめたまま、しばらく沈黙する。
その視線が突き刺さるように鋭く、だが、どこか試すような色も混じっていた。
(そうだ、今までならこの場に来ることすらしなかった。俺の中の『当たり前』が、もう崩れたんだ)
「承知しました。では、手合わせとまいりましょう」
バルドはそう言って模擬刀を取り、訓練場の中央へと歩み出る。
その瞬間――バルドの鋭い眼差しが俺に向けられる。
――――――――――――――――――――――――――――――
【バルドの評価】
手加減は必要なし。
最初の一太刀、連魔灰燼剣で慢心を断つ。 ✎
――――――――――――――――――――――――――――――
彼と視線が交差した時、ウィンドウが開いた。
俺のスキルによって、バルドの強い意志が可視化された――
(来た……! しかも、よりによって“連魔灰燼剣”!?)
あれは……ゲーム中で何度も喰らった。
俺を討伐する主人公を阻止するため、ボス化したバルドと戦うイベント。
そのバルドが使う奥義、主人公を何度も床ペロさせた必殺技。
(あの連撃は初撃で動きを止めて、二の太刀で斬り伏せる構成……模擬刀とはいえ、まともに受ければ無傷ではすまない)
ウィンドウの文言は、編集可能だ。
たとえば「手加減は必要。」にすれば、戦闘力は大きく落ちるだろう。
でも、それは――
「……違う」
目の前で、真っすぐに立つバルド。
この老剣士が、本気で俺に向き合おうとしてくれている。
それが、ただの破滅フラグじゃなく、“今の俺”への挑戦だと、そう思えた。
(なら、真正面から受けてみせる。今の俺の覚悟を、あんたに示す!)
俺はウィンドウを操作せず、そっと閉じバルドを見据えた。
木剣を両手で握り直し、深く息を吸った。
「始めようか、バルド。」
バルドの木剣がわずかに揺れる。
構えの無駄は一切なく、ただ静かに、だが確実に――強い覇気が込められていた。
(来る……!)
「――手加減はしませんぞ、坊ちゃま。」
バルドは自分に言い聞かせるかのように静かにつぶやく。
次の瞬間、視界が霞むほどの速さで地面を蹴った。
初撃は、縦一文字の鋭い斬撃。
剣圧すら感じるその太刀筋は、普通の訓練生なら骨ごと叩き折られていた。
(大丈夫だ、読めてる!構えに入った瞬間から……!)
俺は半身でかわし、両腕に全力を込めて木剣で受け止めた。
ズンッ、と腕に衝撃が走る。木剣の表面がひび割れるのが見えた。
(これは受けきった、次が本命だ――!)
二の太刀、俺の体勢がわずかに崩れたその隙を狙い、もう一つの斬撃が――斜め下から薙ぎ払うように迫る。
だが、このタイミングは完璧に覚えている。
二の太刀が発動する瞬間に、初撃を受けた盾役に回復魔法をジャストで差し込む練習は嫌と言うほどやってきた。
(……ここだ!)
あえて受けに行く。二の太刀の力を、逆に利用するように。
木剣を軸に相手の模擬刀の勢いを“外”へと流し、そのまま右足を踏み出しながら懐に飛び込む。
「――っ!」
俺の木剣がバルドの胸元に突きつけられ、彼の模擬剣は遥か後方へと弾き飛ばされた。
一瞬の静寂。
次いで、庭を抜ける風の音と、二人の荒い呼吸だけが残った。
「……勝負あり、ですな。坊ちゃまの勝ちでございます。」
バルドが静かに言う。
「いや……」
俺は手元の木剣を見る。ひび割れ、先端は今にも崩れそうだ。
「俺の木剣も限界だった。これ以上は戦えない。
この勝負は引き分けだな。」
そう言って、俺は手を差し出した。
バルドは目を見開く。
が、次第に口元をわずかに緩め、俺の手を握り返してくれた。
「これからも、剣術指南をよろしく頼むぞ。」
「……は。身に余るお言葉。」
俺は握手を交わしつつ、汗を拭い、少し気を抜いて笑いかけた。
だが、バルドはじっと俺の目を見て、真顔のまま質問を重ねてくる。
「しかし、どうやって私の奥義を見切ったのです?
お見せするのも初めてのはず、常人ではまず初撃を受けきることさえかないませぬ。」
げっ……言われてみれば確かにその通りだ。
最強格のキャラである灰燼のバルドの奥義を初見で見切れる青年貴族とか化物がすぎる。
内心、超焦っていた。
実際のところ俺は、ゲームの攻略知識で「あの構えからは必殺の二連撃が来る」って分かってただけだ。
なのにそれを正直に言ったら絶対おかしいヤツになる。
(まずいぞ、これは……なんかそれっぽいこと言わないと)
必死にゲーム中のセリフを脳内で検索する。
バルドの名言集だ。あった、あったぞ、使えそうなのが。
「お前が言っていただろう、
“心の迷いを断ち切ることこそ、真なる剣の道”……と。」
言いながら、内心冷や汗ダラダラだった。
(やったか!?……いや、これは絶対やれてないやつだ)
だが、バルドは驚いたように目を見開き、それから――静かに目を閉じた。
「……なるほど。そういうことでしたか。」
え? 通じたの?
次の瞬間、彼は地に片膝をつき、頭を垂れた。
「レオンハルト様。これまで私は、貴方様を見誤っておりました。
この命、貴方にお預けいたします。」
えっ、うそでしょ……!?
パーフェクト・コミュニケーション……成立してる!?
俺は訳も分からぬまま、全身から脱力した。
(いや、結果オーライ……!)
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