未完の異世界を編集します 〜更新停止したら物語に召喚された件〜

てててんぐ

第1話 更新を止めたら世界が止まった

「……更新、止めるか」


 画面に並ぶ未読の通知を閉じ、俺は深く息を吐いた。

 スマホに映るのは、三年前から続けてきた連載小説。ブックマークは二千件を超え、コメント欄も毎回にぎわっていた。けれど、俺の指はもう動かない。


 仕事と創作の両立に疲れ、書きたい気持ちよりも「また更新しなきゃ」という義務感が勝ってしまった。

 この一週間、頭に浮かぶのは「どうせ読まれないんじゃないか」「俺なんて」という弱音ばかり。


 だから、俺は宣言した。

 ——しばらく更新停止します。


 画面に表示されたその一行が、俺の物語だけじゃなく、すべてを止めるとは思っていなかった。



 翌朝。

 いつもならスマホが通知で震える時間。だが今日は沈黙している。

 空白のアクセス解析画面を眺めながら、俺は冷めたコーヒーをすする。


「……まあ、仕方ないよな」


 つぶやいたその瞬間だった。


 バリリ、と空気が破れる音。

 振り返ると、自室の扉が紙のように裂け、中から光のページが舞い散った。


 文字の雨。句読点の嵐。

 気がつけば、俺の身体はその中に飲み込まれていた。



 目を開けると、そこは酒場のような場所だった。

 だが壁には文字が浮かび、カウンターには「未完」と赤く印字された札が並んでいる。

 足元には脱字のように欠けた床板、天井には消しかすのような黒い雲。


「——作者さん、ようやく来たね」


 声に振り向くと、銀髪の少女が立っていた。

 腰には剣。だがその瞳は、俺が書いたキャラクターのものだ。


「レイナ……?」

「そう。あなたが書いた、悲劇の剣士。原作どおりなら、もう私はここで退場するはずだった」


 少女は悲しげに微笑む。


「でも、あなたが更新を止めたせいで——物語そのものが止まった。

 だからこの世界は崩れてるの。未完のまま、ね」


 耳を疑った。俺が更新しなかったせいで? 世界が?



 その時、カウンターの上に黒猫が飛び乗った。

 首には赤い編集マークの首輪。


「にゃあ。自己紹介するね。僕はエディット。この世界の“校正役”だ」

「猫がしゃべった!?」

「作者なら驚くほどじゃないだろ。君、今までキャラに散々しゃべらせてきたじゃないか」


 猫は尻尾で空中をなぞり、一枚の原稿用紙を描き出した。

 その紙には、俺が書きかけで放置した次回予告が記されている。


『レイナは絶望の中、最後の戦いに挑む——』


「この続きがないと、彼女の運命は確定しない」猫は言った。

「だから君が来たんだ。作者にして、この世界の編集者として」



 レイナが一歩近づく。

 瞳は必死に俺へすがる。


「お願い。続きを……書いて」


 胸が締めつけられる。

 逃げるように更新を止めたはずなのに、こんなふうに直接求められたら——。


「どうすれば……いい?」


 問いかける俺に、黒猫はにやりと笑った。


「簡単さ。ここでは、一行書けば世界が変わる。ただし、代償は払ってもらうけどね」


「代償……?」


「たとえば君が“彼女は死なない”と書けば、死ぬはずだった何かが別の場所で消える。

 因果律はゼロにはならない。物語は常に均衡を求めるんだ」


 俺は息を呑んだ。

 一行で、世界が変わる。けれど必ず代償がある。



 レイナが両手を合わせて俺を見つめる。

 その姿は俺がかつて描いた“ヒロイン”そのものだった。


「あなたが続きを書いてくれるなら、私は生きられる」


 俺は原稿用紙を見下ろす。

 真っ白なページ。そこに浮かび上がるカーソル。


 手が震える。けれど、心臓は高鳴っていた。

 久しく忘れていた感覚——「書きたい」という衝動。


「……わかった。俺が続きを書く」


 その瞬間、原稿用紙がまばゆい光を放ち、周囲の崩れた酒場が一瞬だけ息を吹き返した。


 だが同時に、黒猫の声が耳を刺す。


「ようこそ、“未完の世界”へ。さて、君はどんな代償を払う?」

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