嫌われたいぼく(ワケあり)を毎日甘やかしにくる年上の彼女

秋乃光

新学期の匂い

 九月の空に、夏の匂いが漂っている。

 この世界の夏は、話題に事欠かない。


 盆踊りに、花火に、海水浴に、バーベキューに、その他、いろいろ。

 思い出はキラキラしていて、夏休みは短い。


 南から吹く風が、残り香を彼方へと運んでいく。

 もっとふたりきりで過ごしたい季節だった。


 *


 この世界の『中学二年生』としての、二学期が始まった一日目。

 ぼくがこの世界に来たのは『中学一年生』になる年の、春だ。


 ぼくは、まだ、


「こんなの、早苗さなえとおんなじ神佑じんゆう高校に決まってるじゃあないの! 悩む必要ないないナイジェリア!」


 学校から持ち帰ってきた『進路希望調査票』の第一志望の欄に、ボールペンで『神佑高校』と書き込んでいるのは、ぼくの(この世界での)母上(にあたる人)ではない。


 夏芽かが早苗。十六歳、高校一年生。


「まっ、悟朗ごろうさんのお利口脳みそなら合格間違いなしでしょー?」


 ぼくの彼女、ということになっている。本人曰く、許嫁いいなづけだ。双方の両親は、すでに、ぼくと早苗とで婚姻関係を結ぶことを了承してしまっていた。


 早苗は、行動が早い。不言実行の女だ。思い立ったら即。


「合格は、するだろうけれども……」


 非常に困る。

 ぼくには、帰らねばならない場所があるから。


「高校、楽しいよ? 悟朗さんとなら、もっと楽しいと思うなぁ」


 早苗にわっしゃわっしゃと頭を撫で回されている。早苗が「デコ出しで、かっこいいじゃん。似合ってるぅ!」と言ったからオールバックにしているのに、こんなに撫で回されたらボサボサになってしまう。不満を訴えて、睨んでみる。


「住むところなら、問題なっしんぐー。早苗の家に、住も?」


 ちっとも気にしちゃいない。早苗の言うとおり、ぼくの成績であれば、なんら問題はなく、早苗の通っている神佑高校に入学できるだろう。受験はまだ来年の話だが、早苗の年の入試問題は難なく解けてしまった。


「いや、家の問題でもなく」


 この世界では、ぼくは桐生家のだ。桐生悟朗は、この世界に来てから(この世界の)父上にあたるソーイチローからいただいた偽名。表向きには“養子”として、男ばかりの五人兄弟の末っ子扱いを受けている。


 桐生邸はひなびた田舎にあって、神佑高校まで車で片道二時間はかかってしまう。登下校で四時間もかかるのなら、確かに、早苗の家に住んだほうがいい。ソーイチローのおかげで、この家では不自由なく暮らせているが、ここにこだわらなくともよい。早苗はぼくの理解者だから、やりたいことはさせてもらえる。


「えー。じゃあ、何が問題なのさ?」


 早苗は、神佑高校の徒歩圏内のマンションに一人暮らしをしているのだが、毎日、ぼくの部屋に押し入ってきていた。夏休み前がそうであったように、夏休み明けの今日も、そうだ。夏芽家で雇っている運転手が、下校の時間に合わせて神佑高校の校門前に待機し、ここまで連れてくる。早苗としては、ぼくがこのマンションに住めば、送り迎えの手間は省けると考えたのだろう。


「桐生家にも、夏芽家にも、これ以上の迷惑はかけられない。中学を卒業するまでに、ぼくは、あちらの世界に帰る」


 早苗には、理由を話した。一度話したから、わかってくれている、はず。なのに、早苗ときたら「悟朗さんのことを迷惑だなんて、誰も思ってないよ?」と、怪訝な顔をした。


「わたしは、悟朗さんと結婚してー、うーん、子どもは三人ぐらいほしいなー、それからー、おじいちゃんとおばあちゃんになってもずーっと仲良しでいたいんだけどなー? ダメ?」

「……」


 後ろからぎゅっと抱きしめられたとて、同意したら負けだ。けれども、――そうしたいのはやまやまだから、ぼくは押し黙った。口にするのは、王族の矜持が許さない。


「そんなに悟朗さんが元の世界へ帰りたいのなら、早苗、ついていっちゃおっかなー?」

「ダメ」

「なんでー?」

「早苗は魔法が使えないから、あちらでは苦労する」

「むぅ」


 背中のぬくもりが離れた。


 早苗は、いい子だと思う。

 優しい、気立てがいい、器量よし、裏表がない。


 村長の姪っ子、という家柄を主張すれば、ぼくの本当の両親も納得してくれるだろう。早苗には『魔法』を言い訳にしたが、あちらの学校で学べば使えるようになるに違いない。ぼくだって、できれば、早苗についてきてほしい。


 だが、早苗はいい子だから、村のみんなだけでなく、神佑高校でも人気者なのだろう。夏休みに出かけた先で、神佑高校の生徒と偶然遭遇したときは、ぼくを跳ね除けて囲まれていた。えらい目に遭ってしまったが、早苗が多くの人から愛されている何よりの証拠だから、嬉しさもある。


 人々から、早苗を引き離して、ぼくだけが独占しようとまでは思わない。ましてや別の世界に連れ去ろうだなんて、きっとこの世界の神が許さない。


 早苗が傷つかないように、ぼくは彼女に嫌われたい。

 嫌われれば、後腐れなく、元の世界に戻れる。


「帰ってほしくないなー、やっぱり」

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