二十睡目 学祭と睡眠と(5)

「よーし! じゃあ今日から本格的に準備始めまーす!」


 放課後の教室に、学級委員長の声が響いた。窓の外では夕陽が校舎を斜めに照らし、長く伸びた影が床に揺れている。風に乗って運動部の掛け声やボールの音が届き、廊下からは他のクラスの喧騒──ガムテープをびりっと破る音や、机を動かすドスンという音がひっきりなしに聞こえてきた。学校全体が文化祭モードに切り替わっていて、夕焼けの熱気もその空気を後押ししているようだった。


 私たち装飾班も、机を寄せて小さな島を作り、作戦会議を始める。まだ汗の残る制服の袖をぱたぱたと仰ぐ子や、部活前にお菓子をつまみながら話に混ざる子もいて、空気はにぎやかで少し甘ったるい。


「テーマカラーは青と白に決まりだよね」

「天井には布を垂らす? 電飾と合わせたら絶対映える!」

「買い出しリスト作ろっか。画用紙とテープと……風船?」


「風船! 絶対かわいい!」

「でも割れるとビックリするやつ!」

「鳴古ちゃんなら寝てても起きないかもね。」


 笑いが起きて、机の下でガタガタと足が揺れる。私は横目で鳴古を見る。……やっぱり突っ伏している。ほっぺが机に押しつけられて、少し赤くなっているのが可愛らしい。


「ねえ鳴古、何が必要だと思う?」


 声をかけると、彼女はのろのろと顔を上げて、目をこすりながらぼんやりと答えた。


「……星……」


「え?」


「天井に、きらきらの……星、ぶらさげたい……」


 その一言に、班の子たちが一斉に顔を輝かせた。


「めっちゃいい! 夜空っぽくなる!」

「銀色の折り紙切って吊るせばできるよ!」

「暗くしたら、ライトに反射して絶対きれいだよ!」


 みるみるうちに話が広がっていく。鳴古はというと、再び机に顔を伏せ、耳だけ赤くしていた。


「……ほらね、鳴古のおかげで盛り上がったじゃん」

 小声で言うと、彼女は片目だけ開けて私を見上げ、眠そうに笑った。


「……真白が、広げてくれるから……」


 ――ずるい。そんなふうに言われると、胸があったかくなって仕方ない。


 話し合いが進むと、机の上は画用紙やペンでいっぱいになった。落書きみたいな星マークや、風船のスケッチ、布を垂らしたイメージ図が所狭しと描かれていく。冗談半分に「ここに宇宙人を吊るそう」とか「先生の似顔絵を星座にしよう」とか言い合って、みんなで大笑いした。私も自然に声を出して笑っている。いつの間にか、こんな輪の中に自分がいるのが不思議で、でもとても嬉しい。


 やがて、班ごとに買い出し組と装飾組に分かれることになった。


「買い出しは商店街の百均ね!」

「風船と折り紙とテープ!」

「天井飾りは教室に残って作ろう!」


 私と鳴古は買い出しにいくこととなった。

 みんなに見送られて教室を出ると、廊下は他のクラスの準備でにぎやかだった。絵の具の匂いが混じった空気の中を歩きながら、私は鳴古と自然と肩を並べる。窓の外は夕陽が沈みかけていて、オレンジ色の光が床を長く染めていた。


 「……わくわく、する。」


 鳴古がぽつりと呟く。眠たそうな声なのに、目の奥だけはほんのりきらめいている。


 「だよね。なんだか、みんな本気になってて……私もちょっと、頑張ろうかなって思える」


 そう答えると、鳴古はふにゃっと笑い、私の袖をきゅっとつまんだ。


 「……真白がいるから、わたしも、がんばれる。」


 「っ……!」


 不意打ちみたいにそんなことを言うから、胸が熱くなる。


 校舎を出ると、初夏の夕風が頬をなでていった。商店街に向かう道は少し人通りがあって、部活帰りの生徒や買い物袋を提げた人が行き交っている。私は袖をつままれたまま歩きづらくて、思わず苦笑した。


 「……ねえ、手、つないどく? そっちのほうが歩きやすいでしょ。」


 冗談めかして言ったつもりなのに、鳴古は素直に首をかしげる。


 「……いいの?」


 「え……」


 思わず言葉に詰まる。いいに決まってる。でも、実際にそう言われると恥ずかしくて――。

 ごまかすように前を向いた瞬間、彼女の指が私の手にそっと触れた。


 「……あったかい」


 囁きに、心臓が跳ねて止まらなくなる。


 百均の店内は、夕方でも賑わっていた。カラフルな風船のパッケージや折り紙、ラメ入りの画用紙が並んでいて、思わず私も目を輝かせる。


 「わ、すごい……星のシールまである!」


 「……貼りたい。」


 鳴古が眠そうに言いながら、星型シールの袋を手に取る。その姿が子どもみたいで、胸がきゅんとする。


 「買っちゃおう。どうせなら天井にもいっぱい貼ろうよ。」


 「……真白、楽しそう。」


 「う、うん……まあ、ちょっとね、」


 レジを終えて外に出ると、袋が思ったより重かった。私が持とうとすると、鳴古がふにゃっと腕を伸ばしてくる。


 「……わたしも、もつ。」


 「いいよ、重いし。」


 「……いっしょに、持ちたい。」


 結局、ひとつの袋を二人で持つ形になった。手と手が紙袋の取っ手越しに重なり合って、歩くたびに小さく揺れる。


 「……なんか、デートみたいだね。」


 思わずつぶやいたら、鳴古はこくんと頷いて、恥ずかしそうに笑った。


 「……真白とだから、そう。」


 夕暮れの商店街を二人で歩く。袋の重みよりも、彼女の隣にいる温かさのほうがずっと大きくて、甘い気持ちが胸に広がっていった。


 学校に戻ると、あちこちからガタガタと机の音や笑い声が響いてきた。張り出されたポスターや半分完成した看板が並んでいて、文化祭特有のざわめきに胸が高鳴る。外の風は少し湿っていて、夏の名残を運んできた。鳴古は歩きながら私の袖を握ったまま、ふらふらと舟を漕いでいる。


「寝ながら歩かないで……危ないから。」


「……真白がいるから、大丈夫……」


 そう言って笑う顔があまりに自然で、思わず見惚れてしまう。私の中で、不安も緊張もすべて溶けていくようだった。


 教室の黒板には、大きく「文化祭まで、あと3日」の文字。刻一刻と近づいてくるその日を思うと、胸の奥が少しざわつく。それでも、隣に鳴古がいる限り、きっと楽しい時間になる。そう信じられた。

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