ヘキサグラム🔯ストーリー 〜青藍の悪女と無空の服従者〜

天宮終夜

プロローグ

  自由という言葉は甘言だ。

 一見、『何をしても良い』と錯覚してしまうが自ら選択した行動には責任を伴う。

 あくまで『無数にある選択肢を自分で選ぶ』というのが正しい解釈だ。

 元奴れいである俺の選択肢はかなり少ない。

 今はあの腹ぐ……主人が学園に行っているので自由時間。

 有意義に過ごすなら選択肢は一つ。

 何も考えずに自室のベッドで惰眠を貪ることだ。

「昼寝最高〜」

 誰にも迷惑をかけない。

 金もかからない。

 他の使用人たちが必死に働いている中なので優越感も感じられる。

 まさに完璧な選た――。

『おかえりなさいませ、お嬢様……まだお昼すぎですが……』

 ドア越しに聞こえてくるメイド長の声……幻聴か?

『早退したわ』

 幻聴じゃなかった。

 もしかして自由時間終了か?

『また大旦那様に叱られませんか?』

『やりたいことができたのだからしかたないじゃない』

 何だ、その暴論。

 とりあえずまだ希望はありそ――。

『それよりロイはどこかしら?』

 希望もクソもなかった……。

 顔を見られていないので逃げればいい。

 そう選択できればどれほどよかっただろう。

『朝食から見ていませんね。ただ出かけるところを見ていないので自室かと』

 一縷の望みすら刈り取られたので身体を起こす。

 この家の一人娘に買い取られて早一年。

 ここへ来てから一週間もかからずに俺の辞書から『平穏』という言葉は消え去った。


 ――バン!


 勢いよく部屋の扉が開かれる。

 現れたのは青い髪の少女。

 少し釣り上がった夜空を想起させる藍色の瞳。

 他人からすれば淑女。

 身内からすれば傍若無人なお嬢様。

 エレナ=アリスヴェーラ。

 国の顔役でもある商人一族――アリスヴェーラ家の長女で俺を買い取ったヤバい女だ。

「お嬢。サボりですかい?」

「外の会話を盗み聞いといてよく言うわね」

 商人の娘である彼女の観察眼を潜り抜ける者はおらず。

 そして口論になると絶対に勝てない。

 俺がお嬢に気に入られているのは言い負かされることを理解しつつ言い返すからだ。

 そのお陰で屋敷内の人間からは一目置かれている。

「長話をしている暇はないわ。すぐに車を回して頂戴」

「こんな平日の真っ昼間にどこへ行こうと言うんですかい?」

 寝ようとしていた身体を無理矢理起こしたので欠伸が出る。

 車の鍵どこだっけ?

「隣国に買い物よ」

「アホか。西と東のどちらにしても国境を越えるまで五時間以上はかかる」

 今から出たところで帰る頃には間違いなく日付が変わっている。

 しかも、お嬢は明日と授業がある。 

「私がやりたいことをやめる理由にはならないわね」

 本来なら咎めるべき彼女の両親は言い包められ、唯一可能性がある祖父は『結果さえ出せば何も言わん』という始末。

 この自由奔放な少女を止められる人間は屋敷内にはいない。

「はぁ……道中で何か美味いもの食わせろよな」

「別に良いわよ」

 今まで専属運転手を務めようとした歴代運転手は『一年以内に国際免許取得』という無理難題を押し付けられたせいで辞表を出し。

 専属使用人となった執事やメイドは一ヶ月も経たないうちに泣きながら配置替えを懇願した。

 現在、理不尽に付き合わされるのは無理矢理国際免許を取らされた俺一人。

 昼間から惰眠を貪っても誰も文句を言ってこないどころか感謝されているというわけだ。

「ほら、行くわよ」

「はいはい」

 やりたいこともなく、ただ死を待つだけの人生。

 あまり言いたくはないが振り回されている方が健全なのだろうな……。



 屋敷内の駐車場への最短ルートである庭に行くとちょうど庭師のおじさんが剪定している最中だった。

「おう、ロイ坊。昼間っからドライブとは珍しいじゃねえか」

 相手は豪快に笑っているがこちらは笑えない状況だ。

 どうやらお嬢が帰ってきたことに気がついていないらしい。

「まあな」

「どこ行くだ?」

「さあ、お嬢に聞いてくれ」

「……お前も大変だな」

 たった一言で状況を理解。

 さすがは長いことアリスヴェーラ家の庭師をしているだけはある。

「同情するぐらいなら金はいらないから代わってほしいんだが?」

「代わってはやれねえが、ほれ」

 投げ渡されたのはエナジードリンク。

 長距離運転には必須のアイテムだ。

「それ飲んで頑張ってこい」

「どーも」

 何とか頑張れそうな気がしてきた。

「ロイさーん!」

 そんなやり取りをしていると半年前に雇われた新人メイドが走ってきた。

「はぁ……はぁ……間に合ってよかった」

「何かありました?」

「これ、メイド長からです」

 渡されたのはメガネケース。

 中に入っていたのはスポーツタイプの色付きメガネだった。

「これは?」

「最近煽り運転なるものが横行しているとのことで録画機能が付いたサングラスだそうです。記録した映像はカーナビで再生できると言っていました」

 つまりは防犯用兼安全運転を心掛ける用の釘刺しか。

「それとこちらは私からです」

 渡されたのは少し大きめのバスケット。

 中には一口サイズに切り揃えられたサンドイッチが入っていた。

「お昼まだ食べていないと聞きまして。これなら運転中も食べられますよね?」 

 この屋敷の人達ってお嬢の相手は代わってくれないが、それ以外はフォローしてくれるいい人ばかりなんだよな……涙出そう。

「サンクス。助かる」

 有り難く頂戴して車に積み込んでエンジンをかける。

「気を付けてな」「お気をつけて」

「ああ」

 ここまでしてもらったからな。

 お礼代わりに土産でも買って帰るか。

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