元悪役令嬢の旅路 ~ニートな生活をもとめて三千里~

浦賀やまみち

第1話 落ちぶれてすまん




「んっ……。んんっ……。」



 遠くでリンゴンカーンと鳴り響く鐘の音色。

 身体の芯を揺さぶるその重い音色は沈んでいた意識を覚醒させてゆく。


 私は元日本人の元侯爵家令嬢、元悪役令嬢である。

 今生の名前はアメリア・テ・ベアトリス・オブライエンと言う。


 自画自賛になるが、18歳の銀髪翠眼の美女。

 出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでおり、街を練り歩いたら男共の視線を集めるのは間違いなし。


 しかし、私が街を歩く事は今後二度と無い。

 それが元侯爵家令嬢、元悪役令嬢である所以だ。



「あーー……。」



 今、季節はまだまだ肌寒い春。

 布団の温もりを手放すのが惜しくて、掛け布団を頭から被るが、更なる鐘の音色に起床を強いられて、上半身をベッドからのっそりと起こす。


 だが、微睡みはそう簡単に醒めない。

 掛け布団を除けると共に胡座をかき、カーテンの隙間から射し込む光に反射して目の前でキラキラと輝き舞う埃を寝ぼけ眼で眺める事暫し。

 枕元に置いてある髪留めを取り、俯き垂れている長い髪を後ろで一纏めして結んだ後、身体が欲するままに片尻を上げて、間延びした屁を『ぷぅ~~』と鳴らす。


 勿論、すぐさま右手をお尻の後ろで左右に振り、臭いを散らすアフターケアは忘れない。

 ここ最近、慢性的な便秘が続いているせいか、その臭いは悶絶もので我ながら鼻が曲がるほど臭い。



「ふぁ~~あぁぁ~~~……。」



 それが感じられなくなるのを待って、両手を大きく掲げての伸びをしながら喉の奥が見えるほどの大欠伸。

 ようやく意識が本格的に覚醒を始めると、今度は朝一番の尿意を覚え、ベッドから足を下ろして立ち上がろうとしたその時だった。



「うっ……。ううっ……。」

「キャっ!?」



 私以外は居ない筈の部屋に男性の声が響いた。

 身体をビクッと震わせながらも除けた掛け布団を慌てて手繰り寄せて、己の身を目元まで隠すと、ベット隅の部屋角まで座ったまま後退る。


 こちとら、18歳の乙女。

 寝起き直後に男性の声が聞こえたら驚くし、それ以上に怖い。



「世が世なら、王妃として民を導く立場だったと言うのに……。実に嘆かわしい……。」

「……って、爺か。

 もうっ! 驚かさないでよ!」



 だが、ドアが開け放たれた唯一の出入口に立つ人影を見て、安堵の溜息を漏らす。

 天井を見上げている顔が見えなくても、そのプルプルと震わせて反らす顎に生えた特徴的な虎髭から誰かがすぐに解った。


 辺境伯を爵位を持つこの部屋の家主。

 長年、今生の父に仕えている片腕的存在であり、私が『アメリア』になる前のアメリアが幼い頃から『爺』の愛称で呼んでいる初老の男性だ。


 こうして、会うのは約三ヶ月ぶり。

 ベットから下りて、両手を腰に突きながら胸を張り、乙女の部屋へ侵入してきた不満を唇を尖らせて表す。

 着ているのが春用のピンクのネグリジェで生地が薄く、胸のぽっちと色の組み合わせが悪い紫のパンツがうっすらと透けているが、それを見られる相手が爺なら恥ずかしさは無い。



「驚いたのはこちらの方です!

 去年の暮れ、儂が王都へ上る時、約束した筈!

 夜更かしをせず、早寝、早起きを心掛けた健康な毎日を送ると!」



 しかし、爺は怯まなかった。

 怯むどころか、溜息を深々と漏らしながら首を左右に力無く振った後、目をカッと見開き、逆にこちらを猛烈に責めてきた。



「い、いや……。あ、あのね?」

「黙らっしゃい! 今が何時だと知っていますか!

 先ほどの鐘は朝の鐘ではありませんぞ! 昼の鐘です!

 誰もが汗水を流して働き、ようやく休憩を取る時間というのに……。

 こんな時間まで惰眠を貪って! 少しは恥ずかしいと思わないのですか!」

「あはははは……。」



 駄目元で抵抗を試みるが、やっぱり駄目。

 凄まじい剣幕に圧されて、まるで口を挟めない。


 こうなったら、爺は止まらない。

 しおらしく腰に突いていた両手を力なく垂らして俯き、反省したフリを決め込む。


 あとは嵐が過ぎ去るのをひたすらに待つ。

 心の中で舌を出して、今日は何をして過ごそうかと考える。



「笑い事ではありません!

 今とて、黙って見ていれば、侯爵家の令嬢とあろう者が……。うっ、ううっ……。屁を!」

「酷い! 聞いていたなんて!

 ……というか、人の部屋へ入る時はノックをするのが礼儀! そうだよね!」



 しかし、聞き流せない言葉が爺の口から飛び出した。

 瞬時に耳まで火照る。うら若き乙女として、正当な抗議を叫ぶ。


 先ほども言ったが、私の屁は便秘のせいで鼻が曲がるほど臭い。

 この部屋は広くない。音を聞かれた上に臭いまで嗅がれたに違いない。



「しました! しましたとも! ええ、何度もノックを致しました!

 ですが、こんな時間まで寝ていて、そのノックに気付かなかったのは誰ですか!」

「うっ……。」

「それでも、ドアを開けた後は声もかけようとしました!

 しかし、お嬢様! この部屋の惨状を見て、平然としていられる者が居るとお思いか!

 足の踏み場も無い! ここはゴミの集積所ではありませんぞ! 

 何故、本を出したら出しっぱなし。本棚に戻して下さい! 

 何故、ゴミをきちんと捨てないのですか! この洗濯物だって……。んっ!? これは……。」



 だが、逆効果。爺の勢いは増した。

 その上、ドアの傍に『明日こそは片づけよう』と一週間前から溜まって山積みになった汚れ物の中から恥ずかしい一枚を爺に見つけられてしまう。



「やっ!? それ、パンツっ!?」



 慌てて爺が摘み持つソレを奪い取り、背中に隠す。

 何故、ワンピースやネグリジェ、ブラジャーと他にも汚れ物は有る中、一番汚れやすいパンツを引くのか。

 爺とは言えども、ソレを一瞬でも見られたのが恥ずかしくて堪らず、真っ赤に染めた顔を俯かせる。



「おっほんっ! ……と、とにかくですな!

 じ、侍女長に聞けば、最近は風呂に入るのもサボりがちだとか……。

 い、今、湯を沸かさせていますから準備が出来次第、風呂に入って下され。よ、宜しいですな?」

「はい」

「で、では、儂は留守中に溜まった仕事がありますので……。」



 爺も気まずいのだろう。

 わざとらしい咳払いを鳴らして、用件を上擦らせた声で伝えると、部屋をそそくさと出てゆく。


 開け放たれていたドアが閉じるのを待ち、手の中に力強く丸め握っていたソレを汚れ物の山へと投げるが、その途中で広がった為に勢いを失って落ちるも無視。

 ベッドに横付けされている背後の机の椅子に座り、右腕を左から右へと振り払って、机の上に散らかっている本や筆記用具などをベッドと反対側の床に落とした後、両肘を机に突きながら項垂れた頭を抱えて、溜息を深々と漏らす。



「はぁぁぁぁぁ~~~~~~……。」



 何故、こんなだらしない生活を送っているのか。

 それもまた私が元侯爵家令嬢、元悪役令嬢である所以であり、全ては三年前に始まった。



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