第2話 アユミさんの話(1)

 私が日本で勤務をしていた頃の話です。

 当時私はいくつかの部門をまとめる業務をしていました。

 その中のひとつである営業部にアユミさんというサポート担当の方がいました。

 彼女は40代半ば、いわゆる実家の太い旦那様と大学生のお子さんたちがいる、典型的な恵まれた環境の奥様という雰囲気を漂わせていました。


 ある初夏の日、突然、アユミさんから相談を持ちかけられランチに誘われました。

 私は、以前業務中に、彼女が同じ部署の若い女性同僚と対立している場面を目にした事があったので、最初は職場の人間関係についての愚痴だろうかと思いましたが、何かを話だそうとする彼女の口元を見ているうちに、この人は心の底に周囲に言ってはいけない、言えない事を隠しているんだなと感じました。


 アユミさんが口を開きました。

「酢鶏さんは誰ともつるまないので信用しています。だから相談したいと思ったんです。誰にも言わないと約束してくれますか。」

 私はこの時、正直な気持ち、アユミさんから圧を感じました。

 アユミさんは私より3歳くらい上なので年長者モードの圧も加わっていました。


「はい。約束します。何について悩まれているのですか。」

 私は答えました。


「実は職場に好きな人がいるんです。同じ営業部のサトルさんです。でも私は既婚者だし、ダメだとわかっているんですが、好きな気持ちが抑えられなくて彼に告白したんです。」

(あ〜、職場の片思いか〜、よくあるよな)とその時は私は呑気に思いました。

 サトルさんは30代に突入したばかりで独身、人望もあり、若い女性社員からも人気がある人でした。

「そうでしたか、お辛いお気持ちながら勇気を出されたのですね。」


 アユミさんは涙ぐみながら続けました。

「彼はありがとうと答えてくれました。告白した日の次の日から一緒に帰ってくれるようになりました。手を繋いだ事もあります。でも私の告白から二週間目の昨日、彼からやっぱりこれ以上の関係にはなれない、とお別れを告げられたんです。」


 私も答えました。

「はっきりお別れを告げられたらそれはお辛いですよね。」

 アユミさんに寄り添う手前、「お別れ」という言葉を使って返事をしましたが、私の心の中では自問が始まっていました。

(サトルさんはアユミさんの告白に『ありがとう』と言ったけど『交際しよう』って返事してないよね、一緒に帰って手を繋いだこともある、というけど、仲良い友人のノリの感覚でもありうる行動だよね、これは第3者視点から見て交際してお別れというよりアユミさんの感情先走りの状況なのではないのか?)

 しかし、振られた悲しみから涙ぐんでいる人に私が今思っている事をストレートに投げかけるのは傷口に塩をすり込むようなものだと自制しました。

 私は口にチャックをして、涙を拭き鼻をすするアユミさんを見つめていました。


 この時点ではちょっと思い込みの強い既婚女性が同じ職場の一回り以上年下のイケメン男性に片思いとほろ苦い失恋を経験し、立ち直る為の道を模索している状況、と私は解釈していました。

 しかし、数か月後、思わぬ展開を目の当たりにする事になるとは全く想像できていませんでした。









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