21話 孵化した心
「まだ生きてる!」
釦はラーメンタウンの鉄階段の下で七彩の首の輪を取るのに苦戦していた。脳血管のネクタイはすぐに千切れたため、一旦地面に置いている。警察本部の露出審査員は、こよりの公式の下僕の可能性があるため、迂闊には頼れない。
「もう死んでるよ」
渦雷は、首の輪に高圧電流を流して溶かしていく。
「七彩は非人間雇用契約書を失った。仮に息を吹き返しても、もう彼に生きる場所はない。本当にごめんなさい。私の私利私欲で彼の人生を滅茶苦茶にしてしまった」
渦雷は溶けた首の輪を地面にこすりつけた。
「全部君のせいじゃないよ。簡単に倫理を踏み越えるこの社会のシステムも悪いし、そのシステムに依存し、人生を粗末に扱う僕たちも悪かった。もう誰か一人を責められない。さっき父と行動を共にした理由も何かあるんだろう?」
釦は渦雷に問いかけた。溶けた首の輪に枯れ葉を被せる。
「こよりに脅されたんだ。人間リサイクル師の掟を破った者は、前世の姿に強制的に戻される。だから、七彩をこちらに引き渡せば、君の罪を帳消しにするって言われたんだ。でも違ったね。赦されようとした自分が馬鹿だったよ」
渦雷はメイド服のエプロンを強く握りしめた。釦は息を飲む。
「私は戻りたくないんだ、あの姿に」
「君は元々人間ではなかったのか。それはどんな姿だ?」
釦は渦雷の肩を石突きでグリグリ押した。
「あれ」
渦雷が指を差した方向は巨大な電気ウナギだった。
「本当なの?!」
釦は開いた口がふさがらなかった。
――突如、鉄階段の大きな足音が聞こえた。釦と渦雷は鉄階段に上がって音の主を確かめる。
「貴方は誰ですか?」
釦は恐る恐る聞いた。敵なら直ぐに逃げなければならない。
「私はベンザルと言います。七彩君の職場の先輩です。海老フライの人にこれを持ってくるよう頼まれたのですが、何とかして利用できませんか?」
それは、殺伐とした雰囲気の中に合わないもこもこパジャマ姿の女性だった。知恵の輪の形をしたチュロスを食べながら、片手で持っていた真空包装パックを二人の目の前に突き出す。中身は人間時代の七彩の生首だった。透き通るような肌、杏の花のような薄い唇、枝垂れ柳を思わせる長い睫毛は彼の美しさを引き立たせている。渦雷と釦は七彩の美貌に目を奪われていた。
「最近の保存技術の進化は目まぐるしいですね」
渦雷は感心した。
「いや、これは近所のおばちゃんたちの伝統的な知恵が詰まった人間保存技術です。それより、これ使ってくれないんですか?」
知恵の輪チュロスを食べ終えたベンザル先輩は、砂糖のついた指を舐める。
「ありがとうございます。私にください」
厄介事を済ませてきた蓮根は、背後から忍び寄りベンザル先輩の眉間に回転式拳銃を突き付ける。
「分かりました。早く銃を降ろしてください。中には弾丸が…」
「入っていませんよ」
蓮根は引き金を引いて発砲した。横に倒れたベンザル先輩を階段の上に寝かせる。
「ちょっとやりすぎなんじゃ…」
釦は対話をする気がない蓮根の対応に異議を唱えた。
「そんなことないよ。これは記憶消滅の薬だから、人体に外傷を与えたわけじゃない。ベンザル先輩には、この悪夢を保存してほしくないの」
「それでも、やり方が強引だと思う。七彩にはそんなことしないよね?」
釦は不安そうな目で蓮根を見つめた。こよりに発砲した際も、実弾を使用していた。以前の蓮根なら実弾を使わずに薬を使っていたはずだった。彼女の中で何かが変わり始めているのだろうか。
「しないよ」
蓮根は食い気味に答えた。
「兄さんとはちゃんと対話するって決めたから」
蓮根の目には覚悟が決まっていた。
「早く兄さんの頭部を接合しようよ」
蓮根はベンザル先輩の知恵の輪チュロスをほじくる。すると、中から人外用瞬間接着剤と、取扱説明書が出てきた。
「こんな便利グッズを簡単に人に渡せないよね」
人外用瞬間接着剤は七彩の職場で密かに開発されたものだろう。盗まれて利用されれば、人間リサイクル師達の粗暴な扱いもいずれ合法になる。強力であればあるほど、人体も人外も切断しようが、接着すれば問題ないという安心材料になりうる。
蓮根は絶対に無くさないように大事に持った。真空包装パックされた七彩の生首を取り出す。懐かしさに涙を流した。接着剤の蓋を開ける。七彩のミラーボール頭を両手で包み込み、「ごめんね」と小さく呟く。そして、頭をひねって千切る。ミラーボールは静かに地面に転がった。見えた断面に、接着剤をたっぷりと塗る。生首の断面にも丁寧に広げ、すぐに胴体とくっつける。
「兄さんの頭がズレないようにしばらく持ってて」
蓮根は釦に頼んだ。分かったと言って、釦は頭を抑えてすぐに固定させた。
「私、電気ウナギに戻るわ。タイミングを図って貴方のお父さんを胃の中に閉じ込めようと思う」
今まで座って事の成り行きを見ていた渦雷は立ち上がる。
「そんなことしないでください」
釦は渦雷の前に立ち塞がる。
「さっき貴方にこよりの殺害を頼んで後悔したの。家族を殺させるなんて最低よね。でも、こよりは対話もできない。法でも裁けない。それなら、胃の中の牢獄に入れるしかない」
渦雷は真剣な目で釦を見つめた。釦は思案した。本当にこのようなやり方で合っているのだろうか。こよりの倫理観は確かに全く無いが、こより自身も社会のシステムに順応している一人では無いだろうか?職務を全うしただけの人間を社会から隔絶することは正しいのだろうか?釦は分からなくなっていた。
「第一の案はそれでいいと思う。こよりが胃を切り裂いて脱走したら、私が今度こそ銃で殺す」
蓮根はスライドを後ろに引いて、チャンバーに弾が装填されているか確認をした。
「でも…」
「釦君、気持ちは本当に分かるよ。でも、私は兄さんの脳を撹拌したこよりを許せないの。いくら彼が職務を全うしていて、社会的には間違っていなかったとしても、私だけは奴の存在を私全力で否定したい」
釦と蓮根の間を空けていくかのように風が吹く。
――なんでみんなはこんなにも覚悟が決まっているのだろうか。それに比べて、釦は自分が安全圏にいることしか考えていなかった。ちゃんとした答えも見つからず一人だけ右往左往している。最適解を見つけることがどれだけ困難か、自分がどれだけ非力な存在かを知っている。どの道を選んでも間違ってなかったと自分を責めないよう言い聞かせてきた保身主義が、今、七彩や渦雷の足を引っ張っている。
「僕が父と戦います。渦雷さんは七彩に電気ショックを与えて再生させてください。蓮根さんはベンザル先輩を安全な所に運んでください」
釦は二人に指示を出した。
「その身体でどうやって戦うの?」
「僕の能力は、そこそこの耐風性と撥水性、遮光、遮熱なんだ。まだまだ動けるし、格闘なら前世で嗜む程度にしていた!七彩をよろしく!」
釦は家の屋根を軽々と飛び越えて遠くに行った。
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