19話 殺行性

 パンドラ大学三年生の夏、七彩ななせは社会勉強としてホスト清掃のバイトを始めた。七彩の自由研究が就職センターフライの人間リサイクルとして実用化されて以来、十分な収益があり、彼はお金に困ることはなかった。しかし、就職活動の際に社会経験が一つもないのは不利だと考えたため、このバイトを始めた。


「ちゃんと見てた?」


 清掃員のベンザル先輩の言葉には少し苛立ちが混ざっていた。七彩は仕事のメモに夢中で、ミラーボールの拭き方をちゃんと分かっていなかった。そのため、絞った雑巾を持ち、フリーズしていた。先輩の言葉にハッとした七彩はミラーを剥がそうとする。


「ちょっと待って、ここはこうだったでしょ」


 ベンザル先輩は次亜塩素水とホストの研ぎ汁が混ざったバケツを持ってきて、雑巾を入れる。絞ってそのままミラーをしっかり拭いた。剥がれかけたミラーを触る。


「こんなことになったけどどうするつもりなの?」


 七彩をきつく睨む。


「すみません」


「今回は人外用瞬間接着剤で応急処置するけど、ミラーボール人間にも痛覚はあるし、人の一生がかかってることをもう少し自覚して欲しいです」


 ベンザル先輩は素早く処置をする。 


「分かりました」


 ベンザル先輩は教えるのがとても早い。教わったことをメモしている最中にも、新情報の弾丸が頭を撃ち付けてくる。脳の処理も追いつかない。こうして目先の作業で手一杯になり、他がおろそかになる。この前も、ホストの研ぎ方に集中しすぎてやらかしたばかりだった。


「お前、研ぎすぎ!顔面の輪郭が溶けてる!」


 米のとぎ汁のように濁ったバケツの中で、ホストの皮膚がぬるりと浮いていた。

 研ぎ汁は白く濁り、上澄みは清掃に使われる。自分は水の分量に気を取られ、研ぎの回数を間違えたのだ。

 ――複数の工程を同時に考えて動くのが、苦手なのかもしれない。まだ仕事に慣れてないのもあってミスの三次災害もあった。


 途方に暮れながら帰宅する。玄関前に街灯に群がる蛾のような男子高校生がいたため、下敷きで追い払った。玄関に入る。靴を脱ぎ散らかして台所に向かう。リビングにはパソコン作業に勤しむ母の姿があった。スーツを身にまとい、艶のある髪を一つに束ねていた。母は冷蔵庫の扉を開ける。厚くなった霜を取って酎ハイを飲み干す。ひねった蛇口のように仕事への悩みを母に放出した。


「どうしたらいい?」 


「すぐ慣れるよ。みんなもこの時期はこんなもんだよ」


 パートの詐欺師である母はそんな事を言った。つい最近も、オンライン詐欺で蓮根はすねという少女の片腕を高額で買い取り、小児愛好者専用の駄菓子屋で売り付けていた。


「そうなんだ」


 無視は家族のルールにおいて禁忌であるため、とりあえず返事をする。七彩は詐欺でもいいから寄り添った一言が欲しかった。


「明日蓮根さんに会ってくれる?蓮根さんがお礼に渡したいものがあるらしいから、七彩に行ってきて欲しいんだよね。そしてその場でものを処理して欲しいんだよね」


「母さんが行けばいいじゃん」


 七彩は酎ハイの缶を置いた。


「行ったら素性がバレるし、今後の仕事にも影響する」


 母は七彩の顔を見ることなくタイピングし続ける。


「僕が行ったらボロが出るよ」


「その時は自分でどうにかしな。それに、最近死にたそうな顔してるし、この機会に死んでも良いんじゃない?」


 母の指は止まらないまま、キーボードだけがカタカタと音を立てていた。その音は、まるで七彩の言葉をかき消すようだった。目の隈がしっかり入った母は、七彩を凝視した。七彩に有無を言わせないような圧があった。表面上の表情だけを読み取っただけで、息子の深層意識に触れてこない。めんどくさがり屋の母の特徴だった。


「分かった」


 七彩は頷いた。


「死ぬタイミングを自分で決められる人は偉いんだよ」


 母は椅子から立ち上がって頭を撫でた。母に貢献すれば、死んだ後も文句は言われないだろう。その日はよく眠れた。

 次の日、アシンメトリーTシャツを着て蓮根さんと待ち合わせのカフェに向かった。冷房がしっかり効いた和風モダンの作りだった。客層も落ち着いた身なりの人が多かった。


「お待たせしてすみません」


 ピンク色の袖無しパーカーの少女が声かけた。


「あなたが蓮根さんですか?」


「はい。この間は本当にありがとうございました。これでパンドラ大学に行くことができます」


 蓮根は赤色の大きな手提げ袋を七彩に渡した。片腕には包帯が何重にも巻かれており、血が染み込んでいた。


「ありがとうございます。取り敢えずどこかに座りませんか?」


 七彩は蓮根と二階に上がる。窓側に横並びで座る。


「その腕は大丈夫ですか?」


 七彩は慎重に尋ねた。見た目について不躾に触れるのはよくないと思った。


「全然大丈夫ですよ。今度回転式拳銃を着けてもらえるんです。あの腕で入学費用が本当にどうにかなると思いませんでしたね。おまけに拳銃も貰えるから大学デビューに丁度いいですね」


 蓮根は席から立ち上がって興奮しながら話した。七彩は話の内容に若干引いてしまった。でも初対面で重い話をされるよりマシだった。


「パンドラ大学は銃の所持が許可されているのが強みですよね。銃の中身は何を詰めるんですか?やっぱり王道の弾ですか?」


 蓮根の事情は母から聞いていた。復讐に使うのではないかと勘ぐっていた。


「薬ですかね?医療従事者になるのが夢なんです。嫌がる子どもやボケ老人に薬を飲ませるのは大変ですよね。そういった人達に薬を打ち込めたらいいなと思いました」 


 七彩は予想外の言葉に口をあんぐりと開ける。手提げ袋の中身を確認する手も止まってしまった。


「自分の夢のために片腕を売ったんですか?」


「そうですよ。自分も薬を飲むのに苦労してて親を困らせていたので、自分のような人を増やしたくないと思いました」


 蓮根の目は、一等星のようだった。親に強制されて片腕を失い、復讐劇をたどるといったことが蓮根には無かった。意外だった。理由は暗いものではないが、手段を選ばないタイプということが理解できた七彩は、蓮根を警戒した。手提げ袋の中身はデラックス芋羊羹とハス苗だった。自分の心配は杞憂に終わった。普通においしくいただき、ハスも育成している。


「もう死んでいたのかと思ったよ」


 父や母に言われたが、七彩はそれっぽいことを言って回避した。蓮根のことについては話さないように気を付けた。その後も2人は何度もカフェで交流をし続けた。自分の身内がバレない程度に、パンドラ大学や自分の思想について色々と語った。

 残暑が続く朝、携帯が鳴る。


「突然ですが、私の兄になってくれませんか」


「え?」


「兄弟がいると学費が免除されるんです。同居しろとは言いません。書類の関係だけでもいいのでお願いします」


 蓮根の必死な訴えに、七彩は快く承諾した。家族の問題については後回しにした。

 そういうことが後で大惨事を引き起こすということを、軽自動車に轢かれた後で気付いても手遅れだった。千切られた七彩の頭は、歩道橋の隅に転がっていた。胴体は腐敗が進んでおり、横断歩道の白い線が濁っていた。何羽もの蛾が七彩の頭の周りで盆踊りをしている。小学生が、七彩の頭を学校に持ち込もうとしていたが、近所のおばちゃんたちに阻止された。


「宿題だるいし、図工の作品として出そうぜ」


 小学生が、七彩の頭を学校に持ち込もうとしていたが、近所のおばちゃんたちに阻止された。胴体は腐敗が進んでおり、横断歩道の白い線が濁っていた。悪臭が立ちこめる。警察の調べで明らかになったのは、七彩を轢いた軽自動車の運転手が蓮根の父であり、意図的な殺人だったということだった。


「どうしてそんなことを?」とマスコミが尋ねた。


「娘の進学に金を使うくらいなら、妻の入院費に回したかっただけだ」


 そう答えた男は、なぜか感動的な家族愛を語る被害者としてテレビに映り、無罪となった。蓮根はその後、家に閉じ込められた。


 ──しかし彼女は諦めなかった。


 数日後、就職センターフライに現れた蓮根は言った。


「大学に行きたいんです。あと、将来の夢の練習台にしたいので、七彩さんを生き返らせてください」


 渦雷は静かに頷き、第二工場で七彩をミラーボール人間に変えた。

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