2話 就職センターフライ

 薄氷釦は就職センターフライを探していた。就職センターフライとは、社会不適応人間がどの姿でも社会に飛べるような支援を目的とした部署のことである。この世界では、誰もが就職という人生の岐路に立つ。しかし、その先に待つのは、ただの仕事ではない。適職診断で人間不適合者と判別された3割の人間は、就職を機に全く別の『モノ』になるのだ。その道を選ぶことは、人間としての人生を終え、新たな存在として生きることを意味する。一方、残りの7割は、そのまま人間として就職できる。地図に載っている場所に辿り着いたが、それらしい看板は見当たらない。この日は気の狂ったような暑さが薄氷を襲っていた。空を舞う鳥が何羽も、こんがりと焼かれながら落ちていく。この世界の鳥は香ばしく焼かれることでその一生を終える。それは祝福された終焉として誰もが受け入れていた。死の香りは、薄氷の空腹を刺激するには十分だった。地上に落ちた美味しそうな焼き色の鳥に手を伸ばす。


「私の食材に手を出さないでほしい」


 薄氷は何者かに手を叩かれた。その手を舐めるとバッター液の味がした。上からバッター液が落ちてくる。上を見ると、全身バッター液塗れの男性がいた。


「すみません。僕は、薄氷釦と言います。貴方の方がとても美味しそうですね。少しだけあなたを食べてもいいですか?」


 薄氷は腹の虫を殺したくてしょうがなかった。


「駄目に決まっているでしょう。揚げる前の私はお口に合わないですよ」


 バッター液塗れの男性は超大型級のため息をついた。


「私はゑび御幸みゆきです。薄氷君、私はサクサクの衣を着たいので、今から少し付き合ってください」


「なぜですか?」


「誰かの付き添いが無いと私は銭湯に入れません」


 ゑびは薄氷の口にクシ型レモンを押し込み、腕を掴んだ。そのまま、銭湯に連れて行く。高温な油の大浴場に漂う油煙は、塗料のような不快な臭いだった。空調設備の損傷を疑うレベルである。着いた薄氷は正座をさせられた。床のぬめりの感触はとても悪い。ゑびは、そんなこともお構いなしに揚げ油に飛び込んだ。ゑびの体は、殻を持たぬ海老そのものだ。半透明の頭部からは、わずかに脈打つ組織が透けて見え、肌のようなものがぬめりと光を反射している。時間が経ってバッター液が全て落ちれば全裸。全身剥き出しはこの世界では立派な罪だ。どこからともなく〈露出審査員〉が現れ、衣類判定を始める。露出審査員に捕まる危険は高い。だが、薄氷の付き添いのおかげで、全裸の行進は免れた。

 薄氷は揚げられる男の美しいフォームに目を奪われた。揚げる音は拍手喝采のようだった。


「薄氷君、ご要件は何でしょうか?」


 ハッと現実に戻される。


「えっと、僕は就職センターフライを探していて…」


「ここですよ」


「え?あなたが就職センターのスタッフですか?」


「そうですよ。私に何か相談があるのでしょう?」


 ゑびは鮮赤色の尻尾をリズミカルに振った。


「あります。僕には就職の軸がありません。ある所に落ちて、自分の価値観やなりたい姿が根こそぎ除去されました。元々あったのかも分かりませんが…」


 薄氷はズボンの裾を掴んだ。揚げ油のそばに立っているとは思えない寒さが、全身を駆け巡る。薄氷はいつも親の決定に従って生きてきたが、ここではそれができない。


「受けた場所はどこですか?」


「旧人間園水槽ホテルです」


「そうでしたか」


 ゑびの心の内側に小さな波が立つ。今まで蓋をしていた過去がこじ開けられるような不安さえもあった。すぐに仕事の顔に戻す。


「それは、あなたの魅力に気付かなかったホテルが悪いですね」


 揚げ油の浴槽から上がってからも言葉を継ぐ。


「水槽ホテルは、人を選ばない突発的な変態が行く所です。今日の貴方を見る限り、向いていると思いますよ」


 ゑびの言葉は、寒い日に頬に缶コーヒーを当てられたような優しい感触だった。


「それは褒めていますか?」


 薄氷は自分に少しでも見込みがあったことに嬉しさを隠しきれず、手で口元を覆った。


「はい。私には変態の才能がありませんから。今はそれが必要のないものだと理解していますが…」


 ゑびは、油切り皿の上で休憩をする。耐油性に優れたPCを起動させる。釦に手招きをする。


「貴方も隣に来てください。今から適職診断を受けましょう」

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