第5話 すべての唇を獲得!

唇音の部をめぐる考察


「歯音 dantya」があるなら、他の文字も音声学的に当てはまるはずだ――そう考えて眺めてみると、まず見えてくるのが 「逢 boŋ」「蒙 moŋ」。これはサンスクリットの 唇音 oṣṭhya に対応していそうだ。


では 「閼 ʔan」「焉 ʔan」 はどうか?

正直、oṣṭhya の音写と考えるのは難しい。


実は前作で自分は「閼」を Bhagavān(尊者) やその形容詞形 Bhagavat に見られる「-vān」「-vat」の音写だと解釈していた。すると 閼・焉 = van となり、流派によっては 唇音として扱われる v がここに当てられている、と考えられる(一般には「唇歯音 danta-oṣṭhya」扱いだが)。


しかし「唇音」とするなら、問題が残る。多くの言語で表現しづらい bh はともかく、p / ph が見当たらないのだ。


…と思ってもう一度よく確認すると――


丙(中古音pjængX, 上古音(B-S)*praŋʔ, 上古音(『上古音略』)[*praŋʔ])


ここに p- が隠れていた!


整理すると


前半の唇音はこうなる:


閼・焉 = van 逢 = boŋ 蒙 = moŋ 丙 = praŋʔ


ところが、間に入り込んでいる 旃・端 はどう考えても唇音ではない。

特に「端」は「三十六字母」の「端母 = t」として有名で、歯音以外にあり得ない。


では、なぜそこに混じったのか?


韻を見てみる


『爾雅』

甲/閼逢 *ʔan boŋ

乙/旃蒙 *tan moŋ


『史記』

甲/焉逢 *ʔan boŋ

乙/端蒙 *tor moŋ


『爾雅』では「閼逢」「旃蒙」がきれいに韻を踏んでいる。


結論


もともとは:


閼・逢・蒙・丙・旃 …

焉・逢・蒙・丙・端 …


という並びだったのだろう。

ところが「丙」を十干の「丙」と誤解したため、構造が崩れ:


甲:閼逢 乙:蒙旃 丙: …

甲:焉逢 乙:蒙端 丙: …


さらに「閼逢」「旃蒙」が韻を踏むために順番が入れ替えられ、ついでに「蒙端」も「端蒙」と整理されて:


甲:閼逢 乙:旃蒙 丙: …

甲:焉逢 乙:端蒙 丙: …


となったのだろう。


唇音の部、これにて解決!

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