第2章 竜と剣、影を重ねる刻
第11話
オークキングが倒れ、戦場を覆っていた重苦しい気配が消え去った。
城壁の上に立つと、まだ戦いの痕跡が空気に染み付いているのがわかる。
血の匂いと、焦げた獣や矢の跡の匂いが混ざり合い、冷たい夜明け前の風に運ばれてくる。足元には倒れたゴブリンやオークの死体が散乱し、剣や斧の跡が無数に刻まれていた。
だが、それでも街は守られたのだ――生き残った人々の安堵の息が、静けさの中にかすかに混ざっている。
私は、城壁の端に立つラグナの姿を見上げた。
黒く染まった鎧や衣服には傷が入り、腕や頬からは血が流れている。それでも彼の顔には、豪快な笑みが浮かんでいた。
「ふぅ……やっぱり全力で戦った後は気持ちいいな!」
ラグナは肩を揺らし、痛みを気にするそぶりもなく笑った。その声は軽やかで、疲労や痛みを全く含まないかのように聞こえる。
仲間に向かって何事もなかったように声をかける姿は、無謀というよりも、戦いを楽しむ心から来る逞しさの現れだった。
フィーネがラグナの隣に立ち、ため息をつきながらも目を逸らさずに彼を見つめる。
「まったく……少しは自分の体を大事になさい」
口では呆れたように言うが、その瞳の奥には、戦いを共に生き抜いた安心感と信頼が潜んでいる。
「ははっ!気にするな。俺の体なんざ頑丈にできてるんだ」
ラグナは軽く笑い、肩をすくめる。痛みを隠すように振る舞うその姿に、フィーネは眉をひそめながらも胸の奥ではほっとした安堵を覚えていた。
彼の背中は、ただの力強さではなく、仲間を守る誠実さを示していた。フィーネは無意識に「兄がいたらこんな感じなのだろう」と考えていた。
私はその光景を見ながら、ラグナの無茶な戦い方を思い出していた。あの戦いの中で、彼は普通なら立ち上がれない傷を負いながらも、何度も前に立ちふさがり、仲間を守るために剣を振り続けた。腕力だけではなく、心の折れない強さを持っていることが、あの行動からひしひしと伝わってきた。
(…この人は、本当に強い。ただの力じゃない。心が折れないんだ。)
ラグナはまるで頼れる兄のようだ。戦いの最中、危険な状況でも揺るがず立ち向かう彼の姿は、自然と安心感を生む。
フィーネも同じだろう。戦場を共に駆け抜けた者だけが理解できる、信頼と絆の空気が、今、静かに三人の間に流れている。
ラグナの血や傷は、戦いの激しさを物語っている。しかしその目は、まだ闘志に満ちている。まるで、この戦いはほんの序章に過ぎなかったかのように。
城壁の上で三人は並び、夜明け前の空を見上げる。まだ薄暗い空には、少しずつ朝の光が差し込み、戦いの痕跡を柔らかく包み込もうとしていた。冷たい風が吹き抜け、血と煙と安堵の混ざった匂いが、私たちの間に充満している。
「痛みは避けられない。でも、それをどう生かすかが自由だ」
空を見上げながら、独り言のようにラグナは言う。なにか懐かしむ様な表情が印象的だった。
そして、ラグナは体中の傷を気にすることなく、拳を軽く握り、空を仰いだ。
「さぁて……まだまだこれからだな。俺たちなら、どんな敵でも吹っ飛ばせる」
その言葉に、フィーネも私も自然と小さく頷く。しかし、その頷きを訂正するようにフィーネは言う。
「まあ、傭兵にしては上手くやっているわ」
そうか、フィーネは騎士なのだから、私たち雇われの傭兵とは立場が違う。
分かってはいたけれど、この事実に私は少し寂しいような、悲しいような気持ちになる。
夜明けの光が城壁を照らし、倒れた敵や傷ついた街の姿を柔らかく包み込む。
戦いの激しさは消えていないが、その光は確かに希望を示していた。ラグナの屈託のない笑顔、フィーネのやり切ったという表情、そして私の胸に宿る2人への信頼――三人の絆はまだ始まったばかりだが、少しずつ、確実に育まれていた。
小さな頷き合いの中で、互いへの信頼が静かに積み重なっていく。戦場で生き抜いたからこそ理解できる、この確かな安心感。私は心の中で、立場の差はあれど、自分たちならどんな困難も乗り越えられる、と確信した。
血と焦げた匂いの残る城壁の上で、三人の影は静かに伸びている。戦いの痕跡は残るが、確かにそこには新たな始まりの気配があった。
頼れる仲間としての第一歩――戦いを越えた先に生まれた、かけがえのない絆の証だった。
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