第10話

轟音と共に、影が姿を現した。


 群れを従えるその存在は、通常のオークより二回りは大きい。深緑の肌に、黄色く濁った瞳。手にする棍棒は人の胴ほども太く、まるで大樹をそのまま振り回すかのようだった。


「オークキング……!」


 フィーネが目を細める。


「下級の群れとは格が違うわ。全員、気を引き締めなさい!」


 その瞬間、周囲のオークたちが吠えた。


 力強さが増している。オークキングが立つだけで、仲間の生命力が引き上げられているのだ。


 ラグナが唸る。


「なるほどな……群れの王ってわけか。こいつを倒さねぇ限り、終わらねぇな」


 棍棒が振り下ろされ、地面が爆ぜた。

 石畳が砕け、衝撃が全身を揺らす。

 私は咄嗟にフィーネを抱き寄せ、後ろに跳んだ。


「助かったわ、ユルド」

「……気をつけて」


 ラグナが前に飛び出す。


「オレが抑える! その隙に仕掛けろ!」


 分厚い棍棒を大剣で受け止める。轟音。

 ラグナの体が地に沈み込み、血が噴き出す。だが彼は膝をつかない。


「ぐっ……がははっ! まだだ……! 舐めんじゃねぇぞッ!」

 顔を歪めながらも、彼は笑っていた。


私は戦いの合間、笑うラグナを横目で見て思う。


【不屈】彼を言葉で表すならば、この言葉が最も相応しい。彼はどんなに傷を負っても、血を流し、血で前が見えなくなっても、その不屈の精神で立ち上がるだろう。そして戦う。共に戦う仲間として申し分ない男だ。


「ラグナ!」


 フィーネが駆け出し、鋭い突きを放つ。

 レイピアが閃き、オークキングの肩を浅く裂いた。

 ――だが、厚い皮膚はそれだけで止まる。


「硬い……!」

「フィーネ、離れて!」


 私の中で、血が熱くなる。

 アカツキが震え、低く唸る。

 ――ドラゴンとしての本能が告げていた。

 “切れる” と。


 オークキングが怒声を上げ、棍棒を横薙ぎに振る。

 私は駆け出す。視界が開け、世界が遅く見える。

 一瞬、刃が生き物のようにうねり、光を帯びた。


「はあああっ!」


 アカツキの一閃が、棍棒の軌道を逸らし、巨腕に深々と傷を刻む。


 血飛沫。オークキングの黄色の瞳がぎょろりと揺れる。


「ユルド……今の動き……?」


 フィーネの声に疑念が混ざる。


 私は答えず、息を整えた。


 (……バレるな。まだ、力を悟られるな)


 ラグナが吠える。


「今だ! 攻めるぞッ!」


 三人の動きが噛み合った。


 ラグナが棍棒を受け止め、膝をつきながらも決して倒れない。

 フィーネが隙を逃さず突きを繰り出し、鎧のような皮膚に小さな穴を穿つ。

 私はその傷口を狙い、刃を深く叩き込む。


「終われッ!」


 アカツキが異様な光を放ち、裂傷を広げる。


 竜の血が震え、刃に力を与えているのが分かる。


 オークキングが絶叫を上げ、棍棒を振り回した。

 衝撃でラグナが吹き飛ぶ。だが――彼はなお立ち上がる。


「オレは……まだ……盾だ……!」


 フィーネが最後の一撃を放つ。


「剣聖の名にかけて――ッ!」


ウィンザーナ王国の人々は彼女について口を揃えてこう言った。「金の女騎士」「剣聖」と。この2つの通り名は彼女が金髪と金色の瞳をしているからだけではない。彼女の神授は剣。絵本に出てくるおとぎ話の騎士に憧れた彼女にはぴったりの神授。それに加え、女神フィフィーナは彼女に加護を授けた。


──【剣聖】の加護。剣の頂きに最も近づき、その頂きにすらたどり着ける可能性を持つ。


彼女は全ての人族に神授を授ける女神フィフィーネに愛されていたのだ。


 黄金の突きが、心臓を正確に穿った。


 同時に、私も刃を振り下ろす。


 ドラゴンの力を抑えながらも、アカツキがその心臓を深く断ち割った。


 巨体が痙攣し、地響きを立てて崩れ落ちる。

 周囲のオークたちは王を失い、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。


 沈黙。

 重い息遣いだけが響く。


「ふぅ……やったのね」


 フィーネが剣を収め、私を見る。


「ユルド……さっきの剣筋、あれは――」

「……ただ、必死だっただけです」


被せてそう答えた。

 そう答えるしかなかった。


フィーネはこの時、それ以上何も言わなかった。ユルドの苦しそうな顔を目の当たりにし、言えなかったのだ。


 ラグナが血まみれの笑みを浮かべる。


「ははっ……お前ら、最高だぜ」


 夜風が吹き抜ける。

 三人の心に、確かな絆と、消えない火が灯っていた。




── 第1章【完】──

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