第9話

夜を切り裂くように角笛が鳴り響いた。


 静かだった王都の外壁が、一瞬にして戦場へと変わっていく。


「来るぞ!」


 銀灰色の耳を立てたラグナが低く吠える。鋭い眼光で闇を睨みながら、大剣を担ぎ上げる姿は頼もしかった。


 フィーネ副団長が高らかに剣を掲げる。


「弓兵! 狙いを定めなさい! ……放てッ!」


 無数の矢が夜空を横切り、赤い炎の矢が闇を裂いた。光に照らされ浮かび上がるのは、どこまでも押し寄せる緑の群れ――ゴブリンだ。


 矢を受けて次々に倒れても、なお怯むことなく屍を踏み越えて迫ってくる。


「魔術師部隊、詠唱を開始せよ!」


 詠唱が重なり合い、雷光が夜を白く染める。轟音と爆風が戦場を揺らし、炎の奔流が敵を呑み込んだ。


 だが――数が減らない。まるで尽きることがないかのように、奴らはまだ奥から現れていた。


 私は刀を抜く。黒き刃――アカツキが月明かりに鈍く光る。


 刀が震えるように脈打ち、斬った敵の気配を示してくる。あの昼間取り逃がしたオークの存在も……確かに、そこにいる。


「……行くしかないわね」

「おう! 暴れるには丁度いい!」


 ラグナが牙を見せて笑い、尾を揺らす。

 フィーネが私たちを見て、きっぱりと言った。


「遊撃隊、突撃! わたくしに続きなさい!」


 金の髪が夜風を裂き、彼女は前線へと駆ける。その背は迷いなく、月に照らされる姿はまるで英雄譚の騎士のようだった。


 私はその背に吸い寄せられるように走り出し、ラグナが豪快に大地を蹴った。


 最前線。


 アカツキが唸り、ゴブリンの首を刎ねる。切り口から放たれる気配が次の敵の位置を私に知らせ、振り返るより速く次の首筋へと刃が走る。


「はぁッ!」


 黒い弧が夜に閃き、血飛沫が舞った。


「相変わらず見事だな! ユルド、どこでそんな剣学んだ!」


 ラグナが笑いながら大剣を振り抜く。力任せに叩きつけた一撃で、五体まとめて吹き飛ばした。


 彼の豪快さは恐怖をも押し返すようで、兵たちの士気をも上げている。


 前方では、フィーネが舞うように剣を振るっていた。


 金色の瞳が冷たく輝き、鋭い剣筋が敵を貫く。レイピアが突くたび、鮮血が夜に散る。それでいて、兵の動きを的確に指揮する余裕すらある。


 ――剣の神授を受け、剣聖の加護を受けた者。彼女の戦いぶりは、確かにそれを証明していた。


 私は闇に溶けるように駆けた。


 夜目の利かない敵にとって、月夜に反射する鎧を着た騎士たちは見えても、黒装束の私を視認することは困難だ。深青の瞳が黄色い光を見抜き、次の瞬間には首筋へ刃が走る。


 鮮血が夜に散り、ゴブリンの悲鳴が響く頃には、私はもう別の影に飛び移っていた。


 だが、群れの奥から重い唸り声が迫ってきた。


 現れたのは、昼間逃したオークだ。右肩の傷口はまだ塞がっておらず、血が滲んでいる。

 奴の小さな目が私を捉え、牙を剥いた。


「……お前か」


 私は刃を構える。

 背筋に熱いものが走った。あの時の失敗が、今この瞬間の刃へと繋がっている。


 オークが巨棍棒を振り上げ、突進してきた。地面が揺れる。

 私は後退しながら刃を走らせ、奴の足を裂いた。だが、止まらない。棍棒が振り下ろされ、石畳が粉砕される。衝撃で肺の空気が奪われ、息が詰まる。


「ユルド!」


 フィーネが割って入った。レイピアが閃き、棍棒を弾き飛ばす。火花が散る。


「下がりなさい!」


 続けざまに、ラグナの大剣が横薙ぎに振るわれた。


「おらぁッ!」


 豪腕の一撃がオークの体を横から打ち抜き、巨体がよろめく。


 私は体勢を立て直し、渾身の力で突き込んだ。


 アカツキが赤黒く光り、オークの喉を深々と貫く。刃に吸い込まれるように、敵の命の気配が途絶えた。


 巨体が崩れ落ち、地響きが響く。

 静寂が訪れたかのように錯覚した――が、それは束の間だった。


 遠くで、より大きな咆哮が轟いた。

 群れのさらに奥。人影に似た、だが明らかに異質な巨影が立ち上がる。


 フィーネの表情が硬くなる。


「……まだ終わっていないようね」


 ラグナが唸る。耳が震えている。


「嫌な気配だ……ゴブリンやオークとは格が違う」


 私の胸がざわめいた。

 アカツキが震え、刃が訴える。――あれはただの魔物ではない。


 戦いは、まだ始まったばかりだ。

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