笑え

琴吹ツカサ

笑え

「でな、今日やっとオカンの羽化するとこ見れたんよ」

「いや、お前のオカン昆虫か!」

 4畳の和室。酒と煙草と男の臭いが充満する中、栗濱と上田は漫才の練習をしていた。

「ほんで、オカン握手すると同時にその男優の股間さわっててん…」

「完全変態や…」

「今度お前のもさわらしたってや」

「いや嫌やわ!もうええわ」

「「どうもありがとうございました」」

 一通り終わったあと、上田は何も言わずセブンスターの煙草に火をつけた。

「やってみてどうだった?」

 煙を吐く上田に、少しおどおどと話しかける。上田は、四角く不機嫌そうに見える顔のせいで、しばしば怖がられる事がある。

「ええんちゃう」

 少しぶっきらぼな返事に押されつつも。

「じゃあ今のうちにもう一回、通しとこうよ」

「一回できたんやからもうええやろ」

「いや今回の番組の審査は絶対に受かりたいからさ、ミスんないようにしたいんだよ。だからさ、もう一回」

「心配しすぎや」

 煙草を大きく吸うと、乱雑にビールの空き缶に突っ込んだ。

「用事あるから帰るわ」

 ドスドスと歩きながら、サンダルに履き替え出ていった。

 栗濱はその背中を見つめる事しか出来なかった。

 しんとした部屋を見渡すと、酒の空き缶や煙草の吸殻でいっぱい。これは全て上田のものだ。栗濱は、酒も煙草もあまり好きじゃない。だから自分で飲み食いした後は自分でかたずけると約束した。のにこれだ。

「用事とか言って…。パチンコくらいしかやることないでしょ」

 前から威圧的ではあったが、他人に迷惑をかけるような人間ではなかった。むしろ、親しい人にほどしっかりするところはしてた。はずなのに。


 その後、一回も合わないまま審査当日の日が来た。

 この審査に受かれば、テレビ番組で漫才ができる。ローカルだが、コンビの名を知ってもらう絶好のチャンスだ。これだけは逃したくなかった。

「じゃあ、ビックリボンズどうぞ」

 栗濱は緊張で今にも、心臓がとびだしそうだった。一回しかネタ合わせをしていないことが心配だからだ。でもここまで来たらやるしかない。

「「はいどーも、ビックリボンズと申します!」」

「初めまして。わたくし、ボケの栗濱と。こちら、ビックリボンズの面汚し、上田ですー」

「いや、なにいっとんねん!初対面の人らにあんまマイナスなこと言うなや」

 栗濱は漫才をしている最中、上田に深く感心していた。十分にネタ合わせをしていないにもかかわらず、間違えもなく、ペースも完璧だったからだ。

 自分は台本があったから何度も練習できたが、上田は台本を持っていないから練習も何もできないはずだ。

 なのにこの完成度。やはり上田は天才だと栗濱は思った。

「いや嫌やわ!もうええわ」

「「どうもありがとうございました」」

 ミスなしでやり切れた。笑いもそこそことれていた。これはいけるのではないか。

「はい、ありがとうございます…」

 審査員がペンを机に置き、手を組んだ。

「…どうでしたか」

「いや、面白かった」

 面白い。その言葉が、今までで一番嬉しかった。

 栗濱は心の中で、胸をなでおろした。

「でもねぇ、うぅぅん…」

 唸り声。

「なにかダメなところありました?」

「いやねぇ、上田くんの顔が怖すぎ。ちょっとそこ直されへんのやったら、むずかしいかなぁー」


 栗濱は納得出来なかった。

 漫才は面白いのに、顔が怖いからダメ?そんなのおかしい。そして何より、付き合いの長い相方を貶されたような感じで、少しイラついた。

 上田もこれには激怒するだろう。

 そう思ったが。

「すまんな、栗濱。俺のせいや」

「は?おまえが謝んなよ。悪いのは、あの見る目ないクソジジイだろ」

「クソジジイちゃう。しっかり見てはったわ、あの人」

 上田はいつもと違って、気弱そうに続けた。

「俺な、漫才してる時な、一切笑えんかってん」

「俺のネタがおもんないから…?」

「ちゃうわ。お前のネタは本当に最高やった。ただな、あんまあの番組に出たくなかったんや」

「どうしてだよ」

「あの番組のMCさ、この前ちょいブレイクしとった後輩のコンビがやっててん。俺それがいやでいやで、たまらんかってん」

 上田の声が震えだした。

「あいつらはテレビに堂々と出てて、皆に見てもらえてるやん。でも俺らはへこへこ客さんに頭下げながら舞台立ってどれだけ頑張っても、お前がどんだけおもろいネタ書いたとしても、誰も見てくれへんやん。それが気に食わんねん!一発当てただけのやつが俺らより上みたいになってんのがホンマ悔しいねん!」

 知らなかった。上田がそんな事を思っていたなんて。もしかして最近、様子がおかしかったのも、そのせいなんだろうか。

「でもさ、いや。そりゃあさ、俺だって悔しいよ。ぽっと出の奴に先越されて、今までの努力はなんんだったんだって思ったよ。でもさ、頑張るしかないじゃん」

 上田の顔を見ると泣いていた。それにつられるように、栗濱も涙をこぼした。

「栗濱、俺はもう無理や」

「んなこと言うなよ。また、頑張りゃいいじゃん一緒にさぁ。お前が諦めんなよ」

「いいや、俺はやっちゃアカンことした。もう芸人失格や」

「別に他の芸人を羨ましがるくらい、なおしゃいいことだろ」

「それよりもっとアカン事してもうた。もうお前に顔向けできへん」

 長いこと一緒にいると、言おうとしてるのかかぐらい簡単に分かってしまう。

「俺ら解散さしてくれ…」

 栗濱は、初めて上田とコンビを組んだことを後悔した。

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笑え 琴吹ツカサ @kotobuki_58

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