<20・暴発。>
元々遠田寿は、自分が救えなかった神をせめて安らかに眠らせるため、そして安全に祀り続けるために教団を作ったはずだった。濱田もまた、そう聞かされて雇われたのだから。
ただ、宗教というものは。人の欲望が想像以上に集まる場所だということを遠田自身失念していたというだけで。
『私は辺境の村で神様と出会い、その魂を頂くことに成功しました。本物の神様です。皆さんが清らかな心でお祀りし、お祈りし続ければ、きっと神様は皆さまにも繁栄とささやかな幸福を約束してくれることでしょう』
簡単に言えば、そういう教義内容だった。本物の神という言葉と遠田の不思議な力、資金力に魅かれてどんどん信者は集まった(ちなみに彼が元々どこでどんな仕事をしていて、なんであんなにお金を持っていたのかは濱田もよく知らないところではある)。
何故、宗教団体という形態を取ったのか?
理由は単純明快、神様の性質を“皆が信じること”で善神へと転換させようとしたからである。その実、神様の力というものは信仰されて初めて確かなものになると言っても過言ではない。誰も知らない、信じる者のいない神様はどんどん力が弱くなっていくし、不安定になっていく。そして人々の願いを集める神様という存在は、その願いによって良くも悪くも性質を変化させるものなのである。
多くの信者たちが、清らかな心で神様を祀り、儀式を行うことにより。恨みと憎しみに満ちた邪神であっても、善神に姿を変え、それによって浄化できるはずと遠田は考えたのだった。
確かに、その考えの方向性は間違っていなかったと思われる。教団を設立して暫くのうちは、神様の力は確かに安定していた。怪異と呼ばれることなどまったく起きなかったのだから。
儀式の内容は、結界で満たした儀式場で動物、もしくは虫の足を切り落とし、信者たちが祈りを捧げて清めた上で遠田か幹部が奥の御神体の間へ持っていって差し出すというもの。すると暫く後に神様の本体が現れて足を持っていくのである。それを定期的に繰り返すことで、神様は足を得ることによって恨みを満たし、さらに清らかな祈りの心に触れて少しずつ安らかな気持ちを思い出していく――そういう狙いであったのだった。
だが。
『最近、神が供物を要求する頻度が増えている』
ある時、遠田がやや焦った顔でそう言いだした。
『皆の者。よもや祈りの中に、不純物を混ぜてはいまいな?』
神が要求する供物=何らかの足のことは、儀式上の水晶の中に文字として浮かび上がることになる。それを見て、神が望んだ供物を用意して捧げるということをしてきたわけだ。
ところが、一カ月に一度で良かったはずの供物を求める速度が、その頃はどんどん早くなっていった。半月に一度になり、さらには一週間に一度へ。そして求める“足”も、最初は虫で良かったのが蛙になり、蛙から猫に、犬になり、その頃はついに猿にまでなっていた。つまり、調達そのものが困難なものになっていたのである。
『神の気が淀んでいる。明らかに、悪いことの前触れだ。皆、愚かな祈りなど捧げてはいまいな?』
遠田の言葉に、誰も答えなかった。――誰もが、心当たりが多すぎたがゆえに。
供物を捧げる儀式の時に、絶対やってはいけないことが一つある。それは、祈りの時に自らの願いを祈ってはいけないということ。この時祈るのはあくまで神の安寧だけでなければいけないということである。
もし、ここで自らの欲――長生きしたいとか、お金が欲しいとか、恋人がほしいとか――みたいなことを少しでも祈ってしまった場合。その祈りは清らかさを失ってしまう。自らの欲を願うのは、儀式場の外で行うようにと遠田は口がすっぱくなるほど言っていたのだった。
だが、人の欲望は際限ないものである。
本物の神様がいて、本物の力を持つ祭祀がいる。そして自分達はこの辛い現代社会の中で幸せになりたくて宗教団体に入り、高いお布施までしているのに自分自身のことを祈ってはいけないなんて、そんな馬鹿なことがあるものか。誰かがそう思ってしまった。そして、恐らくその考えが少しずつ信者の中に普及していったのである。
そして、遠田の知らないところでさらに恐ろしい事態が進行していた。
そうやって願った信者の数人かが、儀式場で願いを祈ることで実際に“叶う”ことに気づいてしまったのである。治らないと言われた病気が治ったり、資格試験に合格したり、友人との不仲が解消したり恋人とヨリを戻したり大金が舞いこんだり。それを知り、信者たちは遠田の知らないところでひっそりと噂を回していたのだった。あの儀式場で、自分のことを祈るとお願いが叶うんだよ、と。
恐らく。末期の頃には、多くの者達が清らかどころか、欲に塗れた祈りばかり捧げていたことだろう。それがどういう結果を齎すか、まったく想像もせずに。
――神は、確かに本物なのだ。信仰され、願われればその多くの願いを叶えることができる。実際彼は母親の願いを叶えるために誕生した神であるのだから。
だが。物事は、等価交換なのである。元より、あの神は善神とは言い難い生まれを持っている。誰かの願いを叶えた分、対価を要求するというのは神としてみれば当然の行いだった。人々の欲望を叶えることによって、神が儀式の内容のエスカレートを望むようになるのは至極当然のことだったのだろう。
遠田が気づいたのは、本当にギリギリのギリギリのタイミングだった。信者たちは、自分達が欲望のまま願いを叶えて貰っていたせいで神様の様子がおかしくなったことに気が付いた。ただ。
人間は、ここでこう考えてしまうのである。じゃあ、自分じゃない他の人が我慢すればいい、と。
――自分の願いなんて“大したことない”。だから、他のもっと大きなお願いをしている人が我慢すればいい。万が一、私がお願いを我慢して他の人が叶っているのを見てしまったら耐えられない、と。
結果。
堤防は、決壊した。その日、儀式を行う担当だったのは幹部の一人である“
神様から次の供物を伝えて貰う時は、水晶を十人の信者と幹部もしくは教祖が囲み、祈りの歌を歌って希うことになっている。その供物の内容が浮かび上がってから、指定された期間以内に供物を捧げる儀式を行って成功となるのだ。
彼女らも、まさか予想していなかったのだろう。供物としてまさか、生きた人間の足が要求されることになるだなんてことは。しかも、たった一日で用意せよという命令が下ってしまったのである。
これらの様子は、教団本部に設置されていた防犯カメラに残っていた。画質が荒かったので水晶の文字そのものはカメラで読み取ることが不可能だったが、それを読み上げた南々帆の様子で充分中身を知ることは可能だったのである。
『む、無理ですわ、我らが主!』
南々帆は真っ青になって悲鳴を上げた。
『ど、どうか考え直してください!流石に、人間の足なんて捧げられません、それもたった一日なんて!!』
南々帆も優秀な“魔術師”の一人であり、神と直接対話することができる人間の一人であるのは間違いない。ゆえに、彼女は神にその場で希ってしまった――神が提示した命令は絶対であり、一介の人間が変更を要求するなど本来あってはならないことであったというのに。
それが、神の怒りを買ったのは明らかだった。
カタカタカタカタ、と地面が、床が、水晶が揺れ始めるのが分かった動揺し、それでも許しを乞う南々帆。やがて、水晶を覗きこんだ彼女と他の信者たちは絶叫した。
『あ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?』
水晶の中に、普段浮かぶ文字は黒。しかしその時は、真っ赤な文字が浮かび上がっていた。カメラごしではその文字の内容はわからなかったが、その時に南々帆の狂らんぶりからして大体想像はつこうというものである。
それは、今巷で都市伝説となってしまっている“知ってはいけない言葉”と同じもの。
即ち、神の本当の名前。
水晶が粉々に砕け散り、地震が大きくなった。南々帆は我先にと儀式場から逃げ出し、信者たちも後に続いた。それが、どのような結果となるかも知らずに。
彼等はこのあと、皆の憩いの広間に逃げ込んでいる。此処にはこの時本拠地にいた信者たちの殆どが集まって雑談をしたり読書をしたりしていた。明らかに尋常ではない様子の幹部と仲間達を見て、どうしたものかと不思議がる信者たち。
南々帆は彼等を見て言った。
『か、神が、神がお怒りにっ……!』
そして、彼女は腹を抑えて呻き、次の瞬間真っ黒なヘドロのようなものを口から吹き上げていたのだった。他の、信者達も同様に。
映像として、濱田が見ることを許されたのはここまでだった。ここから先を見たらお前達も呪われるから、と遠田がストップをかけたのである。
『このあと。儀式場にいた全員が、黒い血を大量に嘔吐。そして、その場に彼等を追いかけてきた我らが神が出現し、嘔吐して苦しむ者達の足を次々と引きちぎっていった。そして、神の御姿を直接見てしまった、無関係の信者達も同時に祟りを受けることになる。……この時、パニックになった者が火を用いて浄化しようとしたせいで、キッチンから火の手が上がった。そして、あちこちガスによる爆発が起き、本拠地に残っていたものの殆どが死亡することになったのだ』
その場から逃げ出すことに成功したのは、神の名前も姿も知らないうちに外に出ることができた三人の信者のみ。
遠田はそれを聞いて、今回の件を食中毒と爆発事故、ということで強引に片づけることにしたというわけである。
『悲しいが、神はもはや我々の手に負える存在ではなくなってしまった。私が、人々の欲を見誤ったせいだ。こうなってはもう……もう一度、完全に眠って頂く他あるまい』
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