第8話

俺が次にたどり着いたのは、大陸南部に位置する巨大な港町だった。その名はポルト・マリーノ。海に面した丘陵に、白い壁の家々がびっしりと立ち並び、活気に満ち溢れている。潮の香りと、様々な香辛料、そして人々の熱気が混じり合った独特の匂いが風に乗って運ばれてきた。


カモメたちの鳴き声が、まるでこの街のテーマソングのように、絶えず空に響いている。俺は、港を見下ろすことができる教会の鐘楼に、とりあえずの宿を構えることにした。ここからなら、【千里眼EX】を使えば、街の隅々まで見渡すことができる。


この街での俺の観察対象は、すぐに見つかった。


「そこのお前! この荷物を東地区のギルドまで届けてくれ! 急ぎだぞ!」

「あいよ、任せときな!」


日焼けした肌に、そばかすの浮いた顔。年は十歳くらいだろうか。ボロボロの服を着た一人の少年が、自分よりも大きな荷物を軽々と背負い、人混みをかき分けるようにして走り出した。彼の名はレオというらしい。この港で「運び屋」をして、日銭を稼いでいるようだった。


彼の魔力は、快活な性格を示す、鮮やかなオレンジ色をしていた。その輝きは、太陽の光を浴びて、キラキラと揺れている。見ていて気持ちがいいほどの、生命力に満ちた色だ。


レオの仕事ぶりは、実に見事なものだった。彼は、入り組んだ路地や建物の屋根を、まるで自分の庭のように駆け抜けていく。その身のこなしは、猫よりも俊敏で、猿よりも軽やかだった。


「ほらよ、お届けもんだ! 間違いなく!」

「おお、レオか。いつも助かるぜ。これは駄賃だ、取っときな」


彼は、街の誰からも好かれているようだった。商人たちも、船乗りたちも、皆が彼の頭を撫で、親しげに声をかける。彼は、この港町の太陽のような存在なのだ。


彼は一日中、休むことなく街を駆け回っていた。そうして稼いだわずかな銅貨を、彼は一枚一枚、大切そうに革の袋にしまっていく。その表情は、真剣そのものだった。何か、大きな目標があるに違いない。


日が暮れ、港が夕焼けに染まる頃、レオは仕事を終え、裏路地にある古びた建物へと入っていった。そこは、身寄りのない子供たちが暮らす、小さな孤児院だった。


「レオ兄ちゃん、おかえり!」

「お腹すいたよー!」


レオが姿を見せると、幼い子供たちがわっと彼に駆け寄ってくる。レオは、そんな彼らの頭を一人一人優しく撫でると、懐から固いパンと干し肉を取り出した。


「ほら、今日の稼ぎだ。みんなで分けて食おうぜ」


それは、決して十分な量ではなかったが、子供たちは大喜びでそれにありついた。レオは、自分の分はほんの少しだけ口にすると、残りは全て年下の子供たちに与えてしまう。そして、満足そうにその光景を眺めていた。


夜、子供たちが寝静まった後、レオは一人、屋根裏部屋で革袋の中の銅貨を数えていた。そして、壁に貼られた一枚の絵を、愛おしそうに見つめる。それは、子供が描いたような、拙い船の絵だった。


「父ちゃん……。俺、絶対に父ちゃんみたいな漁師になるからな。そして、自分の船で、こいつらみんなに腹一杯、魚を食わせてやるんだ……」


彼の呟きは、決意に満ちていた。彼の父親も漁師だったが、数年前の嵐で帰らぬ人となったらしい。彼は、父の夢を継ごうとしているのだ。


そんなレオのささやかな夢を、脅かす存在がいた。港の役人である、ボルゴという男だ。腹の出た、いかにも悪徳役人といった風貌の男で、その魔力は金と権力への欲望を示す、濁った金色をしていた。


ボルゴは、レオのような運び屋の子供たちから、みかじめ料と称して金を巻き上げていた。


「おい、レオ。今月の分はまだか? さっさと払わねえと、この港で仕事ができなくなるぞ」

「……今、これしか……」


レオは、渋々革袋の中から数枚の銅貨を取り出す。ボルゴは、それをひったくるように奪い取ると、舌打ちをした。


「ちっ、これだけか。相変わらず、貧乏くせえな。まあいい、来月は倍にしてもらうからな。覚えておけ」


ボルゴはそう言い捨てて去っていく。レオは、悔しそうに拳を握りしめていた。彼のオレンジ色の魔力が、怒りで赤く燃え上がっている。


俺は、少し腹が減ってきたので、港の桟橋で食事を摂ることにした。夜の海は、漁火が点々と灯り、美しい。俺は海に飛び込み、岩陰に潜む獲物を探す。


【名称】 オーシャン・ジュエル・クラブ

【味傾向】 濃厚なカニミソと、甘く引き締まった身。海の宝石と称される。

【食感】 プリプリとした弾力のある食感。噛むほどに旨味が広がる。

【効能】 思考明晰(中)。瞬発力向上(小)。


見つけたのは、甲羅が宝石のように輝く、見事なカニだった。俺はそれを捕らえ、夢中でその身を味わう。濃厚な旨味が、脳を活性化させてくれるようだった。思考が冴え渡る。


食事を終えて鐘楼に戻ると、港が一層騒がしくなっていることに気づいた。どうやら、南方の国から来たという、大きな貿易船が入港したらしい。


レオも、その騒ぎに気づき、目を輝かせていた。大きな船が入れば、それだけ仕事も増える。彼は、早速仕事を探しに、波止場へと駆け出していった。


貿易船からは、次々と珍しい品々が降ろされていく。香辛料、絹織物、美しい装飾品。そんな荷物の中に、ひときわ厳重に警備された、大きな木箱がいくつかあることに、俺は気づいた。


その木箱を、港の役人であるボルゴが、人目を忍ぶようにして倉庫へと運び込ませている。彼の濁った金色の魔力が、いつもより激しく揺らめいていた。何か、やましいことに関わっているのは間違いない。


レオは、その日も夜遅くまで働き、いつもより多くの銅貨を稼ぐことができた。彼は孤児院に戻ると、嬉しそうにその日の稼ぎを子供たちに見せた。


「見てみろ! 今日は大漁だぜ! 明日は、市場で果物でも買ってやっからな!」


子供たちから歓声が上がる。その時だった。一番幼い少女、ミーナが咳き込み始めた。


「ミーナ? どうしたんだ?」

「……寒いよ、レオ兄ちゃん……」


ミーナの身体は、火のように熱かった。急に熱を出したのだ。この世界の医療技術は、まだ発展途上だ。子供が熱を出せば、それだけで命に関わることもある。


「くそっ、どうしてこんな時に……! 待ってろ、ミーナ! 今すぐ医者を呼んでくる!」


レオは、稼いだばかりの銅貨をひっつかむと、夜の街へと飛び出していった。しかし、どの医者も、金がないと分かると、まともに取り合ってくれない。


「帰った、帰った! 貧乏人に診せる薬はないね!」


レオは、何軒もの扉を叩いたが、結果は同じだった。彼は、途方に暮れて、その場に座り込んでしまう。彼のオレンジ色の魔力が、絶望の色である灰色に沈んでいくのが見えた。


「どうすれば……。ミーナが、死んじまう……」


その時、彼の脳裏に、あの貿易船の光景が蘇った。厳重に警備されていた、大きな木箱。そして、それを運び込むボルゴの姿。あれは、普通の荷物ではなかった。おそらく、違法な輸入品、禁制品の類だろう。もし、それをネタにボルゴを脅せば……。


いや、そんなことをすれば、自分もただでは済まない。下手をすれば、牢屋に入れられるかもしれない。だが、ミーナの命には代えられない。


レオは、意を決したように立ち上がった。彼の魔力が、再び燃えるような赤色に変わる。彼は、ボルゴが荷物を運び込んだ、港の第七倉庫へと向かった。


倉庫の周りには、見張りが立っていたが、レオは建物の屋根を伝い、音もなくその裏手へと回り込む。そして、小さな窓から、中へと侵入した。


倉庫の中には、例の木箱が積まれていた。レオは、そのうちの一つに近づき、蓋の隙間から中を覗き込む。そこに入っていたのは、彼の予想通り、この国ではご法度とされている、強力な麻薬だった。


「やっぱり……。これさえあれば……」


レオが、証拠としてその麻薬を少しだけ盗み出そうとした、その時だった。


「そこで何をしている、小僧!」


倉庫の扉が開き、ボルゴが数人の手下を連れて入ってきた。見つかってしまったのだ。


「てめえ……、どうやってここに……!」

「ボルゴ……! ちょうどよかった。ミーナを助けるために、金がいるんだ。少しだけ、恵んでくれよ。そうすりゃ、こいつのことは黙っててやる」


レオは、ハッタリだとわかっていながらも、精一杯の虚勢を張った。


「面白いことを言うじゃねえか、クソガキが。だがな、見てしまったからには、もう生かしてはおけねえんだよ」


ボルゴは、下卑た笑みを浮かべ、手下たちに命じた。


「そいつを捕まえろ! 海にでも沈めて、魚の餌にしてやれ!」


手下たちが、一斉にレオに襲いかかる。レオは、持ち前の身軽さでそれをかわし、倉庫の中を逃げ回った。だが、多勢に無勢。彼はすぐに追い詰められ、壁際に追い込まれてしまった。


「終わりだな、レオ。お前がもう少し、利口なガキだったら、見逃してやったかもしれねえのにな」


ボルゴが、勝ち誇ったように言う。その時、レオは壁に立てかけてあった大きな帳簿が目に入った。それは、ボルゴが管理している、港の荷物の出納記録だった。そして、その横には、インク壺とペンが置かれている。


レオは、一瞬の隙を突いて、その帳簿をひっつかんだ。そして、麻薬の木箱の上に飛び乗ると、大声で叫んだ。


「動くな! 動くと、この帳簿にインクをぶちまけるぞ!」

「なっ……! てめえ、それが何だかわかってんのか!」


ボルゴの顔色が変わる。その帳簿には、彼のこれまでの悪事の全てが記録されているのだ。これがインクで汚れ、読めなくなってしまえば、彼の悪事を証明するものはなくなる。いや、それどころか、帳簿を汚した罪で、レオを捕らえる口実ができる。


「馬鹿な真似はやめろ、小僧! そんなことをしても、お前が罪に問われるだけだぞ!」

「うるせえ! 俺はどうなったっていい! だが、お前の悪事は、俺がここで終わらせてやる!」


レオはそう叫ぶと、インク壺を高く掲げた。

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