第4話
「黙れと言っている! 持ち場に戻れ!」
指揮官はヒステリックに叫び、腰の剣に手をかけるが、抜く勇気はないらしい。その魔力は恐怖で濁り、紫色と灰色が混じったような汚い色に揺らめいている。完全に機能不全に陥っていた。
セアランは、そんな指揮官を一瞥すると、軽蔑とも憐れみともつかない表情を浮かべ、彼に背を向けた。
「もはや一刻の猶予もありません。俺の判断で動きます。異論のある者は、ここで待機していればいい」
彼の言葉は、城壁の上に響き渡った。その声には、不思議な力があった。恐怖に震えていた兵士たちの何人かが、はっと顔を上げる。
「俺は、俺の家族が住むこの国を守りたい。ただ、それだけだ。死ぬのは怖い。だが、何もしないで後悔するより、ずっといい。俺についてきてくれる者はいないか!」
セアランの魔力が、黄金色の輝きを放った。それは太陽のように暖かく、力強い光だった。その光に呼応するように、周りの兵士たちの魔力も、次々と色を取り戻していく。絶望の灰色から、勇気の赤、希望の青へと。
「セアラン様……!」
「俺も行きます! あんたの指揮なら信じられる!」
「そうだ! あの臆病者の下で死ぬくらいなら、本物の騎士と共に戦う!」
十数人の兵士たちが、セアランの周りに集まった。彼らは皆、まだ若いが、その瞳には覚悟の光が宿っている。
「ありがとう。皆、死ぬなよ。必ず、生きて朝日を見るんだ」
セアランはそう言うと、自ら城壁を駆け下りていく。向かう先は、ゴブリンたちが猛攻を仕掛けている北門だ。
「き、貴様ら! 反逆だぞ! 軍規違反だ!」
指揮官が後ろで何か叫んでいるが、もはや彼の言葉に耳を貸す者はいない。俺は翼を広げ、上空へと舞い上がった。【千里眼EX】を使い、戦場の全体像を把握する。
ゴブリンの数は、およそ五百。対する砦の兵士は百人ほど。数では圧倒的に不利だ。しかも、指揮系統が麻痺しているせいで、防衛線はズタズタになっている。このままでは、門が破られるのも時間の問題だろう。
セアランは、集まった兵士たちと共に門の内側に到着した。
「いいか、作戦は単純だ。俺が門を少しだけ開け、外に出る。そこで敵の注意を引きつけ、時間を稼ぐ。お前たちは、その隙に門の補強を急いでくれ。絶対に、門を破らせるな」
「なっ……! セアラン様、無茶です! 一人で外に出るなど!」
「自殺行為だ!」
兵士たちが口々に反対する。確かに、それはあまりにも危険な作戦だった。
「俺を誰だと思っている。必ず生きて戻る。それより、お前たちこそ、自分の役目を果たせ。いいな!」
セアランの力強い言葉に、兵士たちは息を呑む。彼の黄金の魔力は、一切揺らいでいない。彼は本気で、たった一人でゴブリンの群れを食い止めるつもりなのだ。
兵士たちは顔を見合わせ、やがて一人が固く頷いた。
「……わかりました。必ず、門は守り抜きます」
「お任せください!」
セアランは彼らの返事を聞くと、満足そうに頷き、巨大な門にかかった閂(かんぬき)に手をかけた。
「よし、行くぞ!」
ギギギ……という重い音を立てて、門がわずかに開く。その隙間から、セアランは身を翻して外へと飛び出した。彼の姿を認めたゴブリンたちが、一斉に雄叫びを上げる。
「人間だ!」
「殺せ! 殺せ!」
獲物を見つけた獣のように、ゴブリンたちがセアラン一人に殺到する。それはまるで、黒い津波のようだった。俺は上空から、固唾を飲んでその光景を見守る。
だが、セアランは臆する様子を全く見せなかった。彼は腰の剣を抜き放つと、流れるような動きでゴブリンたちの群れに斬り込んでいく。
彼の剣技は、俺がこれまで見てきたどの騎士よりも洗練されていた。無駄な動きが一切ない。一振りで一体、時には二体のゴブリンを確実に仕留めていく。彼の剣が描く軌跡は、まるで芸術のようだった。
黄金の魔力が剣に宿り、刃が閃くたびにゴブリンたちが紙切れのように斬り裂かれていく。彼は決して深追いはしない。巧みな足さばきでゴブリンたちの攻撃を避け、常に複数の敵を相手にできる位置を保ち続けている。
門の前に、ゴブリンたちの死体で小さな山が築かれていく。セアランは、たった一人で、文字通り防波堤となっていた。
彼の奮戦に勇気づけられ、門の内側では兵士たちが必死に作業を進めていた。槌を振るう音、木材を運ぶ掛け声が響き渡る。城壁の上からも、弓兵たちがセアランを援護しようと矢を放ち始めた。先ほどまでの混乱が嘘のように、砦に一体感が生まれていた。
俺は戦いを見守りながら、少しだけ高度を下げ、砦の屋根に降り立った。長時間の飛行と観察で、少し腹が減ってきたからだ。屋根の隅に、甲虫が数匹いるのを見つけた。
【名称】 ストーン・ビートル
【味傾向】 木の実のような香ばしさ。噛むと濃厚なエキスが溢れ出す。
【食感】 外殻は硬いが、中はクリーミーで滑らか。
【効能】 持久力回復(小)。集中力向上(微)。
悪くない。俺は素早くその甲虫を捕食する。香ばしい風味が口の中に広がり、わずかながら力が湧いてくるのを感じた。さて、腹ごしらえは済んだ。再び戦場に意識を戻す。
セアランの奮戦は続いていたが、彼の呼吸は少しずつ荒くなっていた。黄金の魔力の輝きも、心なしか弱まっているように見える。いくら彼が強くても、相手は五百の軍勢。体力の消耗は避けられない。
ゴブリンたちも、セアランが手強いと見たのか、戦い方を変えてきた。正面から斬りかかるだけでなく、側面や背後から回り込もうとする個体が出てくる。さらに、後方からは弓矢や投石が飛んでくるようになった。
「くっ……!」
セアランは飛んでくる矢を剣で弾き、石を身をかがめて避ける。しかし、その一瞬の隙を突いて、一匹のゴブリンが彼の背後に回り込んだ。
「危ない!」
城壁の上から、誰かが叫ぶ。俺も思わず身を乗り出した。だが、俺にできることは何もない。ただ見ているだけだ。
ゴブリンが汚れた剣を振り上げる。その刃が、セアランの背中に届く寸前。
その時、セアランは振り向きもせず、左手に持っていた鞘を背後へと突き出した。ゴブリンの剣は鞘に阻まれ、甲高い金属音を立てる。セアRANは即座に体を反転させ、がら空きになったゴブリンの胴を剣で薙ぎ払った。
見事な反応速度だった。彼は常に周囲の状況を把握し、あらゆる可能性を予測しているのだ。
しかし、彼の危機はまだ終わらない。一体を倒したことで生まれたわずかな隙に、別のゴブリンたちが三方から同時に襲いかかってきた。
「セアラン様!」
門の内側から、兵士たちの悲痛な声が聞こえる。門の補強はまだ終わっていない。彼らは外に出られないのだ。
もはや、これまでか。俺がそう思った瞬間、セアランの体が淡い光に包まれた。
「――我が身は鋼。我が心は不動。いかなる刃も、我が決意を砕くことはできぬ!」
彼がそう唱えると、光はさらに輝きを増し、彼の全身を覆う鎧のようになった。ゴブリンたちの剣が彼の体に叩きつけられるが、全て甲高い音を立てて弾かれてしまう。
「な、なんだと!?」
ゴブリンたちが驚きに目を見開く。それは、騎士たちが使う防御系の強化術だった。魔力を鎧のように纏い、物理的な攻撃を防ぐ。単純だが、術者の魔力量と精神力によって、その防御力は大きく変わる。セアランのそれは、鋼鉄の城壁にも等しい強度を誇っていた。
「終わりだ」
セアランは冷たく言い放つと、反撃に転じた。防御を固めたことで、彼はもはや攻撃を避ける必要がない。ただ、目の前の敵を斬り伏せることに集中するだけだ。
剣の嵐が吹き荒れる。ゴブリンたちはなすすべもなく、次々と血の海に沈んでいった。
その圧倒的な光景に、ゴブリンたちの間に動揺が走った。先頭にいた者たちが、恐怖に駆られて逃げ出し始める。
「逃げるな! たかが人間一人だ!」
後方から、一際体の大きなゴブリンが怒鳴っている。おそらく、この群れのリーダーなのだろう。ゴブリン・チャンピオンと呼ばれる上位種だ。
チャンピオンは巨大な棍棒を手に、自ら前線へと進み出てきた。
「小賢しい人間め。俺が直々に、その体を叩き潰してくれる!」
チャンピオンが棍棒を振り上げる。その一撃は、城壁すら破壊しかねないほどの威力を秘めているように見えた。
セアランは、真正面からその一撃を迎え撃つつもりらしい。彼は剣を両手で握りしめ、低く構えた。黄金の魔力が、剣先に集中していく。
「これで、決める!」
二つの力が、激しく衝突した。
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