女7人集まれば、何も起きないはずもなく
みなとさがん
その1.同窓会と飛び交う光の矢
その1.同窓会と飛び交う光の矢
この個室の中では見えない無数の矢印が飛び交っている。
そのことに気がついた途端、私は背中にしっとりと汗が滲んできたのを感じた。
空調は十分に効いている。ただ、このアジアンダイニングバー「Amber Lotus(アンバー・ロータス)」の個室ブースの内部の湿度が一分一秒ごとに上昇しているだけだ。
「樟(くぬぎ)さん。大丈夫?さっきから黙ってるみたいだけど」
テーブルを挟んで向かい側に座っていた三善慈廻(みよし・じぜる)さんが私を気遣って話しかけてくれた。
すかさずそれを受けて右隣に座っていた眼鏡の細面の女性が私に注意をむけて顔を覗き込む。
「もしかして、何か注文とかしたいけれども気を使って言い出せずにいましたか?」
「い、いえ!十分楽しんでます。ただちょっと思ったよりもお酒が強いみたいで……」
私は手元のグラスを慌てて引き寄せた。勧められるままに飲んでみたシャンディガフは実際想像していたよりも度数が高めだった。
「ていうかさ、クヌギって呼ぶとドキってなるから別の呼び方してくれない?下の名前、何て言うんだっけ」
そう言って私の肩にボディタッチをしてきたのは左隣の女性だった。こちらは右隣の人とは対照的にふっくらした柔らかみのある上半身に明るい色に染めたカールがかったヘアスタイルをしている。眠そうな厚みのある二重まぶたとぽってりとした唇、やや三白眼がかった瞳の形は直視をするとその色気に当てられるような感触すらある。
「えっと、レンズです。連なる鏡って書いて、『れんず』」
いわゆるキラキラネームなので初対面の人に積極的に名乗るのは気が引けた。だけどもそんな私の不安をものともしないように、話をふってきた色っぽい女性は「レンズ、レンズね」と復唱してからにっこりと向き直る。
「へえ。いい名前じゃない。気に入った。ていうか苗字だけじゃなくて名前もちょっとかぶってるんだ」
「桃瓜(とうり)。そのくらいにしなさい。困ってるでしょう?」
ぐっと顔を寄せてボディタッチの距離を縮めてきた桃瓜と呼ばれた女性を制するように口を出したのは、その向かい側、つまりは私の左手斜向かいに座っていたやや小柄な女性だった。
隣に座っている三善さんと雰囲気が少し似ているが、三善さんがすごく自然で話しやすいタイプとしたらその隣の人は何を話しても否定せずに最後まで聞いてくれる辛抱強さを感じるというふうなところに違いがある。親身な友人と優秀なカウンセラーの違い、と言えば雰囲気の違いがわかってもらいやすいだろうか。服装も三善さんがナチュラルカジュアル風なのに対して、隣の女性はオフィスカジュアル風というか、どこか一線引いたような気品のようなものがあった。
「相変わらず柳音(りゅうと)は固いね~。はいはい、やめますよ。ねえねえ、レンズ。あとで連絡先交換しよ」
「全く。レンズさん。あまり無理はしなくていいですからね」
そこで柳音と呼ばれた女性はちらりと私の右隣にいた眼鏡の女性に目配せをした。斜め方向に走った視線の矢を受け取った眼鏡の女性は飲み物を手にしたまま小さく頷く仕草を返す。
「またまた~。糸織と柳音は目で会話とかしてるし。うちらにもわかる言語で話してくれない?」
そう口を挟んだのは眼鏡の女性の正面。つまりは私から見て右斜向かいにいた人だ。こちらは本当に小柄で肩幅も狭い。おそらく立ち上がっても145cmとかそのくらいの身長しかないだろう。
ショートヘアをオレンジ色に染めており、派手な銀色のピアスを左右に複数つけている(一瞬では何個ついているかわからなかった)。
「通じない言語というなら雨垂(あまた)、あなたの得意分野だと思ったけど」
「通じないなりに言語の種類が違うんじゃない?」
糸織(しおり)と呼ばれた眼鏡の女性がふん、と鼻を鳴らすようにそう言うと乗っかるように軽口をオレンジヘアの雨垂と呼ばれた女性が答えた。
知らない外部の人から見たら一触即発の嫌味合戦か?と思うところだが、「まあイルカとコウモリの会話みたいなものね」と糸織さんが言って雨垂さんが「そうそう」と笑った。周囲の様子からしてもこの二人はいつもこういう感じなのかもしれない。
「ねえ。次の注文したいんだけど、ここってボタン押せばいいの?」
と、唐突に入口側にいたベリーショートヘアの背の高い女性が口を挟んだ。
「永理伊(えりい)、よくわからないからやってくれない?」
「はあ?!なんで私が。自分でやんなよ季果(きか)!」
ベリーショートの季果と呼ばれた女性は常にジト目というか、表情にあまり抑揚がなく考えが読めなさそうなところがある、髪の毛の一部だけをアッシュグレイにしており、なんというか服や持ち物にも独特のセンスを感じる。
一方突然その季果さんに絡まれた入口に近い席の向かい側にいた永理伊と呼ばれた人は逆にかなり表情が豊かだった。ブラウンのヘアはかなり気合が入った手入れがされているのかツヤツヤに光を放っており、凝った編み込みをハーフアップにしつらえている。私からは席が離れていて見えにくかったが、それでもチラチラと手鏡で自分をチェックしているらしいことに気づいていた。
一瞬険悪になりかけた場で、永理伊さんにぐっと身体を寄せてあはは、と大笑いしたのが私の隣の色っぽい桃瓜さんだった。
「いいじゃんか永理伊、顔のいいやつの言う事なら聞くんでしょ?季果なら合格ラインじゃない?」
「はあ?そ、それは顔だけはいい……けど。て!そうじゃないし」
実際季果と呼ばれた人は無表情ながらとても整った顔立ちをしていた。無表情に近いからこそ造形が崩れにくいというのもあるかもしれない。女性にしては肩幅が広めかな、と最初に思ったが薄手のTシャツを通して見ると体脂肪率の低い筋肉質な体型をしていることがわかった。
桃瓜さんは女性的な丸みのある色気があるのに対して、この季果さんは筋肉を極限に近いくらい絞った女性アスリート体型の持つ色気が放たれている。
「まあまあ、季果は何か追加したい注文があるってこと?」
「そう。柳音は話が通じる」
先ほど桃瓜さんのボディタッチを止めてくれた柳音さんが再び仲裁の声を挟んだ。
一瞬喧嘩腰になりかけた永理伊さんも「それでいい?」と柳音さんに確認をとられて大人しく頷いた。この柳音さんという人は態度というか芯のある声音が周囲の人を納得させる不思議な力を持っている。
「じゃあ私がまとめて注文をするから、みんなそれぞれほしいものを挙げてくれる?」
そう言って季果さんの持っていたメニューをテーブルの中心に置いたところで三善さんが私の手に軽く触れた。
「樟……じゃなくて、レンズさん。欲しいものがあったら遠慮しないで言ってね」
「あ、うん。ありがとう。じゃ、同じものをもう一杯……」
と、言って私は手元のグラスに三分の一くらい残っていたシャンディガフを飲み干した。
「それと、注文が来る前に少しお手洗いに行ってくるね」
「うん。迷わないようにね」
私は少し頭を冷やそうと思い、席を立つことにした。部屋を出る前に自分の手荷物を取ろうとテーブルから頭を下げたところ、自分を含めて8人分の足が見えた。
「!」
私は自分の荷物を素早く手に取ると、個室ブースを仕切っているジャラジャラの暖簾を抜けて廊下に出た。
中の人たちから見えない壁の前に移動したところで、私はふうと大きく息を吐く。
テーブルの下で起こっていたこと。
片側では、足先をつんと伸ばすように相手のふくらはぎに絡ませるようにしていた。
もう一方では、膝の上で手を握っていたり、隣の人の膝から下にぴったりと足をつけていたり。
誰が誰に、というのは名前を覚えきれていない今ははっきりわからなかったが、それぞれが見えにくいところで特定の相手との身体的なコンタクトをとっていたということがわかった。わかってしまったのだ。
そうでなくてもそれまでの会話の端々にはどこか艶というか、意味深な含みを持たせているかのような響きがあった。
しかもそれは特定の二人の間だけではなく、上下左右縦横無尽にだ。
私が数回深呼吸をしてようやく気持ちが落ち着いたところで個室ブースにつながる通路から一般客向けの席のあるエリアに向かうと、正面のカウンターの中に健康的な褐色の肌の女性と目があった。
ふふ、と訳ありそうな笑いを向けられて、私は見透かされたかのように二重に恥ずかしい気持ちになってしまった。
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