第10話『一斉配達』

 朝。風は弱い。

 港門の上で旗が白に変わる。

 公証院の机に紙が並ぶ。

 便の一覧。宛先。立会人。

 ミルダが最後の欄に短く記す。

「同時通過、認可」


 広場に人が集まる。

 船は大小合わせて八。

 先頭は小舟二つ。その後に中型が三、最後に荷が重い舟が三。

 全員が看板を一度見る。

 焦げた板。

 字は読める。


「合図は旗。白旗、青線。間隔は短い。詰まったら前が優先」

 俺は図を指す。

「門前で揉めたら、紙を見せる。言葉は少なく。数だけ伝える」

 キサラが袋を叩く。

「風は右から浅く入る。袋は三分の一。舵に頼るな。筋でいく」

 ティノが控えを抱え直す。

「順番は崩さない。途中で拾いはしない。落とさない」


 合図。

 一本目が動く。

 門番台の鐘が軽く鳴る。

 白旗が揺れ、鎖がわずかに下りる。

 二本目、三本目。

 列は静かに流れる。

 検問船が横に出る。

 副官が叫ぶ。

「順番を止めろ」

 門の記録官が答える。

「白旗優先。公証院認可。順番は記録済み」

 声は短い。

 紙が盾になる。


 四本目で風が変わった。

 右が弱く、前が速い。

 筋が揺れる。

 先頭の小舟がわずかに浮く。

 キサラが袋を半分に調整する。

「押さえる。舵、入れすぎない」

 小舟が水平に戻る。

 五本目、六本目。

 列はまだ続く。


 七本目で黒の列が割り込もうとした。

 港務庁の旗。

 副官が紙を持ち上げる。

「新印通達。白旗の優先を中止」

 ミルダが門番台に立ち、光学器具で印影を見る。

「旧印併用の原則に反する。記録官、写しを」

 記録官が筆を走らせる。

「新印単独の通達は保留。白旗優先、続行」

 副官の顔が固くなる。

 列は止まらない。


 最後の一艘。荷は重い。

 蒼針草二十斤と、封書三通。

 舳先が細門の影に入る。

 そこに、空の薄い音。

 飛行兵の影が一つ、門の上を横切る。

 槍は下がっていない。

 だが、鉤縄がちらつく。

 サーシャが門番台で旗を振る。

「門内、優先」

 帝都警護隊の兵が横から入り、飛行兵の進路をずらす。

 鉤縄が空を切る。

 最後の舟が門を抜ける。

 鎖が上がり、白旗が静かに下りる。


 広場に戻ると、拍手ではなく、息が一つに抜けた。

 音は小さいが、長い。

 酒場の親父が笑い、帆織りの女が針をしまう。

 キサラが縄を巻きながら言う。

「やれる。もう一度やれる」

「やる。明日も」

 俺は控えを束ね、公証院の机に置いた。

 紙が冷たい。

 でも、重みは増えた。


 午後。

 幽閉区の小窓が二刻ぶりに開く。

 侍女印の札が滑り出る。

 《受け取った。風棚の合図は止まった。帳簿は内側で照合。》

 短いが、十分だ。

 ミルダがうなずく。

「審問の次回日は明後日。帳簿の写しが出る。押しの癖は逃げない」


 夕刻、港務庁の前に掲示が出た。

 旧印併用。新印の通知遅延の謝辞。

 文は硬い。

 名は一つ、消えていた。

 副長官代理の名。

 サーシャが目を細める。

「停職だろう」

 ティノが小さく息を吐く。

「ざまぁ、でいい?」

「言わない。結果だけでいい」

 看板に手を置く。

 焦げは残るが、板は立つ。


 夜。

 倉庫は人で埋まった。

 縄に砂がつき、帆には針の跡。

 明日の予定を黒板に書く。

 小荷の便を三。重荷の便を一。

 人の名の横に、短い印。

 約束の形だ。


 外で足音。

 扉を開けると、灰の外套。

 メアだ。

 帽子の影から目だけが見える。

「燃えたと聞いた。大丈夫だった」

「看板は残った」

「それならいい。昔の旗は捨てた。仕事は一つ残っている」

 細い箱が足元に置かれる。

「書物だ。宛先は公証院。中身は帳簿の抜け。私は見ていない」

 ティノが眉を寄せる。

「信じていい?」

「信じなくていい。箱は公証院の前で開ける。あなたのやり方で」

 メアは短く笑い、肩をすくめた。

「腹はふくれる?」

「少しだけ」

「少しずつでいい。砂はすぐには動かない」


 扉が閉まる。

 倉の中の灯りが揺れた。

 俺は箱に手を置く。

 重くない。

 でも、噛む。

「明朝、公証院へ」

 ティノがうなずく。

「七時十五分に出す」

「いつも通りだ」


 砂の音は静かだ。

 風は層になる。

 〈風路〉を覗く。

 港から外。外から港。

 筋は太くはないが、途切れていない。

 焦げ跡の前で、板は立っている。

 それで十分だ。

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