トキアのようにはならないよな?

「詳細を伝えないのは、羽澤家の当主との契約もあるのです。特視が羽澤家を調査すること、場合によっては介入すること。それらを認める代わりに羽澤家の人間には、呪いの詳細を伝えないと取り決めをなされました」

「それ、何代前の当主の話だよ」


 快斗が吐き捨てる。航も眉間にしわを寄せていた。緒方は二人の反応を予想していたのか、すぐさま口を開いた。


「何年たとうが、契約は契約です」

「では現当主である私が、詳細を教えなければ今後は一切の協力をしないといったら、教えてくれるのか?」


 響の口から冷たい声が出る。家族間、友人同士では出すことのない、交渉時の声。黙って事の成り行きを見守っていた慎司と鎮が、かすかに目を見開いた。

 緒方は響の顔をじっと見つめてから、挑むような口調で告げた。


「でしたら私どもは、今後一切、あなた方に協力しません。あなた方は呪われてはいますが、呪いに関する知識は乏しい。我々の協力なくして、対処できますか?」

「それは脅しか?」

「お互い様でしょう」


 緒方の目は真っ直ぐに響を見つめている。絶対に引かないと目だけで訴えかけてくる様子に、響はため息をついた。


「何も知らず、何も考えず、黙って従えと言っているのか?」

「……ご理解ください。世の中には知らない方が幸せなこともある」


 緒方はそういうと目を伏せる。それは今日初めて見せた、本音のように見えた。


「私どもも全て明かさずというのは、あまりにも不義理だと思っています。ので、羽澤家の現状についての推察はお伝えします」

 緒方はそう言うとこの場にいる人間の顔を、順番に見つめる。


「羽澤家にかけられた呪いは、だんだん化け物になる呪い。この化け物というのは、我々の定義で言うと外レ者と呼ばれるものです」

「外レ者?」


 聞き馴染みのない単語に快斗が眉をよせた。言葉の詳細は分からないのに、単語を聞くだけでなぜだか不安な気持ちになる。


「外レ者とは、人の姿をとりながら、人とは別の理で生きるもの。人間という枠組みから外レた者。ここにいる皆様はご覧になったことがあるでしょう。人間が化け物になる瞬間を」


 数十年前のことを、この場にいる全員が否応なしに思い出した。暗い森の中、か細い月明かりを浴びて笑う少年。その額からは禍々しい角が生えていた。

 誰かがツバを込みこむ音がする。もしかしたら自分のものかもしれないと、響は震える手を押さえつけながら思う。


「素質、執着、切っ掛け。この三つがそろうと人は外レます。この条件のうち、一番そろえるのが難しいものが素質。羽澤家の人間は魔女の呪いにより、この素質を生まれながらに持っている」

「ってことは、羽澤家の人間はみんな、化け物になる可能性があるってことか!?」


 快斗が勢いよく立ち上がる。テーブルに体をぶつけた音がしたが、そんなことに構いもせず、緒方を怒りのこもった目で睨みつける。

 その目を受け止めた緒方はゆっくり頷いた。


「呪いが解ける前は、双子の上が外レる呪いと限定されていました。素質がそろおうとも、双子の上以外が外レる例は稀でした。ですが、呪いは解けてしまった。双子の上という条件がなくなったのです」


 沈痛な面持ちの緒方を見て、事態の深刻さに気づいた。


「……どうなるんだ……我々は……」

「双子の上にかけられた呪いというの認識の強い、響様方の世代は抑止力があります。ですが、呪いが解けてから生まれた世代、双子の上が呪われるという認識が薄い世代は……」

 緒方はそこで言葉を区切ると、絞り出したような重たい声を出した。


「ちょっとした切っ掛けで外レる可能性があります」


 快斗がふらふらとソファに座り込んだ。「嘘だろ」とつぶやく顔は青い。快斗も今は親だ。自分の子供が化け物になる可能性は受け入れがたいのだと、その態度が語っていた。


「それで君たちはどうするつもりなんだ。まさか、無策とは言わないだろう」


 鋭い声が航から発せられる。顔を見れば、これから戦いに挑む戦士のように険しい顔で、航は緒方を睨みつけていた。

 羽澤家から離れてから、穏やかな表情をすることが多かった兄の姿を見て、響は気を引き締める。航と同じように一歩も引かないという意志を込めて緒方を見つめる。緒方もまた、真っ向から航と響の視線を受け止めた。


「羽澤家の呪いは解けたという認識を広めるのと同時、呪いの範囲を狭めます。たとえば、魔女に呪われた人間しか呪われないなど」

「……今、羽澤家に魔女はいない」

「ですから、新たに呪われる人間は居ない。羽澤家は呪われていない。そう強く主張してください。特に若い世代。双子の呪いも、リン様の存在も知らない世代に」


 子供だましの屁理屈だ。だが、専門家がいうのだから、他に方法はないのだろう。

 響は額に手を置き、大きく息を吐いた。


「申し訳ないですが、羽澤家の監視は強化いたします。呪われた血を色濃く継いだ人間、響様、航様、快斗様のご子息は特に」

「……それで俺の子が化け物にならないっていうなら、いくらでもやってくれ」


 快斗は疲れた声で、投げやりに言い放った。監視されるだけで可能性が消えるなら、化物になるよりはよほどマシだ。そう思っているのが伝わってくる。

 緒方から響、航に確認するような視線が向けられた。響と航は同意を込めて頷く。気持ちは快斗と同じだった。


「常に張り付ければいいのですが、我々も人員不足。皆様方の協力もお願いします。気になることがあったらすぐに特視に連絡をください。羽澤内でも共有をお願いします」

「どう共有しろっていうんだよ? 何かに執着すると、人間じゃなくなるかもしれねえから、気をつけろって?」

 快斗が鼻で笑う。その態度はいつになく皮肉げで、現状に疲れているように見えた。


「……方法はこちらでも考えます。とにかく注意深く、お子さんたちの様子を見てください。多感な子どもは大人より外レやすいと統計が出ています」


 緒方の言葉に航と快斗は背筋を伸ばした。これからやるべき事を考えているのだろう。

 響も考えなければならない。当主という立場なのだから、二人よりももっと責任が重い。一族全体のことを考え、行動に移せるのは響だけだ。

 そう頭では理解しているのに、口から出たのは別の言葉だった。


「夷月は大丈夫なのか?」


 夷月は幼い頃よりもどこか、普通の子供からズレていた。年相応というには冷めていて、大人の響でも驚くような冷静さを見せるところもあった。

 そういう子供を響は前にも見たことがある。


「トキアのようにはならないよな?」


 声は震えていた。気づけば周囲の視線が集まっている。響はあえて緒方だけをじっと見つめた。兄たち、部下が浮かべる表情に、同情やいたわりが含まれているのが嫌だった。

 訳の分からないまま居なくなってしまったトキアと、夷月が同じ道をたどるかもしれない。そんな可能性を考えるのも嫌であったし、周囲が同じ事を考えていると認識するのも嫌だった。周囲もそうだということは、それは響の考えすぎではないということだ。


 否定して欲しい。そういう気持ちで響はじっと緒方を見つめる。膝の上に置いた手は恐怖と不安で震えていた。そんな響を見つめて、緒方は今日初めて見せる、決意のこもった顔をした。


「この俺が、いや、俺たちが全力で防ぐ」

 仕事の顔を崩さなかった緒方が見せる友人としての言葉に、響は少しだけ安堵を覚えた。

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