第27話 作戦会議
陽光が差し込む冒険者ギルド。
重たい扉を押し開けて執務室に戻ると、広げられた資料を見下ろす三人の姿があった。知性と熱の籠った議論が交わされている。
シオンは部屋の奥へ進み、割り込むように声を上げた。
「戻った」
淡白な言葉に、ジル、ドラン、ギルマスが同時に視線を向ける。
そして、その背後に静かに佇むシルフィを見た瞬間――空気がわずかに揺れた。
一瞬、誰もが息を呑む。
「……三人で戻ってくると思ってたぜ」
「ええ、お帰りなさい。フレア、シオン君――そして、シルフィさん」
ドランとギルマスの顔が綻ぶ。
その表情は驚きよりも、信頼が滲んでいた。
だがその中で、ジルだけは微動だにしなかった。
ただ一人、表情を変えずに、淡々とシルフィを見据えている。
驚きも喜びも、労わりすらない。
その眼差しには、読み取れない何かが沈んでいた。
気恥ずかしさをごまかすように、シルフィは前に出た。
「……あんなこと言って部屋を出た手前、すごく言いにくいけど――私を、助けてほしい。一緒に魔族と戦ってほしい」
その言葉を受け取ったのは、ドランでもギルマスでもない。
静かに、だが硬い声が室内に落ちる。
「……無事で何よりだ」
ジルだった。
ただ一言。
やはりその声音には、温度がなかった。
シルフィは一瞬まばたきをして、小さく「ありがとう」と呟いた。
ギルマスが優しさに満ちた笑みで、声をかける。
「フレアもありがとう。あなたが追いかけてくれていなかったら、我々は大切なものを見失うところでした」
「そんな……私は、何も――」
「謙遜すんなって。フレアが追いかけなかったら、俺と会うこともなかっただろ?」
フレアは一瞬ぽかんとしたあと、ふっと笑った。
その笑顔につられて、部屋の緊張がゆっくりとほどけていく。
ギルマスが軽く咳払いをして、改まった声を出した。
「では――作戦会議といきましょうか」
テーブルの上に広げられた資料には、《幻月》のオリオパトラの情報がまとめられていた。魔法、攻撃、会話、習性――シオンの記憶がそっくりそのまま紙に書き留められている。
「警戒すべきは、今もシルフィさんを狙っているであろう、《幻月》のオリオパトラです」
「オリオパトラの特徴は、強力な幻惑魔法なんだろ? 敵の意識を惑わせ、仲間同士を争わせる――これを対策しなきゃ、俺たち一網打尽だ」
ドランは眉間にしわを寄せて、資料の端に指を置いた。
紙面の隅には、淡い筆跡で書かれた一文――『森を覆うほどの幻惑魔法』。
「そういえばヤツは、結界と言っていた」
シオンの言葉に、誰かが小さく唸りを漏らした。
「結界魔法……一定範囲を魔法の影響下に置く魔法でしたね」
「我々だけなら魔道具である程度の耐性を張れるが、街全体に影響が及ぶとなれば――」
「一応、近くの魔道具店や工房に連絡してみますが、完全な防御は難しいでしょう」
重たい沈黙が落ちる。
誰もが現実的な対策を探そうとする一方で、決定打がないことを悟っていた。
そんな中、シオンは小さく息を吸い、言葉を挟んだ。
「……だが、結界魔法がそんな簡単に使えるだろうか?」
「シオン君、それはどういう意味ですか?」
ギルマスの鋭い視線が突き刺さる。
シオンは一拍置いて、慎重に言葉を紡いだ。
「これはあくまで推測だが――広範囲を幻惑状態にする結界、あれは俺が見てきた中でも最上位の魔法だ。 それを、魔将級の魔族が何の代償もなく発動できるとは思えない」
《幻月》。
二文字の異名を持つ魔族は、最下位の魔将級。
その言葉に、場の空気がわずかに揺れた。
理屈ではなく、肌で感じた異常を根拠に語る彼の声に、誰も軽々しく口を挟めない。
沈黙を破ったのは、シルフィだった。
「……確かに。私の故郷を滅ぼした《黄金の血王》もそうだった。クレスタ王国を黄金に染めるために――多くの生贄を代償にしたって、聞いた」
彼女の声は静かで、それでいて冷たく澄んでいた。
記憶の奥に刻まれた絶望が、言葉の端々に滲んでいる。
「つまり、《幻月》は何かを代償にして結界を発動していたと、シオン殿は言いたいんだな?」
「ああ」
短い返答。
だが、その一音に、確信が宿っていた。
「……それなら、代償とは何でしょう?」
「俺の推測が正しければ――それは、“月”だ」
「月?」
「あの魔族は、月の光に影響を受けていた」
シオンが指さした資料には――『月光下で不可解な回避行動を確認』と記されていた。
「……つまり、夜でなければ結界を発動できない可能性がある、ということか」
「希望的な観測だ――だが、あり得ない話じゃない」
シオンの言葉で、緩みかけた空気が再び張りつめる。
誰もが、わずかな希望と不安の狭間で息を呑んでいた。
「ずっと疑問に思ってたんだけど――」
シルフィが静かに切り出す。
「どうして、最初からこの街全体に幻惑魔法をかけなかったの?」
その言葉を、誰もすぐには返せなかった。
「私をダンジョンにおびき出して、シオンを森に閉じ込めて……そんな回りくどいことをしなくても、街に直接幻惑をかければ一瞬で終わったはず。なのにどうして、そんな手間をかけたの?」
「確かにな」
ドランが腕を組み、唸るように頷いた。
単なる嗜虐や遊び心では説明がつかない。
オリオパトラの結界には、夜だけではない。もっと別の条件がある。
「……並んだ情報だけでは、分からないことだらけですね。今なら、森そのものに仕掛けが残っている可能性が高い 」
ギルマスが資料から顔を上げ、静かに言葉を継いだ。
「ドラン、森へ調査に向かってもらえますか? ――そこに、ヒントが残っているはずです」
「分かったぜ」
短い返答とともに、ドランが踵を返す。
その足音が石床を叩き、室内に緊張が戻る。
「おっと、お前らは付いてくんなよ?」
「いや、ここで何もしないわけには――」
「ドランの言う通りです」
ギルマスの低い声が割って入った。
柔らかくも、有無を言わせぬ響き。
「今は、休んでください。シオン君、ジルさん、シルフィさんの三人は連戦が続いています」
「……了解」
シオンは息を整え、静かに頷いた。
ほかの二人も納得したように目を伏せ、ドランの背を見送る。
それぞれの役割が、ようやく定まっていく。
ギルマスはゆっくりと顔を上げ、落ち着いた声で続けた。
「フレアには手伝ってほしいことがあります。街の警備を強化し、魔法の痕跡がないか――冒険者たちに調査を依頼してください」
「分かりました」
フレアは手短に答え、軽く頭を下げてから足早に部屋を出ていった。
「何かわかったら、すぐに連絡します。街から外出しなければ、自由にしていてかまいません――繰り返し言いますが、ゆっくり休んでくださいね」
ギルマスはそれだけ告げると、フレアの背を追って静かに扉を閉めた。
残されたのは、シオン、シルフィ、ジルの三人。
執務室に静寂が戻る。
昼の光が窓から差し込み、書類の影を長く伸ばしていた。
意図せず訪れた休息。
魔族と戦い、シルフィを助ける――数刻前に誓った覚悟が、行き場を失ったまま体の熱を奪っていく。
そんな中、最初に動いたのはジルだった。
「私は武器の手入れでもしておこう。それでは、また」
言葉を残し、彼女は静かに立ち去った。
重たい扉が閉まり、部屋には二人分の呼吸だけが残る。
頭の中は、あまりに速く過ぎていった出来事を整理しきれずにいる。
今はただ、呼吸を整える時間がほしかった。
喋らず、それでいて気まずさはない。
そんな静かな充実が流れはじめて、どれほどの時間がたっただろう。
やがて、シルフィがゆっくりと口を開く。
「シオン、ご飯食べない?」
「……そうだな。そういえば、昨日から何も食べてない」
それ以上の言葉はなかった。
二人は並んで部屋を出る。
久しぶりに訪れた、ほんの少しの日常。
その温かさを、静かに噛みしめながら。
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