第5話 再会
「真っ赤だで、顔。大丈夫か?」
「いや……結構ヤバいかも」
ふらつきながら脱衣所に入ってきた盃都の服を素早く脱がせて浴室の椅子に座らせると、春如は盃都の頭に冷水シャワーをかけた。ぼうっとしている盃都をよそに春如は頭を洗ってくれていた。泡を洗い流すためにかけられた冷水が心地良く目を閉じたままの盃都に春如は尋ねる。
「作業着着て、どこさ行ってたんだ?」
「じいちゃんの田んぼ行こうと思って」
「姿見えねがったど?」
「うん、迷った──というか、暑すぎて、辿り着けなかった……」
「バカけ」
春如と話しているうちに、徐々に体力が回復してきた盃都は自分で体を洗いながら、浴室のドア越しに脱衣所にいる春如に話しかける。
「さっき途中まで休憩中の警察官に車で送ってもらったんだ」
「誰だば?」
「梅澤って言ってた」
「──ああ、大阪から来たじが」
「多分その人、コテコテの関西弁喋ってた」
警察官という言葉を聞いてドア越しにでも伝わるほど春如が息を張り詰めたのが分かった。だが、警察官の名前を聞いて安堵のため息をついたのもシャワーを停めていたいたため浴室に聞こえてきた。
梅澤と会った時、名乗ったわけではない。どこかで春如が梅澤と会ったときに孫が警察にある意味お世話になったことを知らないのも良くないのかな──と思い正直に話した盃都。それくらい土地は広いが世間は狭いのがこの田舎の特徴である。
風呂から上がると、着替えが用意されていた。春如が昨日洗濯した盃都の下着を置いてくれたのだろう。春如も歳なのに何から何まで世話させてしまって申し訳ないな──と思いつつこういう配慮ができるあたり、仕事ができる人間なんだろうなと勝手に自分の祖父を評価したりしていた。
──俺は絶対そこまで気が回らない。
居間に向かうとテーブルに麦茶が置かれていた。氷が入ったグラスは室温とグラス内の温度差に汗をかいていた。これも盃都のために春如が置いてくれたのだろう。そのグラスの中身を一気飲みしたところで春如が入ってくる。
「どうだ?少しは回復したが?」
「うん、じいちゃんのおかげで。ありがとう」
春如の格好を見ると、外行の格好をしていた。スラックスに開襟シャツ。髪の毛は綺麗に撫でつけられていて、普段している防水のデジタル時計ではなく、銀婚式の記念に買ったという祖母とお揃いのシルバーの腕時計をしていた。
「じいちゃん、デート?」
「バカ言うなじゃ」
「だよね、ばあちゃん一筋だもんね、じいちゃんは」
盃都にそう言われて照れくさそうにしている春如。
「飲み会だ。部落の。おめ来てるから、断るつもりであったばって」
「いやいやいや、行った方がいいって。行かなきゃ行かないでうるさいんじゃない?太田の婆さんとか。家まで呼びにくるよあの人」
「んだったって。めんどくせばばっこばし生き残ってな」
太田の婆さん──この近所に住む仕切りたがり屋の婆さんだ。どこの田舎にも必ず一人はいるだろう。そしてどこの世界も憎まれっ子世に憚るのだ。それを体現しているかのような人が太田の婆さんである。
盃都も何度か会ったことがある。前回は春如の家で偶然近所の人が同時に訪ねてきて流れで共にご飯を食べている時だった。自分だけ呼ばれていないと後日文句を言いにわざわざ家まで来たのだ。嫌がらせのようなことはしないが、とにかくお喋りなのだ。有る事無い事喋る年寄り。きっと現代の言葉では老害というのだろう。
春如を送り出した後、盃都は手持ち無沙汰になった。そして一人になると思い出すのは、
盃都は元々考えることは嫌いではない。どうせ考えるなら事実を元に考えるのが向いている。お気持ちだけでは盃都は意味がない──と思っている。特にこのような事件に関しては。
──動機にはお気持ちが含まれるかもしれないが、実行部分については客観的な説明がつくはず。
そう思っていると居ても立っても居られなかった。気づけば図書館にいた。
田舎にしては立派な図書館だ。地元の名士たちがお金を出し合って作ったらしい。たまにはプライドもいい仕事をするもんだ──と、田舎に似つかわしくない現代的な建物を見て思った。中も立派だ。
盃都はこの建物を見物しに来たのではない。例の事件について、田舎の広報誌など地元のデータ化されていない記事を探してここへ辿り着いたのだ。田舎の図書館は人がいない印象を勝手に抱いていた盃都だったが、館内に入ると思ったより人がいて驚く。
そこらへんにあるテーブルで資料を広げて見るには人の目がありすぎる。どこの席を取ろうか辺りを見回すと“個室自習室”という張り紙が目に入った。
──念には念を。
そう思い受付で予約を済ませてから過去の広報誌が置かれている棚へ向かった。
先客がいた。どこか見たことがあるような人物だ。ボブカットにキャップを被り、半袖とショートパンツの女性。盃都は知らないふりをして目当ての広報誌を探す。その人物は近くに来た盃都を見て声を上げる。
「あ!さっきの!」
涼みに来たのか居眠りに来たのかわからない年寄りと夏休みで自習中の学生しかいない昼間の図書館に彼女の声が響き渡る。棚の周囲に人はおらず注目の的になるのを免れたが、噂好きの田舎者たちが近寄ってきて見つかるのも時間の問題だ。盃都はその女性が消えるまで別の棚を見ていようと踵を返すが袖を掴まれる。
「ねえ、さっきも会った人だよね?」
「……人違いじゃないですか?」
「嘘。絶対君だよ。さっき池で会った。さっきは変な格好してたけど着替えて来たの?」
どうやらこの女性の記憶力はかなり良い方らしい。人の顔を覚えるのが苦手な盃都とは真逆にいるような人間だ。
──関わり合いになりたくない。
そう思ったのが盃都の顔に出たらしい。
「うわ、今帰りたいって思ったでしょ?」
「そう思うなら関わらないでもらえますか?」
「何よ、私のことストーキングしたくせに」
「……は?」
「だってそうでしょ?あの池で会って、その日のうちに図書館で会うんだよ?さっきは帰る時、私のことやらしい目で見てったし」
最後の言葉に引っかかった盃都。確かに今日、彼女に二度会った。しかしいやらしい目で見たことは一度もない。彼女が何かを勘違いしていると思った盃都はすぐさま彼女の意見を否定する。
「いやらしい目?自意識過剰じゃないですか?俺、アンタみたいなおしゃべり女は全く好みじゃないんですけど」
「ちょっとどういうことよソレ!」
彼女の声のボリュームが上がった時、丁度人が通りかかり、唇に人差し指を当てる仕草をされる。それを見た彼女は小声で盃都に文句を垂れるが、盃都は気にせず広報誌をいくつか取って先程予約した個室へと向かう。
彼女がついて来る。痺れを切らした盃都は部屋の前で立ち止まり、彼女の方を振り返った。
「ストーカーはどっちですか?」
「それ、私も探してたんだけど」
彼女は盃都が持っている広報誌を指差した。
「読み終わったら渡しますね」
「今読みたい」
広報誌を指差してむくれる彼女。盃都は目の前の女性が自分よりも歳下のように見えてきた。だが先程車を運転していたとなるとおそらく歳上だろう。
──こんなに幼い歳上など尚更趣味じゃない。
盃都は失礼なことを思いながらため息をついた。引き下がりそうにない彼女の姿勢に根負けした盃都は提案する。
「一緒に見ますか?」
「いいの?ラッキー」
そう言って彼女は盃都より先に部屋へ入って行った。呆れてものも言えない盃都は後から無言で部屋に入り扉を閉めた。
室内は狭く10平米程度。片面が壁につけられたテーブルに椅子が3つ配置されている。彼女が座っている向いの椅子に腰掛けると彼女は隣の椅子に移動して来た。
「……なんですか?」
「何って、一緒に見ようって言ったの君じゃん」
「そういう意味じゃないです。そこに違う号の広報誌ありますよね?俺がこれ読んでる間に別の号読めばいいじゃないですか」
警戒心のない彼女の行動に思わず眉間に皺がよった。嫌悪というより困惑と言った方が正しいだろう。
──何考えてんだ?
盃都は目の前の女の行動が読めない。
「君、さっき
桜太の名前が出てくるとは思わず固まる盃都。春如の言っていた言葉を思い出す。
“あの事件には何か得体の知れない力が裏で動いてる。絶対に関わるな調べるな”
現在進行形で調べようとしているが、このことを誰かに明かすつもりはない。自分がいまだに信じられない桜太の死を受け入れるために自己満のためにやることだ。他人にそれをわざわざ明かす必要はない。
──誰にも話していないのに何でこの人は知ってるんだ?じいちゃんが言ったように、誰かに監視されている?
不安と疑問が立ち込めてくる中、なけなしの虚勢を張ってみる盃都。
「そういう貴方はなぜあそこに居たんですか?わざわざ都会からこんな田舎まで来て。丁度2年前の広報誌なんか読んで何をしようとしてるんですか?」
強めの言葉に語気をやや強めに乗せて言い放った盃都。覚悟して危ない事件について知ろうとしている時に、得体の知れない女に周囲を彷徨かれては気が散る。
──ただ好奇心で来ているのならウザい以外の何者でもない。
この場から追い払う意味で盃都は言ったが、彼女には全く響いていなかった。それどころか彼女の目は希望に満ち溢れワクワクしているようだった。
「どうして私が都会から来たって分かったの??」
興奮気味に聞いてくる彼女に思わず引いてしまう盃都。
「……田舎の人はそんな格好で山や田んぼに行かないですよ。あそこ蛇出ますしマダニに噛まれでもしたら大変です」
「マジ?!」
「なんならクマも出ます」
「嘘でしょ?!そんな危険な場所に女性を置き去りにしてったの?!」
「アンタが勝手にレンタカー借りて乗り込んで来たんだろ?この田舎について予備知識もなく無計画な状態で。さっさと帰ってくれ。アンタがやろうとしてることは死者への冒涜だ。俺はアンタと違って遊びじゃないんだ」
少し言いすぎたと思った盃都だが、この女にはそれくらい言わないと引き下がらないと思った。今まで女性に強く当たるなどしたことがなかったが、彼女の行動が桜太を侮辱しているような気がして我慢ならなかった。言葉を荒げていなかったが、盃都は内に秘めた負の感情を言葉に乗せて吐き出した。詰まるところ、彼女に当たったのだ。
桜太の死を受け入れられない自分が産んだ負の感情。まるで感情をコントロールできていない、機嫌を自分で取れない子供のようだと自分を惨めに思えてきた盃都は下唇を噛み締めた。
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