第4話 出会い
あの事件に関わるな──と暗に
せめて仏壇かお墓に手を合わせようと思った。だが、
地図で場所を確認した時、周りには田んぼと山しかなかった。念の為、田んぼを手伝いに行く格好で来て正解だった。溜め池がある丘への道は盃都の膝の高さまでの草が生い茂っている。アブやハチが飛んでいる音もする。上の溜め池から流れる水の音なのか、他の水源から用水路に流れる水の音なのか、地図によると近くに川や沢はないはずだが、近くを水が流れる音がする。
もう少し進むとやや広い溜め池と、その横に納屋が見えた。蔦の葉が絡まり周囲は草が生えていて、少なくとも新緑の季節を迎えてからは誰も納屋に近寄っていないことがわかる。
ここまでの道に轍があったのは、おそらく田んぼへの引水のために、地域の管理者が定期的にバルブの調整に来ているのだろう。そんなことを思いながら、盃都は家を出る時に読んだ記事を思い出す。
ニュース記事によると──
盃都は持ってきたリンドウを池に投げ入れ、黙祷した。人生で最も長い黙祷だったかもしれない。本当はもっと手を合わせているつもりだった。だが辞めざるを得なかった。
車のエンジン音と共にタイヤが砂利を踏む音が聞こえた。丘の上の部分にある溜め池は平坦に広がる田んぼの畦道から登って来なければならない。丘自体に登るには丘が高すぎて何度か折り返して平地から丘までの道を複数走らせる作りだったことを考えると、音が聞こえるということは割と近くに車が来ていることがわかる。一番下の道を走る音は上まで聞こえない。
徐々に車の音が近くなり、まもなく見えてきたのは黒い軽自動車だった。“わ”ナンバー。車は直進して草むらに止まった。轍がそこで止まっているのだ。
──いつもそこに車を停めている人か?なんでレンタカー?ここに点検にくる地元の管理者か?
盃都の頭の中に疑問が浮かんでくる中、運転席から人が降りてくる。盃都は今朝、春如から聞いたこの町に蠢く謎の勢力のことを思い出し若干構えてしまう。だが隠れる場所がどこにもないため立ち尽くすことしかできない。
降りてきた人物は黒いキャップに黒髪のボブカット、身長は盃都とそれほど変わらなそうだ。おそらく女性。歳は若い。二十歳そこそこか。ショートパンツに半袖。足元は見えないが長靴を履いているようには見えない。
盃都はすぐにわかった。この女性は都会から来たよそ者だ──と。一気に力が抜けた。
女性は盃都を視界にとらえるとゆっくりと歩み寄ってくる。
「こんにちは。何してるの?こんなとこで」
「溜め池を見に来ました。あなたは?」
「私も、見に来た」
警戒気味の盃都とは程遠い、見た目も言動もラフな女性は怯える様子もなくキョロキョロと周りを見渡し、池の横にある納屋に目をつけた。
「あそこにはどうやって行くの?」
「……さあ?」
──俺に聞かれても困る。それこそ、こっちが知りたい。
目の前の女性がどんどん不審者に見えてきたため、盃都はお暇することにした。無言で立ち去ろうとすると、女性から声がかかる。
「どこ行くの?」
「家に帰る。あなたもさっさと帰ったほうがいいですよ」
盃都は彼女の格好を上から下へと一瞥しながらそう伝え、その場を後にした。
畦道を歩いてる途中、車が後ろから追いかけてくることはなかった。あの女性は盃都が田んぼのエリアから出るまではまだあの場所にいたとうことだ。盃都はますますあの池で出会った女性が不審者に思えてきて鳥肌が立った。
──あれは本当に生きた人間だったか?もしかして、あの納屋で死んだ洞牡丹の幽霊?
夏らしい妄想が何度も頭の中に浮かんでは消えてった。そのまま帰るのも不安だったため、春如の姿を求めて畦道を歩く。
先ほどの溜め池がある場所から見える田んぼには春如が乗っているいつもの軽トラも春如の姿も見えなかった。あの池がある丘からはそれなりのエリアの田んぼを見渡せる。春如はいくつか田んぼを持っているが、先ほど見えなかったということは別のエリアにいるということだ。過去に手伝いで回った田んぼの場所を思い出しながら盃都は春如を探した。
探し歩いてからかれこれ40分ほどは経っていた。飲み物を持ってきていなかったため、喉がカラカラだった。どこかの建設現場の仮説事務所の横に自販機を見つける。やっと水かお茶で喉を潤せる──そう思った。
期待が昂る中自販機を見ると、水やお茶、清涼飲料水は全て売り切れだった。残っているのは甘い缶コーヒー。ラベルを見るだけで喉が渇いてくる感じがした。項垂れていると、いつの間にか道路脇にパトカーが止まっている。中から人が降りてきてこちらにやって来た。
──この辺で何かあったのか?
田舎の警察がわざわざパトカーから降りてくるということは、知り合いを見つけたか何かそこにある時だ。盃都は呆然と警察官の方を見ていると、どんどんこちらに近づいてくるではないか。周囲を見渡すが人っこ一人いない。
──もしかして自分に声をかけにきているのか?
そう思った途端に盃都は嫌な汗がダラダラと流れ始める気がした。
「アンタ、こんなところで何してん?」
「お、俺ですか?」
「そう。アンタに聞いてる。藤田建設の者やないね?どこのもんや?こんなところで何してん?」
──これがいわゆる職務質問というやつか?
初めての体験のわりに冷静な盃都は、先ほどまで焦っていたことなど忘れてしまったようだ。
「どこって、夏休みで爺ちゃん家に来てて──田んぼの手伝いをしようと思って来たんですけど、思ったより暑くて。自販機が見えたので飲み物を求めてここに」
盃都の言葉に嘘偽りはない。警察官は盃都の格好を見て本当に手伝いに来た都会の子供であると悟った。何故なら目の前の青年はこの地域には珍しく標準語をしゃべり、この昼間に田んぼへ出向く格好をして、乗り物にも乗らずに建設現場という辺鄙な場所にいるからだ。
田舎の人間は免許を持っていない学生は歩けど、基本的には車移動をする。5分先の場所にさえ車で行く始末だ。その上、ここら辺の人間は昼間は暑すぎて農作業をしない。田畑に人がいるのは早朝か夕方だ。熱中症で搬送される老人が後を絶たなかったため、警察官がこうしてパトロール中に声掛けをすることで昼に作業をする人は減った。警察にはなるべく目をつけられたくないのはどこの人間も同じだ。
しかし盃都は堂々とサイズの合っていない大きいつなぎの作業服に長靴にキャップと、首に白いタオルを詰めて、熱中症寸前であろう真っ赤な顔で歩いている。そんな格好で休日であろう建設現場のプレハブ前にいれば怪しまれて当然だ。
警察官は盃都の言葉を半信半疑で受け止めつつも、ダラダラと汗を垂らし必死に袖で汗を拭いながら真っ赤な顔をしている目の前の青年を見て思わず笑ってしまう。盃都は自分が何故笑われているのか暑さも相まって理解が追いつかなかった。キョトンとした顔で警察官を見ていると、警察官は帽子を脱いで軽く頭を下げた。
「疑ぉて悪かってんな。自分が不審者ちゃうことはもうわかってん」
「はぁ」
「ここは前から問題がある土地や。悪い若者が出入りしとるっちゅう噂もある。あんまり近づかん方がええで」
「そうなんですか」
警察官の顔を良く見ると、ここら辺では見かけないような顔だった。盃都はこの地域の人間に詳しいわけではないが、目の前の男が話しているのはこの地域の言葉ではないことはわかる。
──歳は30半ばくらいか?
顔に皺はないが、20代よりは肌に年気が入っていて貫禄がある雰囲気だ。こんがり日焼けした顔には目尻の横に白い線ができている。サングラスか何かの日焼けの跡だろうか。髪は短く切り揃えてあり、いかにも警察官という感じだ。
彼の後ろに停めてあるパトカーの方を見るが誰の姿もない。
──警察官が一人でパトロールすることなんてあるのか?
盃都が住む東京ではいつも2人1組で警らしている警察官とすれ違う。目の前の警察官は盃都の心を読んだかのように白い歯を覗かせて笑う。
「パトロール中やないから相棒はおらへんよ。休憩中。そこのコンビニに飯買いに行こ思うてな」
盃都の視線から思っていることを察したらしい。ならば話が早いと思い、盃都は少し図々しいお願いを思いついた。
「コンビニって、あの橋超えた方のですか?」
「そうやで?」
「じゃあ、同じコンビニに俺を乗せてってもらえませんか?もう暑くて死にそうです」
警察官は突拍子もない図々しい盃都のお願いに大笑いしたあと、快諾してくれた。
盃都は後ろに乗り込もうとした。しかし、助手席の方がクーラーが当たる──と言われてすぐ前の席に乗り込んだ。パトカーはゆっくりと発車する。おそらく関西弁であろう言葉を喋る男の警察官は
「それにしても自分、どっから来たん?」
「東京です」
「は〜わざわざ遠いところから」
「大阪よりは近いですよ。あなたはなんでこんな東北のど田舎に来たんですか?もしかして飛ばされたんですか?」
「失礼やなお前!」
「え、違うんですか?もしかして警察官って配属先は全国なんですか?各都道府県で管轄されてる地方公務員じゃないんですか?」
「はー、最近のガキは警察の配属まで知っとるんか。俺がガキの頃は興味すら無かったでそんなん」
どうやら図星らしい反応で盃都は思わず笑ってしまう。失礼かな──と思ったが梅澤は特に気にもしていない様子だ。他愛もない話をしているとコンビニまで着いた。盃都は御礼を言って車を降りる。飲み物を二本買ってそのうちの一本を梅澤に渡した。
「なんや?」
「ここまで送っていただいた御礼です」
「ええてそんなん!気にせんといて!むしろこないなのは貰われへんわ、一応公務員やさかい」
「……でも今、休憩中ですよね?一般人同士の助け合いってことで、貰っても何も言われないと思いますけど」
「気持ちは嬉しいんやけど──」
盃都は梅澤の視線が飲み物のシールに行ったのを見逃さなかった。先ほどの車には同じシールが3枚、運転席のホルスターに貼ってあった。おそらく貰いたいのは山々だろう。田舎という誰にいつ見られているかわからない環境で、制服を着た状態で市民から物を受け取るのは拒まざるを得ない──と盃都は予測をつけた。
「集めてるんですよね?このシール。俺が持っててもゴミになるだけなので、どうぞ」
そう言ってボトルから剥がしたシールを梅澤の服に貼り付けた盃都。このシールで何かが当選したとしても、何か利益が出たとしても誰も知る由がない。梅澤は貼り付けられたシールを見て苦笑いをする。
「ボウズ、家まで送ったろか?」
「気持ちはとてもありがたいのですが、田舎だと誰が何を見てどんな噂を立てるかわかりませんからね、ここまでにしておきます。ありがとうございました」
盃都は一礼してコンビニを後にした。その後ろ姿を見て梅澤は呟く。
「俺よりこの田舎のことわかっとるんやな──」
パトカーに乗り込んだ梅澤は先ほど盃都に押し付けられたシールのQRコードをスマホで読み込んで見ると、スマホの画面にクラッカーが開くアニメーションが流れた。
「ラッキーボーイかアイツ」
こんな時に限って当選してしまう悪運なのか強運なのか、タイミングが良いのか悪いのか。引き換えて後日あの青年に当たった景品を渡した方が良いのか。など梅澤は1人悶々と考ながら警察署に戻った。
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