第2話 田舎の夏


 夏に成人式を行う地域。なぜ夏なのかは誰にもわからない──雪深い街だからとか、冬は帰ってこられない場所だからとか、お盆のお墓参りや夏のお祭りなど夏しかイベントがない地域だからとか。色々言われるが結局どれが理由なのかは誰も分かっていない。


 その地域では今年の夏も成人式が開かれていた。もちろん、今年成人するこのエリア出身の若者が集まっていた。田舎だからそれほど多い訳ではないが、この場に集まった全員が全て顔見知りという訳でもない。むしろ、誰だかわからない方が大半だ。それくらいの規模で地域の高校中学校の出身の同期が一堂に会す。

 

 

 その場には盃都はいど松子しょうこの姿もあった。何故彼らがこの地域の成人式に参加しているのかは後で詳しく伝えるとしよう。

 今、注目してもらいたいのはこの二人ではない。とある“三人”だ。目立つ三人と言えばいいだろうか──会場の中で端っこにいるにも関わらず注目を集める。それはこの地域のこの学年からすると誰もが知っている人物だからだ。

 

 

 各学校にはカーストなるものが大なり小なりあっただろう。完全に一律な集団などない。うっすらランク付けされているのである。その中でもこの三人はこの地域において学校を混ぜた中でもカーストトップであることが揺るがない人物。

 

 この地域の市長を務め盤石な基盤を持って今は国会議員となった政治家、柳田雨竜やなぎだうりゅうの息子である──燕大やすひろ。それほど背が高い訳ではない175cmほどだろうか。筋肉があるようには見えないが、太っているようにも見えない。黒髪でチャラい印象はない。政治家の息子としては無難な印象。どこか気弱そうな気さえする。

 

 その横にいる女──芒花菜月おばななつき。彼女の家は地主であり豪農でもあるらしい──いわゆる生まれながらのお金持ちである。茶髪の長い髪を巻いていて、少し今時の若者風であるが作られた涙袋はない。女性にしては身長が大きめだろうか、170cm無いくらいだろう。身長があるからか、元々のお金持ち仕草も相まって、落ち着いていて品がある。ご令嬢が大学デビューしたような感じで少しチグハグ感はあるが、おそらく高校時代は学校中から憧れるような対象であろうことが窺える。

 

 燕大とは反対側の彼女の隣にいる男──桐生清鳳きりゅうきよたか。桐生家は教育界の重鎮──親族ほとんどが教育関連の仕事をしている一族。おそらく彼も教育者となるのだろうが、明るい茶髪をワックスで遊んだ頭はイメージとはかけ離れている。身長も180はゆうにあるだろう。大きい印象があり、この見た目で少なくとも小学校の教員はないだろうと偏見を持たれてしまうくらいには、チャラい様相だ。


 松子は腕を組んで遠巻きに三人を見つめていた。盃都はキョロキョロと佇まいをどうしていいのかわからず不審な動作をしてしまう。横にいる松子がターゲットを凝視してしまうのも、盃都の不審行動にさらに拍車をかけていた。

 

「松子さん、見過ぎ」

「そんなことないって〜。アンタがキョドリすぎ。もっと堂々とせんかい!」

「そんなこと言ったって、俺、他人になりすますなんてやったことないから、どうしていいかわかんないんですよ!松子さんはなんでそんなに楽しそうなんですか?!」

「何事も楽しまなきゃね〜」

 

 盃都とは裏腹に緩く締まりのない、そして軽いノリの割には掴みどころのないいつもの松子。

──実は松子の変わらない態度に少し助かっている。

 だがそんなことは口が裂けても言えない。

 

 そもそも何故こんなことになったのか──経緯を遡ってみることにしよう。始まりは夏休み初日だ。

 

 盃都は母の頼みで祖父の家に来ていた。母の実家は東北の片田舎にある。祖母はもう亡くなっており、一人暮らしをしている祖父が心配だから様子を見てきてくれ──という母の頼み。母は夏休みをとる他のスタッフの兼ね合いで、夜勤やらシフト調整やらで連休を取るタイミングが無いという。東京からは日帰りできる距離ではない東北の片田舎。シフトに穴を開けるわけにもいかない母の仕事を考慮して、盃都はあの後荷物を詰めて2泊3日のつもりで朝の新幹線に乗ったのである。

 

 郡山付近で思わず笑ってしまう盃都。

 

「こっからがいよいよ東北本番だな」

 

 そう呟いた。何度か乗っていると体感でどこら辺を走っているのかわかるようになる。そんなに高頻度で祖父の家を訪れている訳ではないが、冬に初めて訪れた時に郡山で一気に気温が変わったことが印象的で、それ以降、気温がうっすら変わるたびにGPSを確認する癖がついてしまったのだ。今回も同様にGPSを見て、そこからまだまだ長いことを確認して目を瞑った。

 

 新幹線から降りて在来線に乗り換え、最寄駅を目指す。そこからがさらに長い。途中で何度も帰りたくなった盃都だが、なんとか目的の駅まで耐えて電車を降りる。

──ここからまたバスか……。

 項垂れそうになった時、見覚えのある車とナンバープレートが見えた。軽トラのバンパー周辺が水で濡れている。茶色い水が白いボディにうっすらと残る。その運転席には紺色のキャップを被った老人。農協から貰ったであろうキャップに、首に白いタオルを巻き、水色の作業着を着ている。その人物は盃都を視界にとらえると片手を上げた。

 

「じいちゃん」

 

 盃都は思わず呟いた。祖父が迎えにきてくれたのだ。孫が来るとなれば、どこの年寄りもいつものルーティンを放置し、あちこち痛い老体に鞭打って立ち上がるのである。車に乗り込むと、うっすら土の匂いがした。祖父の足元を見た盃都は東京ではなかなかお目にかかれない本物の長靴を見る。

 

「畑仕事の途中なのに迎えにきてくれたの?」

「ちょうど今終わって来たった。家さ帰るのに駅の前通り過ぎるんて、缶コーヒー買うついでに寄っただけだ」

「ありがとう」

 

 どうして昔の男という生き物は素直じゃないのだろうか──いや、この梅宮春如うめみやはるゆきが特にそうなのだろう。素直になればよかった──と、祖母が亡くなった時に男泣きをしていた春如を盃都は覚えている。

 

 軽トラが水に濡れていたのだってそうだ──駅まで迎えに来た時に、周囲の人にドロドロの車に乗り込む姿を見られる孫が可哀想だと思ったからだ。茶色い水が付いていたのもそう──作業が忙しい中、泥を落としきれずに急いで駅に向かってくれた証拠だ。不器用な優しさを感じて自然と笑みが溢れてしまう盃都は、軽トラの窓を開けて田舎の風とにおいを全身で感じた。


 家につき、玄関を上がってまっすぐ仏壇に向かう。台所で仏壇に上がっていたコップの水を入れ替え、再び仏壇に置く。蝋燭にマッチで火をつけて線香を焚いて、おりんを鳴らして両手を合わせた。春如は孫が真っ先に祖母の元に挨拶してくれることが嬉しかった。

 

 盃都が居間に向かうと、テーブルに麦茶のボトルとコップが二つ置いてあった。春如の姿はない。キッチンの方から何やら大きい音が聞こえて来た──トラブルというより、何か質量のあるものを置いた時の音に聞こえたため見にいくことはしなかった。


 二つのグラスに麦茶を注いで東京から持って来たお土産をテーブルの上に準備する。すぐに春如が少し大きめの皿を抱えてやって来た。

 

「スイカだ!」

「うちの畑のだ。さっきまで裏のせきで冷やしてあったから、きっとうめど〜」

 

 盃都は一口頬張る。シャリ──と、サク──の間の歯応えと共に、口いっぱいに広がる甘みと仄かな瓜の青くささ──畑を食べている感覚とは、まさにこのことだ。次々と口へ運ぶ孫の姿を見て春如はご満悦だ。東京土産はいつの間にか仏壇にある。香炉に立つ線香が2本に増えていた。盃都がスイカに夢中になってるうちに春如がお土産と孫がきた報告と共に線香をあげたらしい。

 

 それから二人は他愛もない近況報告をした。孫のために準備したであろうちょっと豪華なご馳走を二人で食べて順番にお風呂に入った。座敷に布団を用意して、寝る前に二人でニュースを見ていた。

 

「明日は何かするんだか?」

「今回はじいちゃんに会いに来ただけだからな〜他に特に用事はないんだけど……あ、久しぶりに桜太おうたに会いに行こうかな」

 

 そう言った途端に先ほどまで穏やかだった空気が一変した。盃都は困惑しながら春如の方を向いた。春如は気まずそうに頬を掻きながら口を開く。

 

「おめ、知らねったが?桜太は2年前に亡くなってらで?」

「……え?」

「あれだっきゃ、全国ニュースになったべ」

 

 理解が追いつかずにフリーズする盃都。時計が秒針を刻む音が大きくなり、外の蛙の鳴き声と用水路の水が流れる音が背景から切り取られたように空間を満たす。そこにニュースを読むアナウンサーの声がいつもより無機質に響いた。

 

 盃都が田舎に帰ってくると必ず遊んでもらった思い出がある、二つ年上の縞桜太しまおうた。ピッチャーとして小学生の頃から有名で高校に入ってからはプロ注目選手と騒がれていた。田舎の甲子園常連校でも1年生からエースを張り、テレビの甲子園特集や雑誌で何かと話題になっていた。盃都は桜太と言えばその記憶しかない。


──死んだなんて、夢にも思わなかった。

 

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