第4話



『徐庶さんは……どうして私を信じようと思って下さったんですか?』



 不意に降り注いで来た声に、徐庶は閉じていた目をゆっくり開いた。

 琥珀の瞳が、自分を静かに見下ろして来ている。

 彼は時々、徐庶の思いもよらないことを考えていたりするから面白い。


『いえ……あの……あの頃の私はそんなに貴方に信頼して貰えるようなことを、してなかったと思うんです。

 今ほど話もしてなかったし……、

 こうやって側にいてもあの頃の貴方は……』


 徐庶が瞳で問いかけるようにすると陸議は小さく息をつき、首を振った。


『側にいても、

 私のことなど、存在自体全く忘れ去っているように思えることがたくさんありました』


 多分、それは事実だ。


 隣に立っていても、確かに彼のことを全く考えていなかったことがたくさんあった。

 そういう自分に気付いていたのに、気に懸けてくれたのが陸伯言という青年だった。

 

『今もそう思う?』


 自分が枕にしていた陸議の膝を手で抱えるようにすると、

 彼は一瞬返答に困った表情をしてから、小さく首を振ったので徐庶は微笑った。


 ――今は信じられる理由はたくさんある。


 知った人柄とか、

 交わした言葉、

 共に過ごして来た時間、


 色々なことを通じて互いを信じれるようになった。


 だが確かに最初からそうだったわけではない。

 徐庶はもう随分遠くなったような記憶を思い起こしてみた。

 どうして彼を信じるようになったのかを。



『……剣傷かな』



 陸議が、小首を傾げた。


『君の体にある、傷をある時見た。

 多分それから君を信じるようになった』


 琥珀の瞳が息を飲み、大きく開かれた。

 徐庶の体にも数多の剣傷がある。

 剣傷には受けた理由が必ずあるのだ。


『君の背中にある、一番大きな傷。

 肩から脇腹に抜ける一閃。

 君の剣の技量を知るようになって、

 ああいう傷をまともに受けるような腕前じゃないって分かるようになった。

 つまりあの傷は、君の剣の未熟じゃなくて、

 誰かを守るために背を投げ出して斬られた傷だと分かったから』


 だから、信じた。


 傷を受けた人間は、人間の痛みを理解出来るから。



『…………そうでしたか』



 小さな声で呟きが返って、徐庶は微笑んだ。

 ゆっくりと身を起こすと、体に積もっていた花が土の上に落ちる。

 身を起こして、見下ろす形になった陸伯言の髪や肩にも薄紅色の花びらが積もっている。


 徐庶は手を伸ばし、陸議の栗色の髪に触れた。


『少し後悔してる』


 今は指先に覚えたこの柔らかな感覚を、いつ頃から覚え始めたのだっただろう?



 



『もっと早く君を脱がして背中を見ておくんだった』






 陸議は一瞬ひどく驚いたように慌てて顔を上げ、こっちを見上げた。

 はっきりと頬が赤くなっている。

 それは徐庶が想像した通りの反応だったので、彼をただ微笑ませるだけだった。



 あなたは一体いつから、

 そんな冗談を言って遊ぶようになったんですかね……。



 困ったように言いながらも陸議は徐庶の肩に額をそっと預けて来た。

 徐庶も両腕を彼の体に深く回す。



 彼の傷のある背に、手の平を置く。



 その体にある傷を見た時、

 君を信じたと言われて、

 陸議がどれほど嬉しかったか――恐らく徐庶は知らないだろう。


 陸議は剣傷を受ける時、

 必ず心も痛みを覚えて来た。


 そして多くの傷や痛みを、必死で乗り越えてここまで来たのだ。



 自分の未熟さや、

 過ちや、

 弱さ、

 甘さで受けて来た傷。

 

 陸議はそのどれも、心のどこかで忌々しく思っていたから。





 それを理由に、信じ、愛したと言ってもらって、


 どれだけ嬉しかったかを。







(私の身体に刻まれた全ての傷と痛みが、

 貴方によって救われた)







【終】

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花天月地【第84話 剣傷に触れる】 七海ポルカ @reeeeeen13

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