第3話
(昔から黙って出て行くのは癖だ)
家にいるのが無性に嫌になった少年時代のある日、
狭い家だったので母親は近くに寝ていたが、気付かれないように音を立てず。
寂しさなどは全くなく、
村が見えないほど離れた時振り返って、そこに広い草原だけが広がっているのを見ると、
――心が晴れた。
母親にも、
村の人々にも、
二度と会えないかもしれないなどと感傷的になることは少しもなかった。
二度とあそこへ戻るものかと思って、強く歩き続けた。
幸か不幸かそのあとも人生は続き、
色々な人間と出会い、別れて来た。
徐庶がきちんと出て行きますと告げて出て来たのは、
蜀から去った時も、母親が
徐庶が去ったことを知った
その時に自分の代わりの軍師を探すなら、
剣を振るっていた時も、その時々に依頼人の許に身を寄せたりしたが、徐庶は去り際は自由気ままに振る舞って来た。
依頼が成功すると腕を見込んでの報酬や、更なる依頼を受けることはあったけれど、徐庶が一つの居場所に留まることを疎むのはもはや染み付いた習性のようなもので、引き留められたりするのは不都合で嫌いだったから、好きな時にその場を離れた。
だが確かに陸議と
彼らが徐庶に不信感を抱き、
動けるようになれば自ずと選択は迫られる。
動くならば逆に今なのかもしれない。
その為にはどうしても黄巌自身の協力が不可欠だった。
もう一度だけ彼と話さなければならない。
自分はすでに警戒されている。
陸議ならば黄巌の部屋に入れるが、安易に文を届けてくれなどと預ければ、何も知らない彼を利用することになる。
しかし秘密裏に黄巌に文を届けてほしいと言えば、陸議はどうするだろう?
さすがに黄巌が馬超の唯一の親族と知れば、魏軍における利用価値が彼には分かるはずだ。話を持ちかけても司馬懿を明確に裏切るような行為は、彼は拒むはずだった。
しかし陸議が今、言ったのは、
自分が拒むか拒まないかに問わず、何も言わず行動しないでほしいということだ。
陸議は拒んだからといって、単純に司馬懿に密告に行くとは限らなかった。
信じること。
(それが俺には、出来ない)
人を、信じ切ることが出来ない人間になってしまった。
かつてはもっと容易く人を信じていたはずだったが、
人を信じることは、
自分の運命をその人間に委ねることと等しいのだということを知ってからは、
信じることは何もいいことにはならないのだと徐庶は思うようになった。
自分が損をするというだけではない。
相手にも、場合によっては害が及ぶ。
一度眠ったが明け方近くに目を覚ますと、ずっと起きて勉強をしていたらしい司馬孚もさすがに寝台に戻り眠っていて、
頼りなくなった火が、暖炉で淡く光っていた。
徐庶は静かに、陸議の寝台に近づいた。
深く目を閉じて眠っている表情は二十歳だという実年齢よりもっと幼く見えた。
側の椅子に腰掛け、陸伯言の寝顔を見下ろす。
彼には黄巌の苦しみが理解出来るはずだ。
『私の養父は戦で死にました。
自分自身より生きて欲しいと思ってた人です』
――そう。
だから
それは、
そう、思えた。
多分自分は信じているのだ。
そのことは。
なら、あとは陸議が助力を拒むかどうかであって、
話すこと自体は、そうするべきだと心は決まった。
郭嘉は司馬懿や
同じくらい、徐庶の四肢を封じる決断をして来る可能性もある。
(何より彼を信じることは危険だ。
彼がまず、俺を信頼していない)
それが砦に戻った時――窓辺で灯を掲げる陸議の姿を見た時に、全く違う道を思いついた。
郭嘉に賭けるより、
自分と
陸伯言に賭けた方が、成就しなかった時にも危険が少ない。
(陸議殿が目を覚ましたら、話してみよう)
そのまま彼の寝台の端に頬杖を付き何となく、その寝顔をずっと眺めた。
整った容姿に、非凡を感じさせる輝く瞳は今は閉じて、
安心しきって眠っている表情は少年のようにすら見える。
だけど。
傷の手当てをしている時に見えた、彼の体にある剣傷を思い出した。
今や、左腕にも重い傷が刻まれた。
(彼は傷や痛みを全く知らない人間じゃない)
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