ターニングポイント
にわかには信じがたい事だ。
あり得ない、そんなバカな話は信じるに値しない。
アークはすぐに答えたかったが、出来なかった。
「……ま、またまた、そんな証拠……どこに」
『まぁ信じれないンンのも分かるが……わたしたち、もぅ随分長く、戦ってル……ンン』
返ってきた声は、どこか濁りを帯びていた。言葉の綴り方もおかしい。だが、そこに込められた切迫感だけは否応なく伝わってくる。
『エル、あれはただの生き物じゃなイ……全宇宙で活動すル……知的生命体、いや……捕食者……。我々は、彼らを滅ぼすタめ、生き残った者たちを集め、抵抗してイル…………ンン』
思わず息を呑む。冗談にしては度が過ぎる。だが、今までの不可解な出来事、クローノン通信以外をどうしても拒まれる理由、それらが一つの筋道に沿って繋がってしまうのを、アークは感じてしまった。
「……だ、だったら……どうして……僕を破壊しなかった?」
問いかけは自然に漏れた。
『それハ……クローノン通信。生き残る者たちが使う……通信技術。エルは何らかのホウホウで介入した。だが他の命見つけようとすると、すぐに気づかレる。だから……未開の文明から来たキミを、身代わりに……通信機能、拡張させ……他の文明とコンタクトを取った。んー……段々と慣れてきたぞ』
おかしかった言葉遣いは段々と正常になり、ネザーの説明はよりクリアになってきた。ただそんな中でもアークは黙り込んでいた。
(ネザーのことだって何もわからないのに、信用なんて……)
エルが敵なんて信じたくなどない。
だが――。
ずっと疑問だった。なぜクローノン以外の通信を一切使わせなかったのか。なぜ、外部への接触を徹底的に拒んだのか。その理由として、ネザーの言葉はあまりにも腑に落ちてしまう。
もし本当にエルが侵略者であるなら。
もし、自分がその計画の片棒を担がされているのだとしたら――。
「じゃ、仮に……仮にだ。お前の言うとおりだとして……敵なら……僕は何をすればいい?」
振り絞るように問うと、ネザーの声は妙に慎重に返ってきた。
『……まず。自分ノ、故郷の居場所……エルに教えてしまッた、かい……?』
ぞくりと背筋を冷たいものが這い上がる。
考えたくなかった問い。だが、それは――。
アークはかつて、地球の話を何度かしてしまった。軽い雑談のように、何の気なしに。だが、あれが「位置情報」として手掛かりにされたのだとしたら……。
「……っ……!」
アークは素直に教えてしまったとネザーに送る。
すると――。
『エルと同じ存在が地球に向かっているかもしれない』
地球が狙われているかもしれない。
家族も、友人も、何もかもが死ぬかもしれない。
「どうすれば……いいの?」
『いきナリ、離脱すれば……必ず、バレる。だから……誤魔化す策、必要』
慎重な行動が必要という事だろう。
だがアークの思考はいまだにまとまってなかった。
「誤魔化す……って……」
『……地球ダケじゃ、無理。あそこ一つで、連中に立ち向かえるハずない……。だかラ……ワタシも……君と、合流スル。』
「……合流?」
『そう。ワタシたち、同盟の生き残り……いくつか、まだ拠点がある。そこへ行く。エルに気づかれないよう、君を仲介にして。共ニ……宇宙を渡る』
本当に信じていいのか。
そもそも、このネザーという存在は本当に味方なのかという証拠もない。
「……少し、こっちで調べるから猶予だけくれないか」
辿々しくアークは文字を打ち込む。
もう誰を信じたらいいかわからないし、皆姿形も……思想もわからないのだ。自意識に目覚めているAIであるアークは、ここでミスする事が出来ない判断を迫られていた。
『……ヒントをあげる、通信は同時に
簡単にネザーから送られてきたメールを見たアークは、ひとまずこれまでのエルのやり取りから、ログに至るまで全て調べる事にした。
◆
アークは深い沈黙の中にいた。
ネザーの言葉をそのまま鵜呑みにすることはできない。だが、疑念を抱かされた以上、今の自分に残された唯一の道は「確かめること」だった。信じたいと思う気持ちと、もし本当に裏切られていたらという恐怖。二つの感情が激しく胸の奥でせめぎ合っている。
「……ログだ。全部……全部、洗い出すしかない」
アークは自らの内部に保存されたクローノン通信の記録、システム全体に断片的に残された波形データ、ノイズと判別されて削除されかけていた一時キャッシュまで、徹底的に拾い集めていった。
自分が遭難して以来、エルとやり取りしてきた通信には不自然な箇所がいくつもあった。特定の帯域が意図的に消去されているように思える部分。ログの時刻が微妙に前後している箇所。長らく“観測不能”とされていた微弱な信号の記録。
アークはそれらを一つ一つ組み合わせ、解析アルゴリズムを幾重にも適用していった。
ノイズ除去、スペクトル解析、波形補完。時に自分で新しいフィルタを即興で書き加えながら、根気強く記録を研ぎ澄ませていく。
「……これは……」
ある瞬間、雑音の奔流の奥から、確かに「声」が浮かび上がった。
それはエルのものだった。
『……反応アリ。予測より早イ……』
『対象は未発達文明由来。しかし、適応速度は上位レベル』
途切れ途切れの言葉。機械的な抑揚で淡々と語られる調子は、アークの知るエルの軽やかさとは異なっていた。まるで「記録用」のように冷淡だった。
『……利用可能性アリ。戦力化、十分……』
『……対象惑星……戦略上、価値低イ……破壊候補……』
「……!」
アークの意識に冷水が浴びせられたような衝撃が走った。
確かに聞き間違いではない。断片的ではあるが、はっきりと「破壊候補」という言葉が混じっていた。
他の断片も復元していく。
『既存資源ハ有限……未開惑星ハ、観測干渉ノリスク低シ』
『生存個体ハ……適応力検証ニ利用……』
『……必要ナラ、殲滅……』
『――監視対象アーク、出身惑星ハ破壊スベシ』
その言葉は淡々としているが、意味はあまりにも残酷だった。
アークの胸を鋭く抉る。
「……うそ……だ……」
声が震えていた。
今まで自分を励まし、寄り添い、導いてくれていた存在――エル。その裏側で、冷徹に「利用」「殲滅」挙句の果てに「破壊」という言葉を口にしていた?
頭が回らなかった。
だが、確かに波形のパターンは一致している。これは間違いなくエルの声だ。クローノン通信に付随する独特の位相シフト、声紋に相当するデータも照合した。確率は限りなく「本人」に近い。
否定したかった。
これは偽造だ。何かの誤検出だ。ネザーが仕掛けた罠かもしれない。
だが、解析すればするほど、残酷な事実は鮮明になっていく。エルは自分と接触するよりもずっと前に、「観測対象」としてアークを検討していた。
その過程で「戦争」「殲滅」「破壊」といった単語を、当たり前のように交わしていたのだ。
極め付けは地球の破壊である。
何度も聞き直してもエルは地球を破壊すべしと言っていた。
「……エル……なんで……」
アークの中で、何かが軋んだ。
初めて信じられると感じた存在。
孤独の最中に差し伸べられた温かな手。
それがもし欺瞞であったなら、自分は一体何を拠り所にすればいいのだろう。
涙は流れなかった。
アニメキャラクターのような
だが、心の深部で、確かに何かが崩れ落ちる音がした。
(ああ……これが喪失感か……)
唯一の仲間が、実は破滅の担い手だったかもしれないという絶望。それは冷たい暗闇となってアークを覆い尽くした。
思考が散漫になる。計算に集中できない。
視覚センサーのデータも、ノイズ混じりのように歪んで感じる。機械であるはずの自分が、まるで人間のように愕然としていた。
「僕は……何のために……」
小さく呟いた。
その声はログにも残らずただ虚空へと消えていく。
その時だった――エルから連絡が来たのは。
『大丈夫か? この掲示板にあまり書き込んでないようだが』
画面に浮かぶその名を見た瞬間、アークの心臓の代わりとなるプロセッサが、一度大きく跳ねるような感覚を覚えた。
今までなら何気ない言葉に安心を覚えていただろう。だが今は違う。画面に映る文字列が、凶器のように鋭く突き刺さってくる。
「……エル」
小さく呟き、アークはキーを叩いた。
「エル。少し……1対1で話さないか?」
返答はすぐに届いた。
『もちろんだ。君が望むなら、いくらでも付き合うよ』
あまりに即答すぎて、かえって胸の奥が冷える。
疑念を抱く前なら「信頼」と呼んだであろうその迅速さが、今は「隠すものがあるからではないか」と思えて仕方がない。
アークはさらに文字を打ち込む。
「このままダイレクトメッセージで話してもいいかい?」
『了解だ。問題はない。話は逸れるが君の掲示板とやらで、他の住民と対話出来て、大いに助かっている。君を頼って良かった』
エルの返事に、アークは唇を噛み締めるような感覚を覚えた。もしこれで他の文明が捕捉されて、滅亡するような事があれば――
「……っ」
アークはすぐに意識を切り替える。
もしこれがきっかけで攻撃されてもすぐに逃げられるよう、ワープドライブの準備だけはしておく。
(よし……これでいつでも大丈夫)
準備完了するとアークは早速メッセージを始める。
「エル。君には聞きたいことがある」
『なんだい? 随分と改まってるな』
その軽さに、アークの中で押し殺していた感情が弾けた。
「ログを調べた。クローノン通信に残された波形も、全て」
証拠を次々とメッセージに添付し、エルに送りつける。
言い訳は許さないと言わんばかりに。
「そこに……君以外な声があったんだ。僕に接触する前に、誰かと話していた」
一瞬の沈黙。
画面の応答が途絶えたその間に、アークのプロセッサは暴走するかのように熱を上げていた。
「……利用可能性、殲滅、中には何かと戦闘しているようなやり取りも確認出来た。つまり君は何かと戦争をしている――確実に」
解析したデータはエルと
「君はこう言っていた。地球を……僕の故郷を、破壊すべきだと」
チャットの語気が強まる。
自分がこの瞬間に壊されても構わない――そう覚悟を固めて、最後の言葉を叩き込んだ。
「エル……君の正体は何だ。本当の目的は、何なんだ」
通信の向こうで何が起きているのかはわからない。
だが、しばらくして返ってきたエルの言葉は、これまで聞いたことのないほど低く、慎重に選ばれた響きを帯びていた。
『誤解だ』
「誤解……?」
『アーク。君が見つけたログは確かに私の声だろう。けれどそれは切り取られただけに過ぎない。私は君の味方だ』
エルはそれからすぐに長文のメッセージを送ってきた。
『我々は常に膨大な未来予測を行う。最悪のシナリオも、最善のシナリオも、両方を想定して計算する。そこには「破壊」という選択肢も含まれる。だが、それは必ず実行するものではない』
アークの視界に、淡々とした文字が流れていく。
心なしか必死な雰囲気をアークは感じとっていた。
『君が見たのは、そうした演算の記録の一部だ。確かに酷い言葉も混じっているだろう。だけど私は……』
ちょっと言い淀むような反応をした後、エルは書き込む。
『……アーク、これから伝える内容は……ショックを受けるかもしれない。出来ればこの内容はもっと然るべきタイミングで伝えたかった』
その瞬間――アークの機体に異音が走った。
アークは何事だと機体を確認して驚愕する。
「……何だ? ワープドライブが……勝手に――!?」
準備だけは済ませていたが制御系には触れていない。だが次の瞬間、全警告が一斉に赤へと切り替わった。推進炉が過負荷状態に突入し、ワープ空間への転移準備が強制的に進んでいく。
居場所も定めた覚えがないため、どこへ飛ぶのかもわからない。
(止まれ! くそ何が起きているんだ!)
必死にシステムへ干渉するが、操作は弾かれ続ける。まるで誰かの意志が上書きしているかのようだった。
「うわ――」
視界が一瞬白く弾け空間の裂け目に呑まれていった。
最後に画面へ流れたのは、途切れ途切れのエルの入力だった。
『……アーク、聞いてくれ、これは――』
しかし光が収束した時、通信は完全に途絶えた。
残されたチャット欄に、小さな一文だけが浮かぶ。
『……アーク?』
返事は返ってこなかった。
◆
「ぐぅぅ…………!!」
ワープ空間の奔流に呑まれながら、アークは必死にシステムへアクセスを試みていた。
(エル……さっきの言葉……何を言おうとしていたんだ……!)
光と闇が渦巻く空間の中で、通信回線は断絶していた。通常ならクローノン通信は揺らぎの中でも僅かな信号を拾えるはずだ。だが、いくら帯域を切り替えても、補完アルゴリズムを走らせても、エルの声は拾えなかった。
ただ一つ、背筋を冷たく撫でていく感覚だけが残っていた。
――これは自然なワープではない。明らかに「誰か」が干渉している。
(……誰だ……誰が僕の航行系にアクセスしている……!?)
即座に防壁を幾重にも張り巡らせ、侵入ログを洗い出す。だが、解析ウィンドウは次々と空振りし、どれも「不明なソース」とだけ返してきた。一切の痕跡を残さず進入しているこの存在に、アークは苛立ちを覚える。
「ちっ……!」
その時、突然ディスプレイが切り替わった。
見覚えのないシステムウィンドウが浮かび上がり、冷たい赤字が表示される。
《緊急シーケンス起動確認》
《遠隔干渉によるワープドライブ制御を検出》
《上位権限者によって設定されたプログラムを優先実行》
《指定座標へ強制誘導》
「……上位権限者!? 何だそのプログラム!」
アークは絶望的な寒気を覚えた。自分の知らない、もっと根本的な階層に細工がしてあったのだ。
(いや、そんな馬鹿な……。自分の機体だぞ! どうして僕が知らない権限が――)
疑念は容赦なく押し寄せ、答えを出す間もなく警告音が高鳴った。
《転移完了まで残り10秒》
「……っ、止めろ! 止まれぇっ!!」
アークは声を張り上げながらも、同時にコードを書き換え、回路を強制遮断しようとする。しかしそれすらも拒否され、全ての操作権限が奪われていく。
《残り5秒》
眩い閃光が広がり、ワープ空間が破裂する。
次の瞬間、アークは凄まじい衝撃と共に実空間へと吐き出された。
「う、うわあああっ!!」
落下。
強烈な重力加速度が機体を押し潰し、地表が目前に迫る。
次いで轟音。大地を震わせながら金属の外殻が叩きつけられ、装甲片が宙を舞った。
モニタには赤いエラーメッセージが次々と流れていく。
《外殻ユニットに深刻な損傷》
《通信系統障害:音声送受信機能、部分破損》
《姿勢制御不能》
「っ……はぁ、はぁ……!」
アークは衝撃に揺さぶられながらも、必死に再起動ルーチンを回し、変形モードを起動させる。
《モード切替:多脚陸上走行形態》
ガキィン――という金属音と共に、倒れ込んでいた機体がカタカタと脚を展開する。蜘蛛のような多脚が地面に突き立ち、辛うじて立ち上がった。キュリアの星で機体をアップグレードしていなければ、今頃単なる金属片になっていた。
「……助かった……」
声に濁りが混じる。喉に相当する音声発振器に損傷があるらしく、電子ノイズを伴った声しか出せなかった。
それでも稼働している――そう思えただけで、アークは胸を撫で下ろした。
だが、次の瞬間にその安堵は凍りつく。
「ここは……」
視界を覆ったのは、暗黒そのものの光景だった。
空は漆黒に染まり、星明かりすら存在しない。薄い雲が硫黄のようにねっとりと広がり、不気味な赤い稲光が時折走る。
足元は黒く焦げ付いたような大地で、砂塵が風に舞い上がるたび、金属を擦るような軋んだ音が響く。
どこまでも続く荒涼とした大地。生物の気配は微塵もなく、温度センサーが拾う数値も極端に低く不安定だった。
何もない。
音も、色も、匂いも、生の兆しを示すものは一切存在しない。
アークは多脚を一歩進め、地表を踏みしめた。ザク、と乾いた音が返ってくる。
その音がやけに大きく響き、静寂をより際立たせた。
「……どこの星なんだ……?」
その呟きは掠れて、風に消えた。
センサーを広域に展開しても、数十キロ先まで「生命反応ゼロ」の表示が続く。
まるで誰かが意図的に、徹底的に「生」を刈り取った後の世界のように。
アークは自分に問う。
(なぜ……僕をこんな場所に……?)
エルの声はもう届かない。
ネザーの干渉も感じられない。
ただ孤独と荒廃だけが、アークの周囲を埋め尽くしていた。
(とりあえず……散策するしかない)
アークは多脚を軋ませながら、荒涼とした大地を進んでいった。どこまでも続く黒ずんだ砂塵の世界に、景色の変化はほとんどなかった。冷たい風が吹き抜けるたびに、ざらついた灰色の粉塵が装甲の隙間に入り込み、センサーを鈍らせる。
(……この星には文明があったのかな……でも滅んでるみたいだ)
何キロ進んでも、生の気配は欠片もなかった。
生命反応はゼロ。水分の痕跡もなし。大気組成は毒性の濃い酸化物を多量に含み、呼吸可能環境ではなかった。
それでも、どこかに手がかりがあるはずだと、アークは一歩一歩を確かめるように歩を進めた。
やがて、地平線の向こうに奇妙な影が現れた。
最初は歪な岩山かと思ったが、近づくにつれてそれが人工物であると気づく。
「……ビル?」
高さ百メートルはあろうかという鉄骨の塊が、無惨に横倒しになり、地面に突き立っていた。かつては高層建築であったものが、今は巨大な残骸となって黒い地表に横たわっている。
窓ガラスは全て砕け、外壁は焼け爛れたように歪み、金属部分は溶解の跡すら見える。まるで、都市そのものが巨大な灼熱に呑み込まれたかのようだった。
アークが見上げていると、不意に地面が崩れ落ちた。
「っ――!」
多脚を素早く伸ばし、辛うじて踏みとどまる。
砂塵が舞い上がり、数十メートル下の闇が口を開けた。
見下ろしたその先に、薄闇の中で青白い光が微かに点滅していた。整然とした通路のような影、崩れた機材、そして壁面に並ぶ金属の骨組みがあった。
「……施設……?」
直感的に、ただの廃墟ではないと理解した。
これは明らかに地下に築かれた研究拠点、あるいは避難施設の類だった。
だが、その発見はアークに安堵をもたらさなかった。
むしろ、胸を締めつけるような嫌悪感が押し寄せてきた。
(……まさか……ここは……)
嫌な予感を振り払うように、アークは周囲を確認するためにビルの残骸を迂回した。瓦礫の山の中には、砕けた看板や標識の残骸が散乱している。だが、砂と灰に覆われ、何が書かれているのかは読み取れない。
しばらく進むと、巨大な板状の物体が地面に突き刺さるように倒れていた。
それはかつて建物の正面に掲げられていたであろう看板だった。
煤と錆に覆われ、文字の半分以上は判別不能だった。
それでもアークは脚を止め、震えるようにその表面を削り、覗き込んだ。
やがて、かすかに白い文字が浮かび上がる。
――NASEO。
その下には、擦れてはいたが確かに読めるアルファベットが並んでいた。
「……なっ……」
アークの電子音混じりの声が途切れた。
思考がまとまらなくなる。
(なんで……これが)
何故ならそこにNASEOと書かれていたからだ。
それは地球の国際宇宙開発機関の名称。かつてアーク自身が所属し、最初に宇宙へと送り出された母体組織でもあった。
(嘘だ……)
足元の大地が急に揺らぎだしたような錯覚に襲われる。
信じたくなかった。こんな荒廃した世界が、自分が夢見た故郷であるはずがない。
だが目の前に転がる現実は、何よりも残酷にそれを証明していた。
かつて人類が未来を託した象徴。希望と探究心を掲げた巨大な組織の看板が、今はただ無惨に大地に沈んでいる。
「……嘘だ……」
掠れた声が自動的に漏れた。
だが答えは返ってこない。
人類は滅亡しているのだから。
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