新たな道

第2話:オカルトへの第一歩

 始業式は入学式よりも落ち着いてのぞめるはずだ。

 しかし、式の最中どころか、その後の授業中でさえも妙にそわそわとする雰囲気がクラスに漂っていた。それが、明日から土日に入るからではなく、五時限目が部活動紹介だったからなのだと、日暮ひぐれは体育館への移動中に気が付いた。

 暗幕で覆われた中、ライトに照らされた壇上で各部活が入れ替わり立ち替わりアピールをしていく。弓道部が巻藁まきわらを射止めると歓声があがり、科学部の成果発表ではどこかからあくびが聞こえてきて、オカ研が制作した質の高いショートフィルムは拍手を巻き起こした。だが、日暮は巨体が収まりきらないパイプ椅子いすの狭さと、運動部を見るたびに痛む胸が気になるばかりだった。

 部活動紹介の終了後、体育館から教室へ戻る最中、女子が振り向くのを意に介することもなく金髪の甘いマスクが駆け寄ってきた。穴が不要という自作のピアスも相まって学ランが似合わない。

「ヒグマ、どこ行くか決めたか?」

 そして「ヒグマ」というあだ名の名付け親。日暮ひぐれという苗字をもじり、大きな身体にぴったりだということで付けられたもので、日暮は結構気に入っている。

「今のところは、何とも言えない」

「そうか。オカルト研究部に行くと」

「言っていないだろう。……待て、オカルトに興味があるのか?」

 嘘や冗談、おふざけを愛するが、この世にあるものだけが真実だとして、腹痛のときでさえ神に助けを求めない。それがこの男、深串ふかくし路希ろきである。

「オカルト自体に興味はないな。でも、オカルト作品には興味がある。あの映像だけでも造形だけじゃなくて構図やエフェクトにまでこだわっているのがびしびしと伝わってきたからな」

 エンタメとは至高の嘘。そう主張する深串はモノづくりが趣味である。あのショートフィルムに心を奪われたのは理解できたが、共感できるかどうかは別だ。

「俺は行ったとしても、話を聞いて終わりだな」

「まあ、気になったらでいいさ。僕がいじけるかもしれないけど」

「お前そういうタイプじゃないだろうが」

 小学生のころから一歩も大人に進んでいない雑談を交わしながら同じ教室へ戻り、ぼけっとしているうちに帰りのホームルームが終わる。起立、気を付け、礼が済んで振り返ると、深串は席におらず、教室を出ていくところが目に映った。席が最後列なのを利用して、挨拶をしているときにはもう移動していたのだろう。

 別に急いで追う必要はない。各部活動の活動教室は新入生向けとして先生から配られたパンフレットに網羅されている。

「オカ研は郷土資料室か」

 特に興味は湧いていなかった日暮は、場所だけ頭に入れてかばんにしまった。


 当然、こんなことが人生の転換点になるとは思いもしていない。



 校舎は「ヨ」の形をしていて、下側の横棒から一号棟、二号棟、三号棟と名付けられていて、それぞれ四階まである。

 クラス教室があるのは一号棟で、一年生の教室は一階。下駄箱を抜けてすぐの廊下に沿って並んでいる。日暮は玄関に最も近い一年一組に所属することになったが、郷土資料室があるのは一号棟四階の最奥だ。帰りやすさという大きなメリットを捨ててまで所属する意味はないだろう。

 一階の奥まで行き、階段を上ると、郷土資料室は左手側にあった。教室は反対側の名前のない教室と半分に分けられているようで、高窓からは仕切りとなる壁が見えており、その左側のみ蛍光灯が点いている。

 違和感はあった。本当にこんな狭いところであのショートフィルムが作られたのかと。

「失礼します」

 中学のときに身に付いてしまった無駄にはきはきとした声を出してドアを開ける。

 室内を見て、違和感は大きなうねりとなった。

 部屋の左側は分厚く大きな本が並ぶブラウンの本棚が列を成していて、他にあるといえるのは真ん中で向かい合わせになっている学習机と椅子だけだ。

 深串はいない。代わりに、頭に二つのお団子を乗せた髪型と赤いふちのメガネが外見の幼さを際立たせているセーラー服が奥の席にちょこんと座っていた。

「あれ、新入生?」

 彼女はいそいそと立ち上がって椅子をしまい、日暮のもとへ寄ってきた。

 背丈は日暮が百八十センチメートル以上あるとはいえ、その肩に頭のてっぺんが届くかどうかというくらいの小柄だ。しかし、見下ろした先にあった上履きのゴムは三年生を示す青色をしている。

「あの、ここってオカ研ですか?」

「確かにオカ研ではあるけれど、オカルト研究だよ。もしかして、オカルト研究に行きたかった?」

 慌ててパンフレットを見直す。部活動一覧と、その下に一回り小さく設けられた同好会一覧を見て失態を悟った。

 この学校には部活である「オカルト研究部」に加えて、同好会である「オカルト研究会」もあったのだ。

「ごめんね。その、良かったらお詫びとして研究部まで案内させてよ」

 そうだよね、研究部目当てだよね……、と気まずそうに逸らした目線と苦笑いが言っている。

 ぬか喜びさせてしまった罪悪感がどっと押し寄せてきた。

「……深串には次に会ったとき謝ることにしよう」

「えっ?」

「ああ、いえ、こっちの話です。それより、活動内容を聞いてもいいですか?」

 つぶらな目が見開いた。「聞いてくれる?」と顔が言っていたので頷くと、ぱっと明るい笑顔を浮かべて奥の席へ戻った。

「さあ、座って!」

 日暮が手前側の席に座ると、彼女は鞄を開き、ノートを机の境界線上に置いた。表紙には教科書のように整った文字でノートの名前が記されている。

「せいかノート……?」

「そう。活動の成果をメモしたノートっていう意味と、……あ、そうか、自己紹介がまだだったよね。私は七瀬川ななせがわ正華せいか。唯一の会員だから、会長でもあるの」

 そう言って、セーラー服のえりに留めた缶バッジを指さした。オレンジジュースの色を背景に炭酸の泡のような字体で「会長」と書かれている。

「俺は日暮信義しんぎです。ヒグマというあだ名があるので、そっちで呼んでもらえると嬉しいです」

「ヒグマくんね。分かった!」

 日暮はもう一度ノートに目を向けて、ああ、「成果せいか」と「正華せいか」をかけたのかと理解した。

「それで、活動内容についてなんだけど、この学校の七不思議について調査しているの」

「ここにあるんですか?」

「うん。やっぱり高校だと珍しいよね。小中学校なら分かるんだけど。でも、だからこそ、信憑性しんぴょうせいがある気がするの」

 七瀬川が開いた一ページ目の中央には、シャーペンの細さで書かれた七つの項目が並んでいた。


 一、屋上の地縛霊:天文部

 二、裏山に埋められた生徒:検討中

 三、無人の『別れの曲』:吹奏楽部

 四、呪いの寄贈本:図書委員会

 五、動く『モナ・リザ』:美術部

 六、トイレですすり泣く声:私

 七、消えるオカ研部員:調査済み!


 とても七不思議らしい項目が並んでいる。隣に書かれているのは調査に関係する部活や委員会だろう。そうなると「私」は私が調査するということなのだろうか。

「どれか興味あったりする?」

 武骨で大きい手の人差し指をノートの上に持ってくる。

「六番目以外でね」

 向けようとした指をいったん引っ込めた。代わりにその一つ下を指す。

「『消えるオカ研部員』ね。雪森ゆきもり先生って分かる?」

「雪森かおる先生、ですよね。担任です」

「あ、そうなんだ、偶然。私も一年のときは雪森先生が担任だったんだよ。じゃあ、オカルト研究部の顧問なのは知ってるよね?」

「はい。自己紹介で聞きました」

 今年で四十八歳になるという、白髪しらが交じりの髪を首の辺りまで伸ばした国語の先生。メイクをきっちりとしているのか年の割に若く見え、親しみやすそうな雰囲気はカウンセラーの先生だと言われても信じてしまいそうなほどである。だが、きもわっているらしく、クラスのお調子者が試すかのように次々と投げる、プライベートに触れる内容だったり、デリカシーがなかったり、中途半端に哲学じみていたりする質問を難なくさばいていった。そのさまは、言葉の殺陣たてを見ているようなほどに気持ちがよいものだった。

「その雪森先生から聞いたんだけど、『消えるオカ研部員』はね、後から追加されたんだって。その、辞めちゃった私が言うのもあれなんだけど、退部する人が多いことが理由らしくて……」

 辞めた?

 七瀬川が決まり悪そうにしながらもノートをめくって見せたページには、さすがに名前までは載っていなかったが、三十年前から昨年までにおけるオカルト研究部の部員数がひょうとしてまとめられていた。学年ごとの人数に加え、入部者、退部者の数も書かれている。

一昨年おととしを除けば、確かに一人は辞めていますね」

「うん。元々の七不思議は六番目までで、七番目を知ったら災いが起こるってパターンだったみたいなんだけど」

「オカルト研究部で少なくとも一人は辞める人が出る、ということが噂になって追加されたと」

「そうみたい」

 七瀬川の口から、思わずといったようなため息が漏れた。

「せめて、一昨年まで噂が立たないでいてくれたらよかったのにね」

 昨年に辞めた人数は一人。わざわざ(私……)と書いてある。明るく努めているが相当気にしているのだろう。

 気になるが、聞いていいことなのだろうか。いや、詮索はよくないだろう。しかし、……。

 逡巡が顔に出てしまっていたのか、あるいは目線が(私……)に向いたままだったためか、七瀬川のほうから訊ねてきた。

「私が退部した理由、気になる?」

「……ええ。まあ」

「正直なのは良いことだよ」

 七瀬川は小さく笑い声を出した。

「簡単に言うと方向性の違い。それで、オカルト研究会を立ち上げることにしたの」

 方向性の違い。バンドの解散やメンバーの脱退の理由としてはよくあるが、部活に関しては初めて耳にする。

「でね、私の方向性を一言で表すと……」

 ノートが一ページ目に戻される。

 そのフレーズは、七不思議の一覧を押さえて一行目に書かれていた。

 方向性とは、すなわち目指す道筋を指し示すもの。

 ――日暮が中三のときにくしてしまったもの。

 ここでなら、再び見つかるのだろうか。あの頃に思い描いていたものと同じくらいに魅力的な将来への道筋が。

 七瀬川のまさに明るい口調が、そして、その目の輝きが、日暮にそう感じさせた。


「オカルトをブライトに!」

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