しばらく飛んだ後、遠くの空を指してソーラはいった。

『ほら、見えてきましたぞ。昇太郎どの。あれに見えますのは、わらわたちの棲む神仙郷にございまする』

 ソーラの指さすほうを見ると、はるか天空高いところに霞みのような雲が浮いていた。昇太郎たちが近づくにつれて、雲のように見えていたものは、たちまちのうちに巨大な大陸へと変貌を遂げて行った。

『うわぁ、これは凄いや……。でも、どうしてこんなに大きなものなのに、飛行機とか人工衛星からは見つけられないのかい…』

『先にもご説明して差し上げたではございませんか。ここや、わらわたちの姿は人界からは認識できないことを、もうお忘れなられたのでありましょうや』

『そうだったか…。あんまりいろいろなことがあり過ぎて、何がなんだかわからなくなって忘れてしまったよ…』

『また、それもやむを得なきことかと存じますが、昇太郎どの。そなたはもはや神仙の一族に連なる身、昇太郎どの。もうすこし自覚をお持ちにならなくてはなりませぬ』

『はい、はい。わかりましたよ。ソーラさん』

『はいは、一回でよろしいかと存じます。昇太郎どの』

『はい、わかりました』

『それで、よろしゅうございますわ』

 そんな痴話ごとのような話をしながら、ふたりはゆっくりと神仙郷へ降り立った。

 神仙郷は、昇太郎が想像していた世界とは違って、古い琉球や中国のような建物が立ち並ぶ、見るからに古びた街並みだった。

『へえ…、ここが神仙郷か……。ぼくはもっと煌(きらび)びやかな街だと思っていたけど、わりとひっそりとした街なんですね。ソーラさん』

『そうでしょうか…。ここは古(いにし)えより続いております街でもありますゆえ、それも致しかたのなきことなのでございます』

 ソーラは昇太郎を連れて歩き出した。

『これから、そなたのことを神仙大師さまのところへお連れして、お目通りを願わなくてはなりませぬ』

『え、神仙大師さま…って、誰…、初めて訊く名前だけど……』

『はい、神仙大師さまと申しますのは、この神仙郷におかれましても、壮大なお力をお持ちの方であらせられます。大師さまは神仙郷はもとより人間界に及ぶまで、すべてお見通しという偉大なお方でございますれば、そなたも神仙の一族に身を委ねたる上は、ぜひともお目通りの上ご挨拶と、ご報告を致さねばなりませぬ』

『ふーん、そんなに偉いひとなのか…』

『さようでございますよ。もっとも、神仙大師さまのことゆえ、ご報告をいたす前にすべてお察ししているかとも思われますれば…』

 そうこうしている間に、天にも届かんと思えるほどの大きな屋敷が見えてきた。

¬『ほら、ここでございます。昇太郎どの、さあ、こちらからお入りください』

 ソーラは門前まで行くと、門番と思(おぼ)しき者と二言三言話してから、昇太郎を連れて奥へと入って行った。

『やはり、わらわの思った通りでございました。神仙大師さまは昇太郎どのの来るのを、いまや遅しとお待ち兼ねとのことでございました』

『でも、凄い方なのですね。何からなにまですべてお見通しだなんて、やっぱり神仙大師さまって神仙一族の頂点に立たれる方は、ぼくなんかに云わせてもらえば、ただただ「凄い」のひと言しか云いようがありませんよ…』

昇太郎の初めて見る神仙大師の屋敷は、通路も広く敷き詰められた絨毯(じゅうたん)には、色とりどりの宝石がビッシリと散りばめられていた。それは通路だけに止まらず、壁面や天井にまで及ぶ壮大なものでもあった。珍しい宝石に見とれて昇太郎は、あちらこちらと見渡していたが、ソーラはある一角までくると突然足を止めた。

『こちらのほうで、お待ちくださいとのことでした。どうぞ、こちらへ…』

 と、いうとソーラは壁に向かって進むと、ソーラの姿は壁に溶け込むように見えなくなった。昭太郎もおなじように壁に向かって歩いて行った。

 すると、次の瞬間には神々しいばかりの光に包まれた、広大な広間のようなところに立っていた。

『ここは一体どこですか。ソーラさん…』

『昇太郎どの、ここは「栄光の大広間」と申しまして、そなたのような方々だけが通されるところで、普段はわらわたちと云えども、滅多には入れぬところなのでござまする』

『そんな大それた場所に、ぼくなんかが入っても大丈夫なんですか…。ソーラさん』

『そなたは、いまや特別な存在になられた。ゆえに、この大広間に招じられたのです。ましてや、一月一日という一年に一度しかない、めでたき日に神仙の一族となられた身。それゆえにこそ、特別な計らいにより神仙大師さまが招じられたのです。このようなことは極めて稀なことなのです。それゆえ、そなたも心してお目通りをしなければなりませぬ』

 そんな話をしている時だった。

『これより、神仙大師さまのご出座……』

 と、いう、テレビの時代劇で「遠山の金さん」が白州に登場する時の、アナウンスのような声が響いてきた。

『いよいよ、いらっしゃったようです。さ、昇太郎どのも頭を低くして、大師さまのお出でをお待ちくださりませ』

 ソーラはひれ伏するように身を低くして、神仙大師が現れるのを待っていた。

『おお、待たせてしまったかのう…。ソーラ・マラダーニアよ、ずいぶんとひさしいのう…』

『恐れ入りまする。わらわのほうこそ、ご無沙汰を致しておりまする。神仙大師さま』

 ソーラはひれ伏したままで答えた。

『さて、その方(ほう)が此度(こたび)われらが神仙の一族に加わりし、大山昇太郎と申す者かの。遠慮はいらぬぞ。面(おもて)を上げなされ』

 昇太郎は恐る恐る顔を上げて、神仙大師と呼ばれている、ソーラたち神仙の長ともいうべき、老神仙の姿は白く淡い光を放っているように見えた。

その容姿はと言えば、白い薄絹の衣を身にまとい、白髪の長い髪を腰の辺りまで垂らし、真っ白な髭も胸下まで伸ばしていた。口元は髭に覆われていて、ものをいう時に髭の合間より微かに覗く程度なのだが、その目は眼光鋭くして、すべてのものを見通すほどの厳しさと、測り知れないほどの慈愛に満ちた温かさも感じられた。

『神仙大師さま。初めてお目にかかります。ぼくは大山昇太郎と申します。どうぞ、よろしくお願いいたします』

『うむ…。その方は、なかなかの面構えをしておるようだな。それは実に良いとじゃ、昇太郎』

 昇太郎を見下ろしながら、神仙大師は満足そうに頷いた。

『時に、昇太郎。その方は坂本龍馬という名は、知っておるであろう』

『はい、知っていますが…、それが何か…』

『知っておればよろしい。それと斉天大聖という名も知っておろうな』

『知っていますとも、斉天大聖・孫悟空のことですよね。神仙大師さま』

『おお、よく知っておるな。その方はまだ若いのに見上げたものじゃ』

『それは知っていますとも、坂本龍馬と云えば歴史上の人物で、明治維新寸前のところで何者かによって暗殺された人ですし、孫悟空と云ったら西遊記でしょう。その西遊記は、世界四大奇書のひとつに数えられる、超有名な物語じゃないですか。日本人なら九十九パーセントのひとが知っていますよ』

『それでは尋ねるが、その方はいま西遊記のことを世界四大奇書とか申したが、あれは作り話ではない。と、申したらいかがいたす気かな』

『えー、だって、大師さま。あれは完全フィクションの創作ですよ。実際に牛魔王とか金角や銀角、それに羅刹女がいたなんていう話は、見たことも聞いたこともありませんよ』

『それでは聞くが、その方の云う西遊記の中に登場する、三蔵玄奘は実在の人物なのだぞ。この現状はどう解釈する気かの。昇太郎』

『そのように云われましても、ぼくはいまのいままで、西遊記は創作だとばかり思っていましたので、大師さまに反論するつもりはありません…』

『なかなか潔い態度だのう、昇太郎。ところで、その方は坂本龍馬のことはどのように考えておるのかの』

『その前に、大師さま。ひとつだけ教えていただいて、よろしいでしょうか…』

 昇太郎は、戸惑うような素振りを見せて、神仙大師に訊ねた。

『なんじゃ、どのようなことかの…』

『はい、神仙大師さまは先ほどから、坂本龍馬や孫悟空のことばかりおっしゃっておられますが、坂本龍馬と孫悟空とは、どういう関係がおありなのでしょうか…』

『おお、それじゃ、それじゃ。わしも少しばかり歳をとり過ぎたかの…。

 実はの、昇太郎。坂本龍馬をあのままにして置くのは、どうにももったいないと、わしは前々から考えてったのじゃが、いかんせん神仙郷も手不足でな。いままで延び延びになっておったのじゃが、そこでどうじゃろうの、昇太郎。その方がこれからすぐにと云わぬが、慶応三年十一月十五日の京都近江屋まで翔(と)んで、坂本龍馬をこの神仙郷まで連れてくるのじゃ。すでにソーラより翔時解は伝授されたであろう』

『はい、それは判りますけど、坂本龍馬を神仙郷に連れてくると云うことは、もしかして龍馬を生き返らせるということですか。大師さま』

『いや、いくら神仙とは云えども、それはやってはならぬことなのじゃ。人間にはそれぞれ持って生まれた寿命というか、運命というものが定められているからの。

 それに、もし龍馬を生き返らせとしたら、人間界の歴史そのものが変わってしまうのじゃよ。そのようなことはあってならぬことなのじゃ』

『それではどうして、坂本龍馬をこの仙郷に連れてこいと、おっしゃられるのでしょうか…』

『うむ、それはの、昇太郎。わしは龍馬のあの類い稀なる才覚、時代を超えて未来をも見通すような、あの感覚が実に惜しいと思うてのこと、それ故に仙郷に招じてわれらが神仙の一族に加えたいと思うたまでのことじゃ』

『しかし、大師さま。ぼくは慶応三年の京都も近江屋も分かりません。そりゃあ、坂本龍馬は写真も残っているし、有名だから分かりますよ。たけど、京都ですよね。しかも幕末の慶応三年じゃ…、まったく自信ありません…』

『心配いたすな。昇太郎、その方ひとりで往けとは申しておらぬ。ソーラ、そなたが一緒について往ってやるがよいぞ』

 それまでかしこまっていたソーラも、突然の神仙大師の言葉に一瞬驚いたように、

『はい、かしこまりましてございまする。大師さま』

 と、再び、ひれ伏するようにして言った。

『良いか、昇太郎。分かっているとは思うか、決して龍馬の生命を救ってはならぬぞ。一度決定された事象は何としても変えてはならぬのじゃ。良いな、昇太郎。

 それから、その方には孫悟空ではないが、斉天大使という称号を遣(つか)わそう。

 それと、どんな物にでも姿の買えられる、「万華変」という力を授けて遣わそうほどに、心して往って参るがよいぞ』

 昇太郎とソーラに言い渡すと、神仙大師は何処へともなく姿を消し去った。

『斉天大使…か、何だかこう、照れくさいんだよな…。フフフ…』

『とんでもございませぬ。昇太郎さま。斉天大使さまともなりますれば、もはやわらわどもなど足元にも及ばぬ存在。なにとぞ、いままでのご無礼の数々、平に平にご容赦のほどをお願いいたしまする』

『え、何を云っているんですか、ソーラさん。無礼だなんて、そんなことはないですよ。それに助けてもらったのは、ぼくのほうなんだし、そんなに謝られても困りますよ。そんなことより、慶応三年十一月十五日の京にはいつ往きますか。これからすぐ出かけるんですか。それとも…』

『いいえ、そのように急ぐ必要はございませぬ。昇太郎さまは何かとお疲れのご様子ゆえ、今晩はごゆるりとお休みくだされませ。ほれ、先にいい夢を見させて差し上げますと、お約束をいたしたではございませぬか。ほほほ、さあ、参りましょうか、昇太郎さま』

 こうして、ソーラは昇太郎を連れて自らの館へと案内して行った。

『昇太郎さま。ここがわらわの館にございますれば、どうぞ、遠慮なくお上がりくださりませ』

 ソーラの館も、神仙大師の屋敷ほどではないが、豪華な館であり門番もふたりほど立っていた。ソーラは門番のひとりに、何ごとかを云いつけると館の中へ入った。

『ささ、こちらでございますれば、あちらの奥のほうにお出でください。これ、そこの者。こちらの斉天大使さまを、奥のお部屋まで案内を頼みますぞ』

 ソーラは近くにいた、まだ歳の若い娘を呼び止めると、何ごとかを耳打ちした。

『昇太郎さま。この娘がに案内させますゆえ、どうぞごゆるりとお寛(くつろ)ぎください。わらわも後ほどお伺いいたしますゆえ、どうぞよしなに…。

 これ、ソラシネ。こちらの斉天大使さまに、くれぐれも粗相のないようにお仕えするのですよ。昇太郎さま、わらわはこれにてお暇(いとま)をいたしますれば、それでは、また後ほど…』

 昇太郎とソラシネを残し、ソーラは何処へともなく立ち去って行った。

『こちらでございます。どうぞ…、斉天大使さま』

 このソラシネと呼ばれた、若い天女は昇太郎の前をしずしずと歩いて行く。薄絹を纏(まと)った天女は衣を通して、しなやかな身体をそのまま彷彿とさせるような、幻影を昇太郎に抱かせたまま黙々と歩き続けた。

『ここでございます。斉天大使さま。どうぞ、お入りください』

 昇太郎が通されたのは、大きな食(テー)台(ブル)の上にはさまざまな食べ物や果物。それに、これまでに一度も見たこともないような、ありとあらゆる珍しい食物や、飲み物などで満たされていて、その周りには天女の使い女たちが、気忙しげに斉天大使・昇太郎を迎える準備に追われていた。

『うわぁ、みんな忙しそうだな…。よし、ぼくも手伝ってこようかな…』

『とんでもございません。そのようなことをさましては、わたくしがソーラさまよりお

叱りを受けてしまいます。なにとぞ、お止めくださいませ。大使さま』

 そのうちひとりの使い女がやって来た。

『たいへんお待たせをいたしました。ようやく準備のほうも整いましたので、なにとぞお席のほうにお着きくださいませ。もう、間もなくソーラさまもお見えになりますゆえ…』

 昇太郎が席に着くと、使い女たちが次から次へと彼のもとへ、珍しい料理が運ばれてきた。あまりに多くの料理を運んでくるので、昇太郎の食台の前は見るみる食べ物で溢れ返っていった。

『さあ、斉天大使さま。まずは食前酒などをお召し上がりくださいませ』

 ソラシネは、現代のワイングラスのようなものを、昇太郎に手渡すとギヤマンでできた酒壺から、黄金色に輝く液体をなみなみと注いでくれた。

『うわ、こんなにいっぱい注いで…。でも、こんなに飲めるかなぁ…。ぼくあんまり酒強くないし…』

 それでも、昇太郎は注いでもらった酒をひと口飲んだ。

『うまい、これ何という酒ですか。ソラシネさん』

『はい、それは「天馬の涙」という酒でございます。大使さま』

『天馬の涙…。天馬というのは、あのギリシャ神話に出てくる、ペガサスとかユニコーンのことですよね。ソラシネさん』

 グラスを食台に置きながら訊いた。

『はい、天帝さまのお乗りになられる、羽根の生えた真っ白な馬とか訊き及んでおりまするが…』

『へえー、天馬の涙か…。それじゃ、うまいわけだ……』

 昇太郎とソラシネが話をしているとこへ、大きな虹色に光輝く酒壺を抱えたソーラが入ってきた。

『斉天大使さま。長らくお待たせをいたしまして、まことに申しわけございません。

 わらわは、これなるものを探し求めておりまして、つい長引いておりました。平にお許しのほどをお願いいたしまする』

 と、詫びを入れながら虹色の酒壺を、昇太郎の食台の前に置いた。

『何ですか。これは…、ソーラさん』

『はい、これなる酒は「霞の雫」と申しまして、神仙郷の霞を吸い集めまして造り上げし酒。これをぜひとも、斉天大使さまにお飲みいただきたくて、探し求めてまいりまいりました。これ、そこな者。早う杯(グラス)をお持ちいたさぬか』

 ソーラが近くにいた使い女に言いつけた。

『さあ、斉天大使さま。これをお飲みになって、ごゆるりとお休みください。さすれば、大使さまは極上この上もない、良い夢をご覧になられることでありましょう。さあ、どうぞお飲みくださいませ』

 ソーラは虹色の酒壺を取ると、使い女が新たに持ってきた杯に注ぐと、優雅な手つきで昇太郎に渡した。手渡された杯を見ると、淡い緑色をした液体が半分ほど注がれていた。

『この霞の雫っていうのは、一体どういうお酒なんですか…。ソーラさん』

『はい。ですから、この酒をお飲みになられますと、斉天大使さまに極上の夢をお届けできるかと思われますので、ひと口なりとお召し上がりくださいませ』

 昇太郎はひと口だけ飲むと、

『うまい…』

 と言うと、残りの酒を一気に飲み干してしまった。

『もう一杯いかがですか。大使さま』

ソラシネが、また昇太郎の杯に注いでくれた。昇太郎は、それも一気に飲み干すと、急に眠気を催したのか椅子の背もたれに倒れ掛かった。

『大使さま。だいじょうぶでございますか』

ソラシネの問いかけにも、

『大丈夫だけど…、何だか眠くなってきた……』

と、言ったきり、椅子にもたれたまま眠り込んでしまった。

『ソラシネ。斉天大使さまはお休みあそばされました。さあ、これからがわらわたちの出番でありますゆえ、早うに斉天大使さまを寝台にお運びしなさい』

 すると、使い女たちが大勢集まってきて、昇太郎の身体を包み込むようにして抱え上げると、そのまま寝室のほうへと運んで行った。

『さあ、わらわたちもまいりましょうか。ソラシネ』

 ソーラとソラシネも、昇太郎が運ばれた寝室へと向かって行った。

 その頃、昇太郎は深い眠りについて夢を見ていたが、それが夢であることを昇太郎自身にも解るのが不思議だった。

 とにかく、何もない空間に浮かんでいる夢だった。何をしようとしているのかさえ分からず、ひとりでただ呆然と浮かんでいるだけで、これから何をしようとしているのか、何処へ行こうとしているのかさえ分からず、何も可もが霧の中に溶け込んでしまったような夢だった。

「そうだ。ソーラさんに『霞の雫』という酒を飲まされて、そのまま眠ってしまったからこんな夢を見ているんだな。きっと、それにしても、ちっとも面白くもなんともないじゃないか…。『いい夢を見させてあげますから』なんて云ったのに…」

 昇太郎は、そんなことを思い出しながら、ただ呆然と浮かんでいるだけだったが、下のほうを眺めていると、突然ソーラとソラシネが浮かび上がってくるのが見えた。

『あ、ソーラさんとソラシネさん。やっぱり来てくれたんですね。よかった……』

『大変、お待たせをいたしまして、申しわけもござりませぬ。約束どおりに斉天大使さまは、いま現場すでに夢の中におられます。そして、これよりわらわとソラシネで、さらに素晴らしい夢をご覧になって頂きますれば、ごゆるりとご堪能くださりませ』

 羽衣をまとった天女姿のソーラとソラシネは、昇太郎の目の前で天女の舞とでもいうべき踊りを舞い始めた。じつに優雅で華やかなうっとりするような舞いであった。

 見事なまでのふたりの舞いに、昇太郎はただ呆然と見とれていた。そのうちソーラが、自分の着衣に巻いている腰ひもを解き始めて、それをソーラが手から離すと薄絹の帯は、きらびやかな蝶のように舞い落ちて行った。続いてソラシネも同じように薄絹を解くと手を離し、手から放れた薄絹も陽炎が揺らぐようにヒラヒラと舞い落ちて行った。

『さあ、ここからが真(まこと)の夢にございまする。斉天大使さま』

 と、いうよりも早くソーラは、自ら身に着けていた薄絹の天女の衣を、すべて脱ぎ去ると一糸まとわぬ神々しい裸身を露わにしていた。

『何をなさるんですか…。ソーラさん』

 昇太郎は少しうろたえながら叫んだ。

『さあ、ソラシネ。そなたも身に着けているものは、すべて脱ぎ去るのです』

『はい、かしこまりました。ソーラさま』

 ソラシネもソーラと同じように、自分の着けていた衣を一気に脱ぎ去ると、まだ幼さが残る可愛らしい胸を晒していた。

『や、止めてください…。ふたりとも、何をなさるのですか……』

 昇太郎の問いかけにも答えず、ソーラとソラシネは左右から昇太郎を抱え込むと、淡い雲の湧きあがる谷間へと消えて行った。

『うわぁ……』

 昇太郎の夢は、そこでピリオドが打たれた。

『如何でしたでしょうか。斉天大使さま。ただいまの夢には、ご満足頂けましたでしょうか』

 昇太郎がめをけると、ソーラとソラシネがニッコリと微笑んでいた。

『それじゃ、いまの夢はふたりが……』

『はい、お粗末さまでございました。それでは、斉天大使さまもゆっくりと、お休みになられたようでございますれば、これより直ちに慶応三年の京に旅立ちとう存じますが、よろしゅうございましょうや』

『いいよ。ぼくはいつでもOKさ』

『それでは出発をば致しましょう。ソラシネが、留守のほうは頼みましたぞ』

 こうして、昇太郎とソーラは坂本龍馬が暗殺されたという、慶応三年十一月十五日の京近江屋に向けて旅立って行った。


     

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