第21話 危険地帯(ホーム・タウン)への帰還

 一

 水曜の昼過ぎにジョン・F・ケネディ国際空港JFKった飛行機は、木曜の夕方に羽田に到着した。出国前の天気予報通り、東京は晴れている。

 紫乃はブルー・ハワイのごとく青い空を眺め、自分の置かれた状況から目をらす。

 ――東京の空も、意外と綺麗じゃのぅ。

 ぼんやりと空を見上げ、ゆるりとカクテルでも楽しみたい。広島ふるさと近付ちかづくにつれ、両親を殺され、まだ自分の身も危うい現実が、真正面から迫る。

 入国審査を終え、ターンテーブルで車椅子を受け取る。ロイが紫乃を軽々と抱き上げ、機内用の車椅子から乗せ換えた。比嘉が貸してくれた小型の車椅子は、座り心地がしっくり来て、心まで落ち着く。

 ロイが、心配そうに紫乃の顔を覗き込んだ。

「大丈夫か? 随分疲れてるみたいやん」

「こぎゃぁに時差呆じさぼけが乙女の体をむしばむとは、知らなんだわい」

 重力が倍増したように、羽田に降り立ってから身も心も重い。重傷を負って、まだ日が浅いせいか。ロイがビジネス・クラスにしてくれたありがたみを、今になって痛感する。

「病院に戻ったら、ひと通りの検査が必要やな。比嘉にメールしとくわ」

 ロイがスマホを取り出す。この金髪ガイジン講師は、本当にマメに動いてくれる。

 ――傷が痛けりゃ痛いほど、いつくばってでも、前へ進まんかい!――

 ガラの悪い外見とは真逆の台詞セリフが、後退あとずさりしかけていた自分の背を。これからもそばて、もしまた前へ足を踏み出せなくなったら、次は優しく背中を押して欲しい。

 ――男の意外な一面に、乙女はよわぁのぅ……。

 ふと、もう一つの現実を思い出す。

 ――うちは、この不良ガイジン講師と公認の仲じゃった!

 福山医大の地下から最上階まで、既に噂は広まっているだろう。殺人未遂事件の被害者として耳目を集める研修医が、入院中に外泊届を出し、指導医と二人きりで旅行しているのだ。

「お前、顔が真っ赤やんか。熱でもあるんか?」

 ロイが、グローブみたいに巨大な手を紫乃の額に当てた。慌てて、はらける。

「大丈夫じゃわい! あんたこそ、大儀たいぎぃじゃろ? 運転に次ぐ運転じゃ」

 飛行機を乗り継ぎ、広島空港から福山医大病院へ帰り着く頃には、すっかり夜になる。

「アホ、俺はハンドルを握ると人が変わるタイプや。アクセルを踏んだ瞬間、目ぇバッキバキにひらくで」

「そぎゃぁに気の荒い男の車に、乗りとぅぁわい。アクセルと言やぁ、あんたのお父ちゃんには随分と世話になったのぅ」

直接会ぅて話して、満足できたか? 感想は、どないやねん?」

「最後はフツーのお父ちゃんの顔じゃったが、仕事になると恐ろしい話を始めるけぇのぅ。人の命をコントロールするじゃの、世界を変えるじゃの。金も権力も、手の届きそうな物は全て手に入れたがる野心家じゃな」

「お前も、金持ちになるとかセレブになるとかほざいてたやん」

「うちには、あぎゃぁな執念はぁわ。口ばっかしで、結局は何もできんタイプじゃ。世界は、執念が強い人間の自己実現欲で動いちょるんかのぅ? そぎゃぁな人にとっては、善も悪も関係かんけいぁわ。自分が正義じゃけぇ」

「親父が……ったと思うか? 新薬の狩人ドラッグ・ハンターに命令して、お前の両親を」

「じゃったら、あぎゃぁな可愛いもんで、うちを丸め込もうとはせんじゃろ。札束でも出しちょったら、うたごぅたがのぅ」

 時価総額トップ企業の最高執行責任者COOがまごまごしながら差し出した、アメフトのヘルメット型の丸っこいマグカップ。見た瞬間に、体じゅうの力が抜けた。

「アスタリスクが、親父のあずかりらん所で新薬の狩人ドラッグ・ハンターを雇った可能性もあるやろ。明日あたり、広島県警と情報交換しよか」

 広島行きの搭乗口へ向けて、ロイが紫乃の車椅子をぐいと押した。


  二

 福山医大病院へ着くと、午後九時を過ぎていた。照明が落ちた病院の廊下から、集中治療室ICUへ入る。

 紫乃の目に、一気に光が飛び込んだ。

「おかえりんさい!」

 多床室のあちこちから、夜勤の看護師ナースの声が掛かる。

 青いスクラブの上下を着た、スキンヘッドの男が振り向く。比嘉だ。

「どうじゃった、伊豆の温泉病院は?」

 普段より大きめの声だ。演技を再開してぼんやりしている紫乃に代わり、ロイが答える。

「イマイチやったわ。他に、ええ病院を探さなぁアカン」

「伊豆まで行ったんに、骨折りぞんじゃったのぅ。ところで、お客さんがお待ち兼ねじゃ」

 比嘉が、顎で個室を指した。個室には、ブラインドが下りている。

「ついにアメリカン・フットボール《NFL》が俺をスカウトに来たんか! 俺以上の強肩QB《クォーター・バック》は、世界じゅうを探してもそぅそぅ見当たらんもんな」

 どんなに疲れてもボケ倒すロイを、紫乃は尊敬し始めている。

「アホゥ。お前らは病院見学へ出掛けちょる、帰るのは今晩じゃと伝えたら、広島県警が飛んで来たわい」

 個室へ入ると、スーツの上下にノーネクタイの男二人が丸椅子に座っていた。くわっとと光る鋭い目付きに、がっちりとした骨太ほねぶとの顎。たでまる小早川こばやかわだ。

「お帰りんさい……わしらに、なぁんも伝えんと行くんじゃけ」

「よぅ無事で帰って来たわい……さっき看護師が教えてくれたんじゃが、いつから二人はなんね?」

 あきれた口振りだが、二人とも目元が興味深ぶかげだ。

「乙女をイヤラシイ目で見るんじゃぁわ!」

 声が外へ漏れない程度に、紫乃は一喝しておいた。

「俺たちが流したフェイク・ニュースやねん。ちなみに、俺には何のメリットも無いどころか、デメリットだらけの偽装や」

 ロイがかいつまんで、伊豆ではなく米国アメリカまで往復するための嘘だと説明する。

「あんたら、米国アメリカまで行って来たんね!」

「で、アスタリスクのナンバー2とは、どぎゃぁな話をしたんじゃ?」

 る蓼丸をよそに、小早川はちゃっかりと膝の上でノートパソコンを開く。

「親父は、全っ然、めげてへんかった。頓挫してる『timeless』の臨床試験のデータを使つこて、新たな研究を立ち上げる気や。新薬の狩人ドラッグ・ハンターも日本の怪しげな薬も知らんし、興味が無い、って言い切りよった」

「嘘をついたんじゃろ。息子と、親を殺された本人を目の前にして、『殺人コロシを命じたのはわしじゃ』と認めるもんらんけん」

「その通りや。俺も、頭から信じたわけやい。そっちは、どやねん? なんか捜査に進展があったから、急いで来たんやろ?」

 蓼丸が得意そうに胸を張った。

「刑事の勘じゃ。病院に連絡したら、あんたら二人がらんと聞いて、ピンと来たんよ。こりゃぁなんくさぁと、のぅ」

 蓼丸の横で、小早川はめた顔でパチパチとキーボードを打っている。

 紫乃は、肩をすくめて見せた。

「何も事件は起こっちょらんわい。あんたら、刑事としての嗅覚がボロボロじゃわ。ちくのうで鼻が詰まっちょるんか」

わしらには十分な収獲があったがのぅ。警視庁公安部の外事課でも、アスタリスクのナンバー2と直接ちょくせつぅて話すんは無理じゃけぇ」

 なおも得意げな蓼丸へ、ロイがげっそりと口角を下げた。

「俺らへの手土産は無いんかい。新たな捜査情報とか」

 蓼丸が、小早川と顔を見合わせた。

わしらが手に入れたんは、ありふれた内部事情じゃ。アスタリスクの最高経営責任者CEOのマシュー・ランガーと最高執行責任者COOのアクセル・トルシュは、ここ数年、かなりの不仲じゃった。特に、アクセルが国立衛生研究所NIHから高値で『時騙し』の研究機密ネタを買い取るにあたり、マシューは大反対したらしい」

 ほぅ、とロイが驚いた顔を見せる。

「ってことは、マシューは『timeless』の研究に首を突っ込むわけがいやん。もしアスタリスクが新薬の狩人ドラッグ・ハンターを雇ったんなら、主導したのはやっぱり親父っちゅう結論になるわな?」

 ――公正な男じゃわい。悪さしかできんツラをしちょるくせに。

 紫乃から見ると、ロイはアクセルと似ている。熱く沸騰する感情を持ちつつ、導き出す判断はくまで合理的だ。

米国アメリカまで行ったんに、話が振出ふりだしに戻っちょる。結局、うちは誰に狙われちょるか、分からんままじゃ。これ以上意識が戻らんフリを続けるんも、うんざりじゃのぅ」

 帰国したばかりの疲労も手伝い、つい口から本音が滑り出た。


  三

 金曜朝の検温の後、行木がロイと一緒に病室へ入って来た。のそり、のそり、と緩慢な動きで、以前よりも更に右足を引きっている。

 紫乃は、視線をぼうっと宙に彷徨さまよわせる。

「ほいでぇ、三阪くんはぁ、伊豆でぇ何か特別な治療をしてもろたんかぁ?」

 重低音の濁声だみごえは、酔っ払っているように呂律ろれつが回らず、聞き取りづらい。

「いや、見学して来ただけですねん。教授には留守を預かって頂いて、んまへん」

「意識はぁ、やっぱり完全には戻らんのかぁ? 片麻痺もぉ、ぅならんのかぁ?」

 白髪が増え、目にはどす黒いくまが重く垂れ下がり、行木は疲れ切った表情だ。緑の麻婆豆腐を鯨のごとく豪快に掻き込んだあの日とは、別人のように老け込んでいる。

「今のところ、横這よこばいですわ」

「可哀想になぁ、まだ若いのにぃ。この二泊三日ぁ、ちょっとはゆっくりとぉ、二人きりの時間を過ごせたんかぁ?」

「そらぁ……ずっと、イチャイチャ、ラブラブでしたわ!」

 半ばヤケクソのように、ロイが吐き捨てた。

 カァッと顔が火照りそうになり、紫乃は慌てて気持ちを落ち着かせる。

「若いってぇ、ええなぁ。障害を乗り越えるパワーがあるもんなぁ」

 しみじみと行木が呟いた。覇気が無い。

 比嘉が病室へ入って来た。

「行木教授、朝早あさはよぅからお疲れ様です! ロイ、三阪の血液検査は特に問題が無かったわい。無事に外泊もできたし、そろそろ一般病室へ移そうと思うんじゃ」

「一般病室って……紫乃ちゃんの安全は、どうなるねん?」

 ロイが真っ先に、不安げな声を上げる。予想していたように、比嘉が頷く。

「VIP病棟の病室を、自由に三阪に使わせようと思うんじゃ。警備と庶務課に言うて、セキュリティを全面的に強化しておいたけん。出入口に監視カメラを設置して、職員証IDを照合してドアが開くたび、VIP病棟内と警備室に警報音アラートが鳴る仕組みじゃ」

「めっちゃ完璧やん!」

 ロイが感嘆の声を上げた。VIP病棟に誰かが出入りするごとに、警備室では監視カメラへ目を光らせる。紫乃も、警報音アラートを合図に、侵入者に警戒しつつ演技を再開すれば良い。

 ――さすがは米国アメリカ帰りの、新進気鋭の教授サマじゃ。いつも先々を予測して、手回しが早いわ。どっかの米国アメリカ人モドキの不良講師とは、格が違うわい。

 口に出すと、ロイはねるだろう。恐らく比嘉は、意識障害の演技にんでいる紫乃の心裡しんりにも、気付いている。

 身の安全さえ守れるなら、演技を続けずに済むのはありがたい。VIP病棟は明るく開放的で、外の景色も眺められる。

 行木の重い濁声がかぶさった。

「自由に使うっちゅうてもぉ、三阪くんは意識が無いんやでぇ? 危険とちゃうかぁ? 誰もらんとこでぇ一人で転倒でもしたらぁ、危ないでぇ」

 いやいやいや、と即座に否定する比嘉とロイの声が、重なった。

「しっかりと受け身を取れるくらいの意識はあると、運動療法士から報告を受けちょりますけん。うちの科の女性講師にも定期的に様子を見に行かせますし、大丈夫ですけぇ」

「比嘉教授が太鼓判を押すんやったらぁ、安心やなぁ」

 あっさりと、行木が引き下がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る