第7話 襲撃者の見落とし

  一

 鑑識員と共に当直室へ入った瞬間、紫乃は確信した。

 ――お父ちゃんは、そぎゃぁに凄い薬を創ったんじゃのぅ。

 白衣のポケットに入れたスマホを、握り締める。

 当直室の机に置いた財布は、そのままだ。なのに、スーツケースが床で大開きになり、中を引っ掻き回され、衣類が床に散らばっている。

 しばらく待たされた後、紫乃はVIP病棟の面会室で、鈴木と松本という二人の刑事に名刺を渡された。主に鈴木が事情を訊き、横で松本がノートパソコンを開いて調書を作成する。

「スーツケースは、施錠しちょりましたか」

「閉じたけど、鍵は、しちょらん。当直室のドアには鍵を掛けたし、VIP病棟には誰も入れんと思うちょったけぇ」

「何か、盗られちょりましたか」

「無事みたぁじゃった。財布も、服も」

 だいいち、下着以外の衣類は、ほとんど持って来ていない。院内で過ごすなら、病院から支給されるスクラブと白衣があれば、事足りる。

「犯人は、何が目的で三阪先生の当直室へ入ったんかのぅ?」

「全く、分からんのじゃ」

 本心だった。父の日誌が欲しいなら、奴らは既に手に入れたはずだ。

 実家からは、小型の金庫が消えていた。その中に、売上金や釣銭や帳簿のほか、日誌も入っている。日誌のPDFは、研修医宿舎から盗まれた紫乃のパソコンにも、これ見よがしにデスクトップに置かれていたはずだ。

 ――日誌の内容が理解できんけぇ、他に手掛かりを探すためにうちをねろぅたんか?

「どぎゃぁしたですか?」

 鈴木が、紫乃へ心配そうな顔を向けた。

「なんね? うちに見惚みほれちょるんか」

「いや、先生がこわぁ顔をなさっちょるけぇ」

「いつの世も、美人は恐ろしいもんじゃ。刑事なら、そのくらい知っちょろぅが」

女子おなごと付きぅちょる暇もぅて、分からんのじゃ。刑事は、残業は多いし、手当はほとんど付かんっちゅう、ブラック職種じゃけぇ」

 鈴木と松本が頷き合い、ガックリと肩を落とす。

「ほぅね。まだ二人ともわきゃぁのに、もったいぁのぅ」

「先生のほうがよっぽどわきゃぁし美人じゃぁ。言い寄って来る男は、掃いて捨てるほどろぅが?」

「いっぱいるんよねぇ……」

 紫乃は指を折って数え始めた。

 ――研修医は、まず全員がうちに惚れちょるじゃろ? 朝、うちが研修医控室へ入るたびに、皆が振り返るけぇのぅ。

 同期の研修医二十名中、半数以上が男性だ。加えて、病院を歩いていると、あらゆる年代の男が紫乃を目で追う。

「指が足らんわ」

「そ、そぎゃぁなね?」

 松本が目をく。その横で、呆れたように鈴木が天井を見上げた。

「お医者さんたちのメンタルは、大丈夫かのぅ」

 細めた鈴木の目が、記憶をたぐり寄せている。

「さっきの羽立先生も、疲れて頭がまともに働いちょらんかったようじゃし……」

「殴られたせいじゃろか?」

 紫乃は、急に心配になってきた。

「ロイ先生、右目が腫れて眉間みけんあざができちょった。うちの身代わりになったんかも知れん」

「てことは、殴られるんは三阪先生の予定じゃったんかのぅ?」

 鈴木の目が、キラリキラリと光を放つ。

「昨日、尾道署にも伝えたんじゃ。若返りの薬を狙う奴らが両親を殺して、うちの荷物まであさっちょるんじゃぁかと」

「なんの薬じゃって?」

「お父ちゃんが創った、秘密の薬じゃ。飲んじょると体が何十年も若返って、心にも少年少女のような感性が蘇るんよ」

 若返り薬の存在を明かしたところで、鈴木と松本に過度の期待はしていない。昨日は、紫乃が意を決して喋った割に、刑事たちの反応は薄かった。真剣に話を聞いてくれないなら、喋り過ぎるのも怖い。

「素晴らしい薬じゃ! そりゃぁ皆が欲しがろぅで! あんたぁ、それを持っちょるんか?」

 鈴木は、たやすく受け入れたようだ。

「うちは持っちょらんし、どぎゃぁに作るんかも知らん。作り方が書いてあるお父ちゃんの日誌のPDFは、昨日パソコンごと盗られてしもぅた」

 白衣の中で、スマホの存在を確認する。

「その薬をねろぅちょる奴に、心当たりはあるんか?」

「全くぁよ。お父ちゃんは、薬の存在を三阪家だけの秘密にしちょったけん」

「親戚はるんか?」

らん。親しゅう付きぅちょる薬剤師仲間みたぁなんも、らん。お父ちゃんは、家の外では口数がすくのぅて、用心深い人じゃったけぇ」

「薬の存在を知っちょるもんは、らん。じゃのに、その薬しか、狙われる心当たりがぁと」

「羽立先生の言うた通り、三阪先生の回りで事件が起こっちょるし、のぅ。ホンマに、その薬が動機かも知れんのぅ」

 鈴木と松本の目付きが、徐々に確信の色を帯びる。

 ――頼れる刑事さんたちじゃのぅ。

 寄るの無い紫乃の心に、ぽっと小さなあかりがともった。

わしらは、調書をまとめて所轄にいどくけん。ご両親の件は残念じゃったが、先生が無事なら、ご両親は喜んどってじゃ。体を大事に、のぅ」

「うちの代わりに、ロイ先生が殴られてしもぅたわ」

こまきゃぁことは、気にせんでええが」

「ほぅよ。ありゃぁ、わしらの何倍も打たれ強いけぇ」

 うなだれる紫乃をよそに、鈴木と松本がハハハハと二人で笑い合いながら聴取を終えた。

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