第5話 乙女の隠しごと

  一

 福山から尾道へ近付くにつれ、国道二号線は尾道水道の海沿いを走る。

 紫乃は、同乗する刑事たちに気付かれぬよう、車のサイド・ウィンドウに顔を寄せた。海辺に点在する木目の古びた舟屋ふなやの隙間から、エメラルド・ブルーに波立つ尾道水道が切れ切れに見える。

 口の両端をキュッと上げ、笑ってみた。

 ――尾道は、やっぱり最高じゃのぅ。

 雨の日も、晴れの日も、いつも景色はそばてくれる。家族でドライブするとき、紫乃は常に後部座席の海側に陣取った。前に座る父も母も、車窓から尾道水道を眺めるのが大好きだった。

 車が、尾道署前に滑り込む。電話会社やガソリン・スタンドなどの商業施設に埋もれた、目立たない造りの三階建てだ。これまで幾度いくども前を通ったが、存在を気に留めたことがなかった。

 建物に入って見廻すと、白い壁紙があちこち剥がれている。刑事たちに誘導され、すぐに霊安室へ通された。

 照明が暗い。二つの安置台に、それぞれ遺体が載せられている。顔に掛かった白い布を順にめくると、父と、母の顔が出て来た。精巧な人形のごとく、無表情だ。肌は少し黄ばんでいるが、解剖学実習で見た御献体ごけんたいほど、黄褐色では無い。

 胸のど真ん中を、透明な砲弾で撃ち抜かれた。体が頼りなく、空っぽだ。

「うちの両親で、間違いぁです」

 現実感がい。父も母も、相変わらず若々しい精悍な顔つきのままだ。

 ――見た目で分かるじゃろ?――

 父は、つい先月、そう言って「若返り薬」の効果を得意げにアピールしたときの悪戯いたずらっぽい笑みさえ浮かべそうだ。

 指で、頬をでてみる。紫乃は、ビクッと手を引っ込めた。

 ――大丈夫、大丈夫。

 自分に言い聞かせる。絶対に泣きはしないと、心に決めている。冷たく弾力を失った頬に、ただ驚いただけだ。

「ご両親はこれから福山医大病院へ運ばれて、司法解剖を受けます」

 刑事の低い声が、コンクリートの壁で幾重いくえにも反響し、耳障みみざわりだ。

 突っ立ったままの紫乃を、刑事が二階へ案内した。雑然とデスクが並ぶオフィスで、二人の刑事に名刺を手渡された。広島県警察刑事部捜査第一課、蓼丸たでまる淳也あつや巡査部長と小早川こばやかわすぐる巡査長。二人とも、三十半ばだろうか。意志が強そうながっちりとした顎を持ち、異様に鋭い目付きをしている。

 デスクの一つに陣取り、事情聴取が始まった。

「お時間を取って申し訳無ぁが、犯人を捕まえるために、大事な作業じゃけぇ」

 主に蓼丸が質問し、ノートパソコンへ向かって小早川が記録を取る。最後に両親と会ったのはいつだの、変わった様子は無かったかだの、事件当夜、紫乃はどこで何をしていたかだの。

 ばんっ!

 両手で机を叩き、紫乃は一喝した。

「つまらん質問ばぁしても、時間の無駄じゃ! 犯人はうち以外じゃけぇ、ボサッと座っちょらんでサッサと探せぇや!」

「他に何か心当たりがあるかのぅ。こまぁことでも、なんでもええけぇ」

 眉ひとつ動かさず、蓼丸が問いを重ねる。

「お父ちゃんの薬が目当てじゃ。他に目ぼしい宝なんか、三阪家にはぁよ」

「薬っちゅうても、色んなのがあるけん。……どんな薬ね?」

 優しく微笑みつつ、蓼丸が興味深げに目を細めた。

「飲んだら、何十年も若返る薬じゃ。お父ちゃんが、自分で創ったんよ」

「そぎゃぁに元気になる薬なら、わしも飲みたぁのぅ。薬のもとっちゅうか……は、自宅で栽培しちょったんか」

「ぶちまわしちゃろぅか! このクサレ刑事が!」

 紫乃は、椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。

「お父ちゃんが創ったんは、違法ドラッグじゃぁわ!」

 苦笑いしつつ、小早川が腰を上げた。椅子を拾い、紫乃の後ろへ戻す。

「そうは、言うちょらん。その薬、ご両親も飲んじょったんか?」

「刑事さんも気付いたじゃろ? あの二人が、まさか八十九歳と八十二歳とは思えんじゃろ? 子宝に恵まれんまま、四十手前しじゅうてまえで閉経しかけたお母ちゃんのために、お父ちゃんが創り上げた『若返り薬』の効果じゃ」

 蓼丸と小早川が、初めて動揺したように、顔を見合わせた。

「その薬を飲んじょったら、血液には何かの反応が出るんかのぅ?」

「うちは、薬の具体的な中身を知らん。未知の薬なら、血液から検出する方法もぁじゃろ。両親はなにかしらの薬を煎じて飲んじょったが、毎日の日課じゃけぇ気にも留めんかった」

「ドーピングみたぁなもんじゃの」

 口に出してから、蓼丸は「しまった」という顔をした。

「じゃーけぇーえ! 違法なもんと一緒にするなーとぉー、うちはぁー、言うとルゥー」

 何とか暴発を抑えると、怒りは甲高い歌声へ昇華した。声が震え、ピクピクと頬が引き攣る。

 慌てて小早川がす。

「分かっちょる、分かっちょるけん。……お父ちゃん、その薬を誰かに分けたり売ったりしちょらんかったか?」

「そぎゃぁなもんを世に出すとどうなるか怖いけぇ、秘密にして家族のためだけに使つこぅたらしいわい」

「あんたぁ、その薬を作る方法を知っちょるんか」

「半月ほど前に実家に帰ったとき、お父ちゃんがPDFファイルで、薬の開発日誌をくれたんよ。最低十年は漢方の修業をして、よぅよぅ日誌を読んでから薬を使えっちゅう話じゃった。日誌を見ても、難しい英語と中国語と専門用語だらけで、うちにはとても理解できんかった」

「その日誌は、どうしたんなら?」

「今朝、パソコンもUSBもられてしもぅた。もう手元にはぁわ」

 今、バッグに入っているスマホの中に日誌があるとは、明かさなかった。

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